俺は間違ってない。
ドルモンと出会ったのは小学五年生の時。
俺は選ばれし子供だった。
学校があって、仲間がいて、パートナーがいて、冒険があった。
成熟期に進化して、完全体に進化して、悪のデジモンと戦った。
あの頃は分かりやすかった。
そしてドルモンは究極体に進化して、俺達は“究極の敵”と相対した。
道が別れたのはこの時。
“究極の敵”とドルモンは同一の因子を持つ兄弟であり、その勝利のためにドルモンは自らを犠牲にした。
戦いの終わり、最後の瞬間に見たのは、輝く魔方陣の中に消えていくパートナーと“究極の敵”。
そこで冒険は終わった。
戦いを終わらせ、使命も遂げた。
だがそれは何ももたらさなかった。
魔方陣の中へ消えていく時、パートナーが俺を見つめていた。
感謝を湛えたまなざし。
忘れ難い光景。
あれがどうしようもなく憎い。
勝利し、因果を完結させ、使命を終わらせた時の気分はさぞ素晴らしいんだろうよ。
置いていかれる方の気持ちなんかあいつに分かるか。
今やデジモンと一緒に世界を守った奴らは伝説の英雄と呼ばれている。
聖人君子のように君臨している。
馬鹿な奴らだと思う。
だって、あれから十年経ち、二十年経ち、世界はどうなったか分かるか?
全てが終わった後、中学・高校を卒業し、大学に入って、そして今の仕事に就いた。
世の中を動かす奴らを追う仕事。
偉大な英雄達が守った世界を眺める仕事。
戦争が起きたり、デジモンが死んだりする世界を見渡す仕事。
それでも、英雄達の守る世界は壊れない。
ビルに飛行機が突っ込んでも、前代未聞の大地震が起きても、悪のデジモンが侵略行為をしても、世界の終焉はどうも訪れないらしい。
だが内側は脆く、カビが生え、ヒビがそこら中に走っている。
俺は間違ってない。
これが最も賢い選択だ。
パートナーはいらないし、冒険の過去は所詮過去。
そうだ、間違ってない。
【The Boundary】
3/Side:Black“Nite Bird”
東京にも人気の少ない場所はあるが、少なくとも一人にとってはここ数年見た景色で一番の田舎だった。
車内から見る景色は、舗装された道路が終わると、まもなくどこまでも広がる棚田と杉林になった。
時々、古い家屋や何十年も前に設置されたであろう看板は見かけるが、現代を感じさせるものはほとんど何もない。
最後に病院や学校やコンビニを見かけたのは何十分前だっただろうか。
車が跳ねるほどでこぼこした道を登るにつれその雰囲気はますます強まり、斜面がきつく感じ始めた頃には、畑と道路以外に人工物はほぼ見えなくなった。
「こんな所に本当に住んでるのか?」
「OZの情報通りならな」
車を降り、歩き始めてから呟いた言葉に、一人の前を歩くバンダナをした男がそっけなく答える。
自分と大して年齢は変わらないはずだが、体力には大きな違いがあった。
この男とは今朝会ったばかりだが、腐ってもクロスハートの幹部、かつて世界を救った英雄か。
「もう疲れたの、一人くん?」
「うるせぇな」
「姉さん、あんまりからかい過ぎない方がいいんじゃない?」
「あら、からかってなんかいないわ。私より一人くんの方が体力ないなんてあり得ないもの、ねぇ?」
「ねぇ? なんて聞かれても答えないぞ」
前を歩くネネ達が、こちらを眺めながら笑っている。
この女に弟がいたのは知らなかったが、姉ほど悪趣味な性格でないようなのは幸いだ。
「でも雑誌記者なのにこの程度っていうのはどうなの?」
「インドア派なんだよ。別に体力づくりとかもしてないし……」
「これを機に体力づくりを始めたらどうかしら? 山登りで」
「考えとくよ」
「あ〜……それ、絶対考えないでやめることになりますよ、一人さん」
「知るか。クロスハートの奴らはなんでこう、お節介な英雄様が多いんだ?」
「そういう集団だからよ」
前方からの咳き込む音で会話は強制終了する。
源輝二は後ろを振り返ると、発破を掛けるように言った。
「急げ。早くしないと日が暮れるぞ」
「ごめんくださーい」
その家の前で、何度が声を上げながら巨大な戸をノックするが、返事は聞こえない。
人が住んでいる形跡もあるし、住所も間違いないのだが。
雑草のあまりない広い庭、築百年はありそうな巨大な木造民家、丁寧に手入れされた花壇。
さすが田舎か、と言った大きさだが、今この家は静まり返っていた。
「留守か?」
“おい一人、どうだ?”
