異形の存在と対峙した相棒が、光の中へ還っていく。
俺は叫ぶ、なぜそっちに行くんだ。
相棒は言う、これが使命だと。
それから、人生は形を変え、相棒の居場所が無くなった。
元通りの日常が始まった。
代々木にヴェノムヴァンデモンが出現したのは夜八時を過ぎた頃であった。
即座に避難警報が発令され、付近の住民は退避。
同時に内閣総理大臣よりDATSへ出動命令が下り、まもなくヴェノムヴァンデモンへの攻撃が始まった。
この攻撃に派遣されたのはDATS隊員・野口イクトと藤枝淑乃、そしてそのパートナー。
「ガアアアァァァッ!!」
「ハッ!!」
ヴェノムインフューズを避け、掻い潜り、レイヴモンは魔獣の懐に入り込む。
左腕の爪が、一気に胸部を切り裂く。
斬撃の音が響き渡り、血が飛び散るが、ヴェノムヴァンデモンは止まらない。
胸の裂け目から何本もの触手が飛び出し、レイヴモンへ向かい捕らえようとする。
「!」
魔獣の動きに気づき、レイヴモンは右の黒い翼を翻す。
夜の帳に紛れ、その姿は闇の中に消えた。
「レイヴモン、切り裂け!」
目標を見失った魔獣の触手が止まる。
黒い翼の中で、レイヴモンの右手が刀を握った。
鳥人が闇から再び姿を現したのと、出現した触手が綺麗に切断されたのはほぼ同時だった。
データ粒子と血液が飛び散る。
触手と一緒に、持ち主を失った魔獣の右腕が落下する。
苦痛に叫び声を上げるヴェノムヴァンデモンの左足に、今度は棘の鞭が絡みついた。
レイヴモンの視界に、魔獣の背後で鞭を操るロゼモンが入った。
「今よ!」
レイヴモンは頷き、右手に握った刀剣・鳥王丸を魔獣へ向けた。
刀剣に黒い巨大な稲妻が奔る。
「雨之尾羽張!!」
轟音と共に、稲妻がヴェノムヴァンデモンを焼き尽くした。
戦いが終わった後、避難していた住民達は足早にそれぞれの住居に戻っていった。
混乱はほとんどない。
警察官が破壊された場所や危険な場所に配置され、人々を的確に誘導しているのもあるが、それ以外の理由もある。
「そりゃそうよ。すっかり市民が慣れてしまったもの」
DATS指令車両のルーフに腰掛け、ララモンと夜食を食べながら淑乃が呟く。
「防災訓練も同然よね」
「ヨシノ、さっきから毒舌が過ぎない?」
「事実を言ってるだけよ、ララモン」
「それより、オレはあいつらが気に食わない」
指令車両に背中を付けながら、イクトは腕組みをし、ファルコモンと共に不機嫌な表情を作っていた。
原因は視線の先にある。
迷彩色を施した車両と、20人くらいの自衛隊員が、距離を取って自分達を監視している。
あぁ、と、淑乃が半分呆れた声を上げるのが聞こえた。
「イクトとファルコモンはまだ見たことがなかったんだっけ。出動の度に毎回いるわよ。お目付け役ね」
「なんであんなのが付いてくるんだ?」
「新しいルールよ。デジモン暴走の危険を鑑みて、住民に危害を加える前に鎮圧を行うために、自衛隊がああやって付くようになったの」
「あいつらは敵と戦うためじゃなくて、オレ達と戦うためにいるってことか?」
「えぇ、本当に馬鹿馬鹿しい話よ。政治家はどうやら、私達パートナーがデジモンに付いてるだけじゃまだ信用できないらしいわ。でも……」
納得するしかないのよ、という言葉は、イクトの苦虫を噛み潰した表情を見ると言うことができず、結局淑乃の話は尻切れ蜻蛉となった。
不条理な話なのだ。
今や人々は、度々現れる分かりやすい敵よりも、国の組織に属するデジモン達の方を危険視している。
人間に奉仕していようと、していまいと、デジモンは野蛮で危険で、何を考えているか分からない。
最初から敵意をむき出しにして現れる奴らの方がまだ安心できる。
こう考えている人は増える一方だ。
イクトがぼそっと呟く。
「こんな時、大が居てくれれば……」
淑乃はため息をついて、DATS指令車両から降りた。
「アイツは気づいたら戻ってるのに、必要な時に戻った試しがないわ」
「今は何処にいるんだろう」
「デジタルワールドの何処かしらね。戻りましょう、イクト。ファルコモンも」
【The Boundary】
2/Side:Black“ニュー・アクシデント”
“次のニュースです。27日午前、デジモンの参政権付与に反対するデモが情報省前で行われ――”
“管理法案に賛成だ。デジモンはこれ以上野放しにできない。必要なら強制的に送還すべきだ”
“デジモンに選挙権を与えようとするなんて国が他にあるか? その次は被選挙権か、デジモンの大臣か?”
