バウンダリー
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“戦火”後編






『白梅二椿菊図』を乗せた輸送車と関係者の乗るワゴン、それらを警護する六台のパトカーは正午になる前に出発した。
これから北陸自動車道に乗り、上越ジャンクションを経由して上信越自動車道へ、そして関越自動車道を経て東京に入ることになる。
五、六時間ほどかかる長距離移動だ。

一人と雪は二列目のシートに座っていた。
一列目の助手席には賢とワームモン、三列目にも警官が二名。
窓側の席に座る雪は次々に表情を変える外の景色を楽しそうに眺めていたが、一人にとってはそれほど面白いものではなく、早々に飽きてからはカーナビに映る道路情報をぼんやりと見つめていた。
空腹を感じ、鞄の中を探る。
ビスケット型の栄養食品しか入っていないのを確認し、ため息をついた。

「すみません、お昼食べてもいいですか?」

こちらの状況に気づかない様子で、隣の少女が元気よく賢に質問する。

「あぁ、もうそんな時間か。用意はあるのかい?」
「母が用意してくれました」
「そうか、僕達のことは気にしなくてもいいよ。先に食べな」
「ありがとうございます!」

ニコニコした表情で、リュックサックから先程受け取っていた緑色の風呂敷を取り出す。
結び目を解くと、大きめのおにぎりと弁当箱が現れた。
おそらくこの二日間で一番輝く表情を浮かべている少女は、続けて弁当箱を開け始める。
何となく口寂しくなり、一人はビスケットを取り出したが、それを見て雪は顔をしかめた。

「もしかしてそれ、お昼ご飯ですか?」
「そうだよ、悪いか」

そっけない返事を受けて、雪はしばらく自分の弁当とビスケットを眺めていたが、やがて箸を取り出し、弁当箱の蓋をひっくり返してその上に料理を乗せ始める。
弁当箱の中でも一番目立っていた焼き鳥を一本乗せると、おにぎりと共にその蓋を一人の目の前に差し出した。

「はい、どうぞ」
「……いいのか、これ?」
「多分、母も初めから分けて食べてもらうことを考えて多めに作ったんだと思います……私こんなに食べないし」

最後の一言にはかなり躊躇があったように聞こえたが、一人は黙って即席プレートと化した蓋を受け取った。
箸がないので、まず焼き鳥の串を手に取り、口に運ぶ。

「うん、旨い」
「でしょう?」

少女の得意気な声を聞きながら、続けて串に刺さった鶏肉を食べていく。
彼女が自慢したくてうずうずしているのがよく分かる。
自分が作ったんじゃなかろうに……。

「母の得意料理なんですよ。タレも自家製なんです」
「帰ったらお母さんにお礼言っといてくれよ。悔しいけど旨い」
「悔しいって何ですか、悔しいって」
「焼き鳥には問題ないが、お前のドヤ顔が何となく」
「……馬鹿にしてるんですか、佐倉さん」
「うん」

途端に、少女がむすっとした顔になる。

「ビスケットが昼食で喫煙者で……いい年してロクに栄養管理もできてないくせに」
「俺は太く短く生きるからいいの。っていうか煙草くらい良いだろ別に、犯罪じゃあるまいし」
「知ってますか、煙草一本だけで寿命が十四分縮むんですよ? それに副流煙っていうのがあって……」
「あーあ、出た出た。どうせ学校で覚えたての知識だろ、それ?」
「なっ……そ、そうですけど!」

賢や後部座席の警官達の堪え笑いが漏れ聞こえてきた。
一人と雪は同時に黙ったが、やがて堪えきれなくなったのか雪もくすくす笑い出す。
一人は一人で自分達の会話の下らなさに気づき、苦笑いをい浮かべるしかなくなっていた。

「馬鹿馬鹿しい」
「そうですね、馬鹿みたい……くくくっ」
「おにぎり頂くよ、ありがとう」
「どうぞ」

海苔が巻かれた、昔ながらの形のおにぎりを食べる。
悔しいかな、これまた旨かった。

「佐倉さん、そう言えば」
「?」

ほとんど同時に食べ始めたはずなのに、一人がおかずの半分を食べ終わる前に雪は食事を終えていた。
一体、どれほど空腹だったのか。

「佐倉さんにはパートナーデジモンっていないんですか?」
「いないよ、見ての通り」
「そうなんですか。最初見た時、てっきりいるのかと……」

まぁ、あれだけ混乱した戦場の中なら、パートナーを持たない人間がいるのは不思議な話だろう。
パートナーはいない、この言葉を心の中で反復し直す。
いないのは間違いない、“今は”いない。
一人はこの件を引っ張りたくはなかったし、話題も早々に切り上げたかった。