「人が出てこない」
通信機の奥から聞こえる輝二の声に答える。
既に政府が動いている以上、民家への調査はクロスハートの面子よりも一人が行った方が良い。
そう考えての行動だったが、相手が居ないのは少々予想外だった。
“こんな時間に? 間もなく日が暮れるというのに。居留守じゃないのか?”
「その割には気配もない。まさかと思うが、政府が先回りしてるんじゃないのか?」
“あり得ない話じゃないな”
「なんだよ、なら猶更……待て。誰か来る」
返事を待たずに一人は通話を終了させた。
近くに止まった車からスーツを着た男と、長身の昆虫型デジモンが表れたのが見えた。
向かってくる二人に気づかれないよう通信機を耳から外し、懐にしまう。
探している人間ではなさそうだ。
「やぁ、どうも。このご家庭に用事ですか?」
男は一人に笑いかけながら、軽い調子で声をかけてきた。
服装、車の色、男の雰囲気を見れば、まぁなんとなく彼の仕事は分かる。
「あなたは?」
「一乗寺賢と申します。こっちはスティングモン」
「えぇと、警察の方? 何か事件でも?」
「いえ、ちょっとした調査がありましてね。大したことではないですよ。そういう貴方は?」
「え、あー、いや」
一人は少々考えたが、ここで身分を明かすことによるデメリットは何もないと考え、ポケットから名刺ケースを取り出した。
今やっていることについては話さなければよい。
「トーキョー・ウィーク社の佐倉一人と申します。ちょっとこの辺りの取材で来ていまして」
「取材?」
賢が顔をしかめた。
何の問題もない、元々用意していた答えを言うだけだ。
「えぇ、『田舎で暮らそう!』という特集を今度から組むので」
賢はちらりとパートナーへ視線を送ってから名刺を胸ポケットにしまった。
もしかすると、不審に思われているかもしれない。
別に構わない。
グレーゾーンにいるのは慣れているし、黒だと相手に確信させなければ、こういう状況は大抵乗り切れる。
「成程、分かりました。お気をつけて。この辺りでは時々、熊が出るそうですよ」
「分かりました、気をつけます」
「では僕はこの辺で」
足早にその場を離れていく賢をしばらく眺め、ようやくその姿が見えなくなると、一人は急いで耳元へ通信機を掛けた。
既に自分以外の人間の姿は見えないが、それでも周囲に響かないよう、先ほどよりも小さな声で無線の先へ語り掛ける。
「聞いてたか?」
“あぁ。思ったよりマズいな”
「既に来ているようだぞ」
“だが、アカウントの少女には接触していないようだな”
「なら急がないと」
“分かってる。既に手は打った”
「手は打った?」
“天野姉弟が先に山へ入った。隠密行動は得意中の得意だ”
「へぇ。あの姉弟がね……」
正直、姉の方はともかく、弟の方は今日初めて会ったばかりで、簡単なあいさつ程度しかしていない。
何でも彼のパートナーが、今のところ唯一、OZ上でアカウントの少女に会ったことがあるらしいのだが……。
“急いで戻ってこい。あまり時間がない。俺達も山登りをするぞ”
警視庁とDATSの合同捜索隊は五十名ほどの規模で、三チームに分かれて山中の捜索を行っていた。
これは当初予定されていたものよりも困難な作業となった。
登山道を登っている最中はまだ比較的順調だったが、GPSをもとに脇にずれれば、途端に森は一層深くなり、余所者の自分達を遮断する。
地図はほとんど役に立たなくなるため、自分達が遭難しないよう全員の位置を確認しながらの捜査となり、大変な労力を要する。
地元警察官や猟友会の協力も得ることで、困難さはかなり軽減されているはずなのだが、隊員達はこの日中の発見を諦め始めていた。
既に日も暮れ、月が顔を出した頃、周囲を一瞥してから、野口イクトは無線を掴んで言った。
「タケル、今日はもう切り上げよう」
“そうだね。こちらも疲れが出ている”
「日も暮れてきた。人間が山を歩いていい時間はもう終わる」
“分かった。それじゃあ、今日はこの辺りで……”
「イクト!」
突然、イクトの肩に黒い翼が乗る。
相手を見るまでもなく、イクトは顔を上げた。
パートナーが何を言いたいのかは聞き返すまでもない。
どこからか?
眼前に見える茂みか、奥にある木々か?