“彼らは、知能はありますが、人間には遥かに劣っています。これは医学的にも明らかなことで……”
思わず頭を抱えたくなるような話ばかりが飛び交うテレビの電源を切って、大輔は立ち上がった。
ソファに腰掛けながら、同じく陰鬱な表情で画面を眺めていたブイモンが彼を見る。
「ダイスケ?」
「そろそろ時間だ、お客様が来るぜ」
ブイモンは立ち上がり、大輔に続いて会長室を出た。
「あのデモやってた団体……」
「ん?」
「ダイスケ宛てに封書を送ってきてたよ。オレ見たもん」
「へぇ、殺害予告だったか?」
「いや、その逆だったよ」
「逆?」
「“デジモンをパートナーに持ちながら、法案に賛成する貴方に感謝する。ぜひ我々の集会でスピーチを……”とか何とか」
「あー……返事はしたか?」
「返事はしてないけど、シュレッダーにはかけたよ」
「理解を得るってのは難しいな、ブイモン」
「本当にね」
程よく陽の入ってくるオフィスの白い通路を抜けると、そこに例の雑誌記者が立っていた。
こんなに早く再会することになったのは想定外だったが、一人に好感を抱いていた大輔にとって、憂鬱な月曜日では比較的楽しみなスケジュールであった。
退屈な予定を除けば、CEOという役職は意外と暇なものだ。
「おはようございます」
「おう! こんなすぐに二回目の取材とはね」
「先週お会いしたばかりなのに申し訳ありません。ウチのボスが、特集号のためにぜひあなたの追加取材をしたいと言い出しましてね」
「ありがてぇ。こっちは無味乾燥なスケジュールの連続で死にかけてたぜ」
「最初にお会いしようとした時、窓口の方はあなたが多忙だと仰ってましたが」
「そういうことにされてるんだ」
一人は笑い声をあげたが、心なしか先週会った時よりも疲れているように見えた。
「アンタも時間ないんだろ? 移動しようか」
普段と変わらない表情を作っているつもりだったが、今のやり取りで何かが嗅ぎつけられたかもしれない。
くそ、落ち着け。
一人は心の中で舌打ちをした。
それでも、今自分がどんな状況にあるかは嫌でも意識してしまう。
彼が嵌めている腕時計には極小のカメラが付けられており、その映像と音声はリアルタイムにクロスハートへと送信され続けている。
これはネネから一人へと渡されたものだった。
このオフィスの入場チェックでも気づかれなかった所を見ると、相当に高性能な――そして、もし気づかれれば、なぜ持ち込んでいるのか言い訳不能な――ものらしい。
「これを付けていきなさい。もし、何か怪しい真似をしたら……分かっているわね」
ネネの言葉を考えながら、なんて女だ、と一人は改めて思った。
軍事部門の巨大な工場を眼下に眺める空中通路を歩きながら、大輔は一人に説明していた。
「元々はモトミヤグループに軍事部門を作るつもりはなかった。結局、役員会の意向で設立したが……開発には細心の注意を払ってるよ。親の手を離れたら、どうするかは彼が決めることだから……」
「彼?」
「そう、彼」
通路の途中にあるデータパッドの前で大輔は止まり、立体映像の浮かぶ画面を何度かタッチした。
一人とブイモンの目の前に、青白いモデルが浮かび上がる。
筋骨隆々の仁王像のような姿のアバター。
背中に錫杖、左腕にリングに取り付けられた鍵の束を持ち、背中には後光が差しているかのように見えるリングがある。
立体映像のアバターは目を瞑り、頭の上には「zzz……」という吹き出しが浮かんでいた。
「カッコいいだろ。まだ情報解禁前だからな、撮影はNGだぞ」
「アバター……ですか?」
更にデータパッドを操作すると、仕様について書かれた半透明のウィンドウが一人の前に出現した。
「自動警戒・迎撃システム総合管理AI。高度に自動化された国家防衛の新システムだ。一年前に日本政府から発注を受けたよ」
「この“Love Machine”とは?」
「コイツの愛称だ。お前だってモー娘。くらい知ってるだろ」
「高度に自動化された、というと?」
「敵の攻撃の予知から迎撃に至るまでの全てを自動で行うってことだ」