「でも、すごいですね。あんな戦いになってたのに、慌ててる様子はなかったし……」
「仕事でああいう所はよく行くから、慣れてんだよ」

パートナーは、自分が縁を切ったから“いない”のだろうか?
いや、それは違う。
こちらを見捨てたのはパートナーの方だ。
もうその結論は何年も前に出したはずだ。
もう考えるのは止めろ、自分には関係のないことだ。

「雪ちゃんはパートナーが欲しいのか?」
「う〜ん、よく分からないです。デジモンと冒険するのを羨ましがってる友達もいますけど、私はちょっと」
「冒険なんてのは、昔の話だよ」

もう何か所目かも分からないトンネルに入り、車内が暗くなる。
隣に座る少女も影に包まれ、ナトリウムランプが時々、その表情を照らし出す。
一人のそっけない言葉を聞きながら、雪はそう言えば、と呟いた。

「でも最近、変な夢を見るんです」
「夢?」
「デジモンがたくさん出てきて、戦争している夢です。嫌な夢でした。その戦いを小さなデジモン達と見ていて……」

眉を顰めながら、雪はその景色を思い出しているようだった。

「隣にデジモンがいました。黒い鎧と青いマントのデジモンが」

黒い鎧と青いマント。
それは雪の覚えている、夢の中のデジモンの特徴に過ぎない。
だが、のんびりと言葉を聞いていた一人の表情から笑いを消すには、それで十分だった。

「黒……?」
「え? あ、はい」

突然、一人の表情が変わったのを見て、雪はきょとんとした。
今の話のどこかに、彼の機嫌を損なうような言葉があったのだろうか?

一人は無意識のうちに、雪に顔を近づけた。
狭い車内で雪がその動きに若干仰け反ったことにすら気づかないらしく、昨夜ですら一度も見せなかった真剣な表情で、一人は雪を睨んでいた。

「なんでそのデジモンと君が?」
「え……いえ、分かりません。あ、でも、探していた、って言ってたような……」
「彼は名乗ったか?」
「えーと……はい」
「名前は?」
「彼の、名前は……」

明かりがオレンジ色から自然光に変わる。
その名は、一人が何年も、何十年も聞いていない名前のはずだった。
だが、記憶から消えるほどではない。





「……アルファモン」





それが誰か、俺は知っている。





「なッ……畜生!!」

突然、運転手の叫び声と共に、タイヤが擦れる巨大な音がした。
がくんと体が揺れ、慣性が自分達を席から引きずり下ろそうとする。
一瞬、フロントガラスの先に“上信越道 上越高田”という文字が書かれた緑色の標識が見えたが、すぐに視界が回転し見えなくなった。
シートベルトによって辛うじて座席への激突を間逃れる。

「うわっ!?」
「きゃっ!!」

最初に動いたのは助手席の人物だった。
何が起きているのか分からない内に、ワゴンの扉が開き、賢とワームモンが飛び出していくのが見える。
一人は改めてフロントガラスの先を見た。
どこまでも続いていたようなコンクリートの道路ではなく、巨大な銀色の壁が車の前に立ちふさがっていた。
ワゴンの前方には二台のパトカーが走っていたが、それらも自分達と同様に停止している。

壁の正体はすぐに分かった。
大型トラックが車体を横転させ、停止しているのだ。
バリケードのように。

「え、え!?」
「何だ、何が起きた!?」

状況を理解せずに騒いでいたのは雪と一人だけだった。
ワゴンの戸が開かれ、後ろに座っていた警官達が降りていく。

間もなく、トラックの上にいくつもの影が見えた。
何人かは一人が見たことのある、ほんの昨日まで見ていた姿だ。
そしてそれ以外にも、知っている姿はある。

「絵画を確保する」

クロスハートのリーダー、工藤タイキが呟いた。





賢とスティングモンの隣に、大天使型のデジモンと、そのパートナーも並び立った。
後ろからバタバタと足音が聞こえる。
それに、鉄の塊へ弾薬を装填する音も。

賢は後ろ手で警官達へサインを出した。
自分達と民間人、そして絵画を守り、待機すること。
許可なしに攻撃しないこと。
このテロリスト達はかつて、デジタルワールドで世界の命運をかけた戦いを行った者達だ。
拳銃で制圧できるとはとても思えない。