そのどちらでもなかった。
突然、地面が弾けた。
大量の土砂が宙に舞い、その真上に立っていた隊員達も吹っ飛ばされる。
「おっとォ!? こりゃ失礼、ノックすべきだったか!」
ぽっかりと空いた穴の中から、巨大な鎚を構えた鬼が現れた。
地中からの初撃を回避した警官達は、すぐに腰の拳銃に手を伸ばした。
だが、一歩遅かった。
「うわっ!」
「ぐっ!」
鬼人のいる穴から、更にいくつもの影が這い出る。
黒いゴム製の体を持つ、不気味なマスクをしたデジモンが、毒々しい配色の蜘蛛型デジモンと共に大量に現れたのだ。
蜘蛛の放つ糸は警官達の腕を絡め捕り、マスクのデジモンが手に握る銃の柄で次々と殴り倒していく。
やがて警官のひとりが倒れた時、その真上に乗りかかったマスクのデジモンが銃口を頭部に向けた。
鬼人の愉快そうな声が響く。
「まぁまずは祝砲代わりだな。ドーンとやっちまえ、トループモン!」
全く躊躇を見せず、引き金を引こうとする。
だが、銃声は響かなかった。
引き金を引こうとした腕ごと、トループモンの体から切り離されたからだ。
「お前達、何してる!!」
トループモンとは別の形の黒い影が、混乱の渦中に突如飛来した。
グロットモンの脇にいた蜘蛛型のデジモン・ドクグモンは、その口中に貯め込んだ毒を何発も放ったが、一つとして黒い影を捉えることが出来ず、代わりに巻き添えを食らったトループモン達がたちまち溶かされた。
攻撃が止まった瞬間、黒い鳥人はドクグモンの背中に降り立ち、そこにある髑髏模様ごとこのデジモンを両断した。
グロットモンはドクグモンが倒れるのを待たず(どうせ何秒後かには消滅するのだ)、鎚を鳥人めがけ回転させたが、この攻撃は空を切った。
鳥人は既に自分と数メートル距離を取っている。
「ようやくお出ましか、ニンゲンに飼われたデジモンがよぉ!」
「お前は何者だ?」
鳥人の隣にいつの間にか立っていた青年が尋ねる。
子鬼はフンと鼻を鳴らした。
「なんだぁ、名前を聞くときはまず自分から名乗るのが礼儀ってもんだろ?」
「……DATS日本支部隊員・野口イクトだ」
「パートナーのレイヴモンだ。お前は?」
「あぁ、お前らか、何日か前にヴェノムヴァンデモンを倒したのは。いやぁアレは見物だったぜ」
子鬼はニヤニヤと笑いを浮かべたまま鎚を構え直す。
「DLF所属、土の闘士グロットモンだ」
「DLF……デジモン解放戦線か?」
「その通りよォ!」
グロットモンが勢いよく跳び、彼自身の体をはるかに上回る大きさの鎚を振りかぶる。
鎚が振り下ろされると同時、レイヴモンは跳躍し攻撃を回避した。
なおもグロットモンの攻撃は続く。
数回の攻撃を回避し、レイヴモンは距離を取り続けた。
DLF――デジモン解放戦線という名前は聞いたことがある。
パートナーを持たないデジモン達が、人間によるデジタルワールドの再開発、そしてそれによる彼らの棲み処を蹂躙したことに対し激怒し、結集したことがそもそもの始まりだった。
彼らはデジタルワールドに商業や開発目的で入って来る人間の多くに攻撃を行い、一時期は民間人がデジタルワールドへ入植することがほとんど不可能になった時期さえある。
やがて四聖獣やテイマー達によりDLFは鎮圧され、その活動も一気に縮小した。
DLFが解散したという話は公式にも非公式にも出ていないため、まだ彼らが組織として存在していることは不思議ではない。
問題は、なぜDLFがリアルワールドに、しかも今ここにいるかということだ。
「グロットモン! 何故DLFはリアルワールドに来ている?」
「あん? 愚問だなぁ」
レイヴモンの質問に呆れたような表情を浮かべる。
「お前らと同じ理由だよ。なんでお前らが今ここにいる?」
「それは……」
言葉に詰まり、レイヴモンはイクトを見る。
だが、これだけで答えとしては明白だった。
「捜しているっていう絵画! なんでもアレが、お前らニンゲンの作ってる怪物の起動のキーになるらしいじゃねぇか!」
自分達がここにいる理由が、彼らに気づかれている。
更にグロットモンは笑い声を上げた。
「そんな面白ぇモノがあるなら、ぜひともDLFが頂きてえなぁ! その怪物、何に使うつもりだったんだ、オイ!」
「特定の目的に使う訳じゃない。ラブマシーンは日本の国家防衛のための……」
「建前には興味ねぇよ!」
グロットモンが前のめりになり突進してくる。
やむを得ず、レイヴモンは刀を構え、一歩を踏み出そうとした。
これは失敗だった。