「すると、その全ての権限を……彼が……持っている、ということですか?」
「いや、違う。コイツが持っているのはOZにある全てのアバターの情報閲覧権限と、そのハッキング能力だ。ラブマシーンは日本及び同盟国が攻撃された場合、状況から最低限必要な権限を把握し、それを操作する。交通規制の操作から迎撃ミサイルの発射まで」
「つまり、人間の権限を乗っ取る?」
「そうとも言える」
「法に触れる話にしか聞こえませんが」
「だからこそコイツの能力は現状極秘だし、法改正されなきゃ使うことはできないだろう。総理は是が非でも実用化させるつもりらしい。アンタに見せるのだって特別なんだぜ?」
「記事にできないものは見てもしょうがないのですが……」
「だから、発表されたら記事にしてくれよ。期待してんだから」
一人は半分苦笑い、半分呆れたような表情を作ったが、実際には心臓が早鐘を打ち、この表情を維持するのがかなり困難だった。
クロスハートが情報を求めているのは、間違いなくこれだ。
慎重に、しかし思惑を読み取られないように、大輔に質問を続ける。
「相当大がかりな開発のようですが……その、正式な完成はいつ頃の予定なのですか?」
「それが問題なんだ」
大輔はブイモンと目を合わせてから、大げさに肩を落として見せた。
「見ての通り、コイツは九割方出来上がってる。二ヶ月前には完成しているはずだった」
「はず?」
「開発に問題が発生した。何者かがプログラムにロックを掛けた。以来コイツはご覧の通り、ず〜っと寝てるんだよ」
一人は顔をしかめた。
こんな大企業の、しかも極秘研究のプログラムに、予期せぬロックが掛けられただって?
「犯人は分かっていないのですか?」
「あぁ。内部の者かもしれないし、違うかもしれない。発覚後全社員を調査したが、手がかりは得られなかった。結局、開発チームが総出でプロテクト解除を試みたんだが、失敗したよ。正規の解除方法以外は、結局分かっていない」
「解除方法?」
「パスワードが設定されている。“祠の絵画”というヒントも」
「祠の絵画……」
「ブイモン、頼む」
今度はブイモンがデータパッドに歩み寄り、いくつかキーを叩いた。
ラブマシーンのホログラムが消え、代わりに画像が現れる。
大変に解像度が低いが、何かの絵のようだ。
「先日、国立美術館から『白梅二椿菊図』という絵画が盗まれた。ロックが掛けられたのと同じ日に。多分、何か関係がある」
「つまり、その……ロックと、ですね」
「そ。警察の知り合いが捜索してるが、見つかるかどうか」
「状況はよく分かりました」
「悪いけど、これも極秘な。記事にはするなよ」
一人は人の良さそうな笑顔を浮かべ、頷いた。
あぁ、まだ記事にはしない。
だが、それ以外の重要な手がかりにはなるだろう。
「では、記事にできる他の話が欲しいですね」
「あぁ、そうだったな。無駄話はこの辺で。アンタの求める物はブイモンの担当部署にある。今、一番力を入れてるのが、ゲームハードの開発で……」
「あ、ダイスケ、そう言えば来春発売のアレの名前『4DS』にしようと思うんだけど」
「マジで!? 早く試作機貸して!」
歩き出す直前、一人は大輔とブイモンが話している隙を見計らって、袖の下から赤い釦のような機械を取り出し、データパッドの裏側にそっと張り付けた。
設置された鉄の釦のランプが光ると、その持ち主がデータパッドにアクセスできるよう、遠隔操作でハッキングが開始された。
「リアルワールドでは、日本でもデジモン管理法案が取り沙汰され始めたようだ」
デジタルワールドの深淵、クラウドキャニオンにある巨大施設の会議室で、デジモン達の会合は始まった。
この話し合いは初めてではないが、重要な参列者がこれだけ揃ったのは初めてであり、主宰する白き魔王を満足させた。
「ピエモン、呼びかけに応じてくれてありがとう」
「こちらこそ、貴方にお会いできて嬉しいよ」
「アルケニモン、マミーモン、君達もよくぞ出席してくれた」
「まぁ、私達は暇なだけだからね」
「あんまり俺達に期待をし過ぎるなよ」