「君達を見たことがある。高石タケルと一乗寺賢だな?」

横転したトラックの上から、工藤タイキが自分達を見下ろしている。

「まさか貴方に名前を覚えてもらえていたとは。光栄だね」

賢は冷ややかな笑いを浮かべた。
クロスハートのリーダーは堅い表情を崩そうとはしなかった。

「なぜ俺達がここにいるのかは分かるな?」
「難しいな。どうも馬鹿馬鹿しい想像しかできなくてね」
「馬鹿でも何でもいい。君達の荷物に興味がある」

タイキの隣には源輝二と天野ユウ、そして忍者の姿をしたデジモンがいた。
戦闘態勢に入っていることは一目瞭然だ。
タケルが一歩前に出た。

「君達のやろうとしていることは重大な罪に問われるぞ。今すぐに道を空けてくれ」
「罪には問われない。これから起こることで、全てはひっくり返る。君達こそ身の危険を考えて、この場は抵抗せずに下がるんだ。そうすれば危害は加えない」
「断るね。君達を逮捕する」

タイキの身体に影が落ちる。
突然、空から黒いデジモンが、トラックに向けて急降下してきた。
レイヴモンとイクトは捜索隊の車両には乗らず、遙か上空で警戒飛行を続けていたのだ。
そしてタケルの言葉と同時に、攻撃のため凄まじいスピードで降りてきた。

レイヴモンの空中からの攻撃は、地上戦専門のデジモンには決して対処できない。
だからこそ、数々の戦場を経験したクロスハートのリーダーは、横転したトラックの影に別のデジモンを潜ませていた。
遠くから動向を見ていた一人は、そこに立つクロスハートのメンバーに、昨晩まで一緒にいたデジモンと、それを操る女性がいないことに気づいていた。
だがそれを賢達に伝える余裕もなければ、彼らが気づくこともなかった。



「!!」

風向きが変わる。
黄色い翼を装備した女性型デジモンが、大剣を振るいながらレイヴモンの視界に現れた。
彼にとってもイクトにとっても、この襲撃は予期せぬものであり、完全に反応が遅れた。
緑髪の女性がにこりと笑う。

「惜しかったわね」

凄まじい衝撃を受け、レイヴモンと彼のパートナーは道路沿いの水田へ落下した。



「イクトくん!」

ジェットメルヴァモンの攻撃を受け、黒い影が山中へと落下していく。
同時に、横転しているトラックのサイドドアが開き、中から何体ものデジモンが現れた。

タケルと賢は、この襲撃が少人数による小競り合いとなると想像していたが、間違いだった。
クロスハートは戦力のほとんどをこの襲撃につぎ込んでいる。
それはつまり、彼らがこの場で、政府に対し正面から宣戦布告をすることとほぼ同義だった。
引くつもりなど初めから皆無に違いない。
レイヴモンを叩き落とした神人型デジモンに目配せしてから、白衣の女性――あれは東京支部の天野ネネだ――が他のテロリスト達へ指示を出すのが聞こえた。

「パトカーの後ろのワゴンに乗ってる人間を確保しなさい!」

敵は全てお見通しと言う訳だ。

「一乗寺くん、ここは僕達が相手する! 他の皆と……」

タケルの言葉の途中で爆発が起こり、それをホーリーエンジェモンがシールドで防ぐ。
身体を炎で覆った赤い鎧の魔人が、両腕に装備された銃砲で攻撃を始めた。
マッハガオガモンが神原拓也を負傷させたという話を聞いていたが、もう彼も出てきたのか。

「あの二人を逃がせ!」

あの二人が誰を指すのかは聞くまでもなかった。
賢はスティングモンにサインを出し、踵を返して乗っていた車両の位置へ走り出す。
だが、元いたワゴンの位置まで戻ることは出来なかった。
ガードレールが吹き飛び、高架下から黒い鎧を纏ったデジモン――レーベモンが賢の前に立ち塞がる。
警官達が発砲しようとしたが、レーベモンの背後から現れたガードロモンとツワーモンが次々と彼らを薙ぎ払っていく。
スティングモンはすぐさま賢の前に飛び出し両腕のスパイクを展開したが、レーベモンの操る槍の方が射程は遥かに長く、それ以上の前進は完全に封じられた。