土の闘士を相手にする場合、地面そのものが敵であることにレイヴモンは気づいていなかった。
足が突然地面にめり込む。
バランスを崩し、レイヴモンは体制を崩した。
落とし穴。
もちろんレイヴモンは空戦型のデジモンであり、飛び上がってしまえばこんな罠はどうということもない。
問題は、飛び上がるほどの時間が残されていないということだ。
グロットモンがここぞとばかりに突進してくる。
「っ!」
目の前に人型の影が降り立ち、その先端に付いた爪とスパイクを振るうと、グロットモンは慌てて停止し仰け反った。
鼻の先に人差し指を当てると、うっすらと血液がつく。
「失礼。友人に不細工なモグラが寄ってくるのを見て、思わず払いのけてしまった」
「てめぇ……」
スティングモンがレイヴモンの前に立ち、臨戦態勢を整えている。
彼らの背後を見ると、いつの間にか人間は二人に増えていた。
コートを羽織った、長身の人間の男だ。
「タケルは?」
「先に状況を伝えておいた。良くないことが起きていると。僕とスティングモンが先に行くと言っておいたよ」
それを聞いてイクトは頷いた。
おそらく、タケルならまずは警官達の安全を確保するだろう。
デジモンに関する仕事は、デジモンに慣れている人間がするべきだ。
イクトは賢に視線を移さぬまま、手短に状況を伝えた。
「あいつはグロットモン。DLFだと言ってる」
「なるほど、その名前をここで聞くことになるとは思わなかったな」
そのグロットモンは不機嫌そうな表情で腕組みしていた。
「おいお前ら、流石に二対一ってのは卑怯だろうが」
「知るか。お前だって最初は大人数だっただろ」
「ありゃお前達が俺らの真上にいたのが悪い」
「俺様ルールを通そうとする奴は嫌われるぞ」
「そうかい」
突然、グロットモンの周囲に、何本もの白線が舞い、彼を中心に環を作った。
肉体が輝き、変形する。
「それじゃあ、こんなのはどうだ!?」
スライドエボリューション!
ギガスモン!
子鬼が筋骨隆々な土色の怪人へ進化したことに驚く余裕はなかった。
鉱物の怪人は進化した直後、両腕を組み勢いよく地面を叩き付けた。
「引っくり返っちまえ!!」
最初に子鬼が出現した時よりもはるかに巨大な音と揺れが辺りを揺らした。
周囲の木々がぐらりと揺れ、足場が保てなくなる。
それまでのグロットモンの攻撃からは予想もつかないような破壊力に二体のデジモンは驚愕した。
「くそっ!」
レイヴモンとスティングモンは後方へ跳び、それぞれのパートナーを掴み上げる。
次の攻撃に備えたが、それは無かった。
粉じんの奥には、既に鉱物の怪人はいない。
「やられた!」
「逃げようと思えばいつでも逃げられる奴だった」
賢は歯噛みして言った。
「このまま引き下がるとは思えない。『白梅二椿菊図』を目指すはず」
「地中を潜行できるなら、奴はかなり有利だ。急がないと」
「待て、イクト。先に怪我人を助けよう。今のはまずい」
地面に自分を下すよう、スティングモンに指示する。
そして戦いに巻き込まれた仲間達の姿を探した。
「時間がないぞ、賢」
「君は知らないかもしれないが、僕の友人はとても優秀で信頼できる。怖いくらいにね」
賢は遅れて地面に降り立ったイクトとレイヴモンに振り向いた。
「多分、高石君とパタモンがそろそろ仕事を終えてこっちに向かっているはずだ」
撤収の連絡と怪我人の救護は既に済んだ。
残るはイクトとファルコモンに同行し調査していた数名だが、賢とスティングモンが先行した以上、そう心配はないだろう。
この山中のように、不利な環境でデジモンが関係するトラブルが起きた時は、自分達のようなパートナーを持つ者が戦地に出るのは、今や慣例になりつつあった。
レンジャー隊員のような行動範囲を持ち、創造的な思考能力があり、戦車のような破壊力を持つ兵器は、テクノロジーの進んだ今でも生まれていない。
それは同時に、デジモン達が危険視される最大の理由のひとつでもある。
タケルはエンジェモンと共に山を駆け上がりながら、今この場に集中した。
もう敵がいつ出てきてもおかしくはない。
それにもうひとり、この状況で安否が分からない重要人物がいる。
「エンジェモン、雪ちゃんを見つけたら、まず彼女の保護を最優先にしてくれ」
「分かった」
木々の隙間から夜空を見上げた。
月が明るい。
自分達がどういう立場であろうが、どんな目で見られていようが、市民を守るのが自分達の使命だ。
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