「君の力を信用しているよ、リリスモン」
「陛下のためならば何なりと」
「そして何より君だ、インプモン。歓迎するよ」
「下らねぇ話だったらオレ様は帰るぜ」
「ふふ」
白い魔王バグラモンは口元を緩ませ、巨大な白い義手を上げて周囲の注目を集めた。
「同志達よ。冒頭にも話したが、今デジモンを取り巻く環境は大変厳しい。我々デジモン解放戦線・通称DLFの目的は、デジモンの秩序を再建することにある」
「そうですな、兄上。こうして力あるデジタルワールドの名士達が集まった以上、私達に出来ないことなど無い」
出席者が座る円卓で、主宰者の真向かいに座る暗黒騎士型デジモンが口を開いた。
「既に各地の戦士達が続々と、このクラウドキャニオンに集まりつつあります。ニンゲン達は我々デジモンの主権を踏み躙り過ぎた。今こそ、どんな手段を使ってでも、我々は大義のために戦わねばなりませぬ!」
「戦いは唯一の手段ではないぞ、我が弟よ」
バグラモンは暗黒騎士を窘める。
「ニンゲンはデジモンを生み出した創造主だった。そして今、そのニンゲンとデジモンの関係が危うい。必要とあらば、我ら全員の軍勢を以て……創造主との関係を、今一度再建しなければならない。分かるかね」
「勿論です、兄上。私が言ったのは、武力に限らず……あらゆる方法での、現状に対する闘争という意味です」
一切の表情は読み取れないながらも、やや不満げな声で応答する暗黒騎士に、バグラモンは微笑んだ。
「よろしい。では、調査隊からのリアルワールドに関する報告を聞こう」
会議室のビジョンに上がった様々なデータと画像から放たれる光が、バグラモンの白い姿を一層際立たせた。
インプモンは彼の一挙動を観察していた。
そしてすぐに、バグラモンが生まれ持つ才能に気づいた。
このデジモンには、相当な権力者でも“従いたくさせる”特別な力がある。
バグラモンはゆっくりと喋り始めた。
「何でも、モトミヤ・ホールディングスについての興味深い情報が手に入ったとのことだ。これを見てくれ……」
大輔が一連のスケジュールを終え、会長室に戻った時、そこには顔馴染みの先客がいた。
彼は簡単に自分に会うことが出来る立場だが、だからと言って勝手に入られるのは困る。
彼には、母親がノックせずに自分の部屋に入って来た経験がないのだろうか?
「やぁ、忙しそうだね、本宮会長」
「嫌味にしか聞こえねぇぞ、一乗寺」
「そのつもりで言ったからね。とりあえず、いい加減リデコを返してくれ。もう一ヶ月経つぞ」
「まだムゲンマウンテンをクリアしてねぇんだよ」
長身にサラサラした黒髪、やや着崩したスーツとネクタイ。
隣にはボディーガードのように、黙って直立する彼のパートナー。
デジモンにとって進化した状態を維持するのはそれなりの体力がいるはずだが、彼らが刑事になってから、大輔はこのデジモンが、成長期の姿よりも成熟期に進化した姿を見る方が多くなっていることに気づいていた。
彼は昔よりも随分とタフになっている。
「一体どうしたんだ刑事さん。俺を逮捕しに来たのか?」
「僕のリデコ窃盗の罪で逮捕してやりたい所だが、違うんだ。『祠の絵画』の件だ」
「へぇ、どこかで見つかった?」
「内調に送られてきた暗号が解かれた。経緯度が記されていたよ」
一乗寺賢は立ち上がり、大輔へ印刷された地図を手渡した。
見たことのない場所だが、多分これは……国内の、どこかの山中のようだ。
「DATSに協力を依頼して、捜索隊を編成中だ」
「そりゃありがてぇな。開発が止まって時間がかかり過ぎた。いつ向かうつもりなんだ?」
「2日……いや、早ければ1日か?」
「24時間あれば十分だよ、ケンちゃん」
「だそうだ」
大輔が眉を吊り上げ、スティングモンと賢を交互に見た。
「まさか、わざわざお前らも行く気か?」
「そのつもりだよ」
「内調ってことはタケルが出てくるんだろ? 別にお前が出なくたって……」
「ただの盗難だったらそれでいいし、DATSが出る必要もない。でも多分、それでは終わらないだろう」
賢が言葉を切り、大輔を見る。
こういう時、賢がその先の言葉を言いたがってないことを、長い付き合いである大輔はよく分かっていた。
ただの盗難には留まらない可能性がある。
対デジモン専門の特捜チームが出てくる。
これで、おおよその事態は想定できる。
「そうか……大変だなぁ、お前も」
「お互い様だろ」
「ジャンルが違うな。俺のは汚れ仕事だ」
「知ってるよ、そういうものが必要な時もあるからね。じゃ、僕はこれで……」
賢は応接用のソファから立ち上がり、部屋を後にしようとする。
大輔はこのまま帰らせる気がなかった。
「おい、一乗寺。太一さんとヤマトさんの捜索はどうなった?」
賢の表情が曇り、大輔は顔をしかめた。
結局、進展は無しか。
「まだ分からない。すっかり情報が途絶えてるんだ」
自分たちの先輩、初めてデジモンと出会い、幾度も世界を救った“初代”ヒーロー。
今、自分達を含めた、世界が必要としている存在。
しかし、その席が不在になってから、もう随分長い時間が経つ。
「そうか……」
「長居し過ぎた。捜査は全力を尽くすよ。スティングモン、もう行こう」
一日の仕事を終え、帰宅の途に就く。
既に月が出ているが、普段からすればこの時間に帰れるのは早い方だ。
随分と神経を使う一日だった。
疲れた、早く寝たい。
キーロックを解除し、部屋に入る。
部屋の照明がオンになる。
目の前に誰かいる。
あぁ、早く寝れない。
「おい、取引相手にする態度じゃねぇだろ、こりゃ」
いつの間にか蛇を模した鎧を身に着けた女性型デジモンが背後に回り込み、刃の切っ先を一人の喉元に近づけていた。
目の前にいるのは、またあの女だ。
人の部屋に勝手に入ってきてやがる……。
母親がノックせずに自分の部屋に入って来た経験がないから、こんなデリカシーのないことが出来るのだろう。
「お帰りなさい、一人くん。無礼を許して。万一のためよ」
「誰にも付けられてないでしょうね?」
背後の女性型デジモンの声。
少しでも動けば本当に首が切断されそうだ。
「知るか。俺の後ろにいるお前が調べろ」
「メルヴァモン、もういいわ。刀を戻して」
「この前の黄色い飛行機じゃないんだな。アイツはリストラか?」
「スパロウモンと貴方じゃ絶望的に相性が悪いもの。うっかりこのマンションを壊しかねないし、他の住人に迷惑がかかるわ」
「だったらせめて別の場所で話しかけてくれよ。不法侵入だぞ」
目の前にいる相手がテロリストであることを半ば忘れながら、一人は不満を漏らした。
「あら、別にいいでしょ。独り身の男性が夜に女性を連れ込むくらい、よくある話よ」
「俺は既婚者だ」
「でも、別居してる」
「……一時的にだよ」
「どうかしら?」
あぁ、もう、いちいち癪に障る。
「安心して、今日は貴方にお礼を言いに来ただけよ。ラブマシーンについての情報は、今や私達の手の中よ」
「本宮大輔の話だと、ロックが掛けられてるらしいが」
「開発が急に止まり、それが何者かによるキーロックであることは前から分かっていたわ。貴方に危険を冒してもらったのは兵器の詳細と、アクセスする方法を見つけたかったから」
「何者か、だって? アレをロックしたのはお前らじゃないのか?」
意外な話だ。
大輔の所でこれを聞いた時、妨害を行ったのはクロスハートだとばかり思っていた。
「予想外の事態だったわ。どうやら私達以外にも、アレをよく思わない者が居たみたいね」
「ふぅん、そうか……って、どうすんだそれ。お前らもアクセスできないんだろ? 絵画がどうとか聞いたぞ」
「ここからが重要よ。その絵画の国立博物館での盗難事件当日、差出人不明のメールがクロスハートに届いたわ。内容は“この少女を探せ。絵画について知っている”……」
ネネがモノクロ印刷された紙を取り出し、一人に見せる。
二等身の、犬のような耳をつけた少女のアバター画像と、名前や年齢などのデータ……おそらくは、OZ内からリンクされている、市役所等に届けられている個人情報。
「先週、ようやくOZ内部で彼女を発見したわ。次は実際に彼女の元を訪ねて『白梅二椿菊図』を見つける。それも政府やDATSより先に」
「眉唾な話だな。この女の子が犯人なのか、それともメールを送った奴に何か目論見があるのか」
「そこまでは分からないわ。でも、このふたりのどちらか……多分両方が、今回の事件に関わってる」
「犯人が愉快犯で、この女の子は巻き込まれただけの被害者だったら?」
「その時はその時ね。この娘には悪いけど、裏を取る時間は私達にはないの」
ネネは少女について書かれた紙をしまい、一人の肩をポンと叩いた。
話は終わり、という合図だ。
一人としては、終わっていないが。
「何にせよ、貴方は仕事を果たしてくれたわ。私達の仕事が済んだら、記事なり何なり好きにして頂戴。それじゃ……」
「あぁ、好きにさせてもらうよ。明日有給を取ったんだ。山登りでもするかな」
部屋を出ようとした白衣の女がぴたりと足を止め、振り返る。
メルヴァモンが自分を睨みつける。
おぉ、怖い。
眼力だけで殺されそうだ。
「一人くん。貴方……何を言ってるの?」
「休日の予定を考えてるのさ。景色が良いだろうな。カメラでも持っていくか」
「冗談はそのくらいにして」
蛇の鎧を着た神人型デジモンが剣を持ち上げ、一人の頭に向ける。
放たれる殺気は正直恐ろしいが、こちらとて退くつもりはない。
せっかく苦労したのだから、もっとこの取引は有意義にする必要があるだろう。
自分にとっての利益が、彼らや第三者にとっての不利益になることもあるが、それはしょうがない。
ましてや、形振り構っていない環境テロリストへの取材をするならば尚更だ。
「あまり調子に乗るなよ、お前の首を胴体から切り離すぞ」
「調子に乗るなはこっちの台詞だ。お前らは俺を殺せない」
「デタラメを言わないで。貴方の命は私達の自由にできるのよ?」
「モトミヤ社CEOにインタビューした記者がその夜に殺され、部屋に誰かが侵入した形跡がある。記者のパソコンからはクロスハートに関する記事と取材予定のデータが出てくる。こんなことしたらどうなるかね? クロスハートはデジモン解放のために一般人まで殺し始めたか?」
ネネの顔に焦りが表れ始めるのを、一人は満足した気分で眺めた。
週刊誌の記者の行動力を舐めると、こういうことになる。
「忘れないで欲しいんだが、俺達がやってるのは取引だ。対等な関係だろう? だったらこっちのプライベートには口出ししないで頂きたいな」
「……メルヴァモン、剣を下して」
「しかし……」
「いいわ。一人くん」
メルヴァモンの剣が下がるや否や、ネネは一人の目の前までずんずん近づき、彼を睨みつけた。
一人の心臓を透視するかのような表情だ。
「明日の“山登り”……私達も同行していいかしら?」
一人はニヤッと笑う。
「あぁ、そうだろうな」
「事故が起こらないように、“慎重に”行きましょう。お互いに“手助け”し合って」
「うん、そうだな。良い写真が撮れるのを期待してるよ」
「……それじゃあ、今度こそ本当にお暇するわ。おやすみなさい、一人くん」
「次に来るときは事前連絡しろよ。来て欲しくはないが」
「そうするわ」
暗い玄関へと向かい、扉を開けると、マンションの廊下から僅かな蛍光灯の光が差し込む。
メルヴァモンに続き、ネネは靴を履いて玄関を出ようとした。
見送りはない。
直前の険悪な空気からすれば当たり前の話だ。
ふと、玄関の棚上に目が行った。
彼の思い出の品が並んでいる。
束の間、目がそこに奪われた。
幼少時の写真、彼の言う妻との(それも、恐らくは同居していた頃の)写真、それから……。
「あら」
予想外の写真があった。
「ネネ?」
「……OZの彼の記録に無いし、特にそんな話もしてなかったのに」
その写真の中では、小学生くらいの少年少女が、笑顔で揃ってピースサインをしていた。
紫色の、幸せそうな表情をした竜を囲んで。
てっきり、彼にパートナーはいないものと思っていたのだけれど。
どうやら、そうじゃないらしいわね。
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