一人は舌打ちした。
しばらく車内から状況を撮影していたが、徐々にただ事でない状況にあることが分かってきたからだ。
輸送車の『白梅二椿菊図』が狙われていることは確実だ。
それだけならまだいい――隣の少女がどう思うかは別にして――が、クロスハートの何名かは自分とも面識がある。
彼らが何もせず、自分達を逃がすだろうか?

ワゴンに乗車していた警官は運転手を含め全員出ていってしまったので、今この車内にいるのは自分と雪だけだ。
一人は身を乗り出し、二列目の座席から運転席へと移動した。

「何する気ですか!?」
「トンネルまで下がる。シートベルトしろ!」

ギアをバックに入れ、アクセルを一気に踏む。
運転はここ一か月程した覚えはないし、高速道路でのバックなど当然未経験だが、交通規制が掛ったのか、戦闘が始まってから自分達以外の車両が通行しなくなっているので問題はないだろう。
急に動いたことに対する雪の悲鳴を除けば、ワゴンはスムーズにトンネル内まで後退した。

バックした直後に地面が揺れ、それまで自分達のいた場所のコンクリートがめくれ上がった。

「うおっ!?」
「きゃあ!」

クロスハートのデジモン達が何体か転がり、慌てて防御態勢を取る。
暗いトンネルの中からでは上空の様子が見えない。
一人は慌てて何が起きているのかを確認した。

テロリスト達は圧倒的優位にあった筈だ。
タケルにも賢にもこの戦況を覆す力はない。
だが、DATSと昔の英雄にはあった。

空に浮かぶのはDATSのエンブレムが刻まれたいくつものヘリコプターと、その周りを囲むデジモン達だった。
二体の花の妖精――ロゼモンとリリモンの攻撃が放たれ、賢とタケルの周囲を取り囲んだデジモン達を散らす。

「新手だ!」

クロスハートのリーダーの声と、勇気のデジメンタルを纏ったデジモンが炎に包まれるのはほぼ同時だった。
ファイアロケットが地面を抉り、レーベモンが吹き飛ばされる。
粉塵が辺りを舞い始めた時には、既にフレイドラモンは退化し、ブイモンへと姿を変えていた。
賢には、数十メートル上空にいるであろうブイモンのパートナーが次にどんな行動をとるのか、自分に何を求めているのかが手に取るように分かった。
もう何十回も、いや何百回も行ってきたことだ。

デジヴァイスが輝き、クロスハートのデジモン達の前に、巨大な古代竜人が立ち塞がった。
更にその周囲に、DATSの援軍が次々と現れる。
彼らはヘリから降下しながら攻撃し、テロリスト集団を蹴散らしていく。

クロスハートも攻撃の手を強める。
遅かれ早かれこうした反撃を受けることを想定していたタイキ達は、すぐに攻撃目標を新手のデジモン達へ変更する。
その中の一体、青い機械竜が飛び上がり、空中から彼らに向け極太のレーザーを放った。

「怯むな!」

機械竜の背に乗る金髪の男・蒼沼キリハが叫んだ。

「叩き潰すんだ!」

レーザーは地面を焼き、無人のパトカーを二台連続で爆破させ、黒煙で周囲を支配していった。





タイキの指示とほぼ同時に、スターモンの巨大な剣を担いだデジクロス体・シャウトモンX4が戦場の中心に躍り出た。
振るわれた剣の狙いは古代竜人。
その攻撃は僅かに逸れ、竜人の鎧に一筋の傷をつけるに留まった。
竜人の反撃は早かった。
剣が自分を通過した直後に右腕の銃砲を構え、頭部を狙いレーザーを放つ。
この攻撃は間一髪でシャウトモンX4の急所を外したが、彼の勢いを殺すには十分だった。
古代竜人から二、三歩後退し、距離をある程度開ける。
シャウトモンX4は両腕で剣を握り、呼吸を整えた。

「アンタらがクロスハートのお山の大将か」

ヘリからインペリアルドラモンの肩に移動した大輔は、賢と並びながらシャウトモンX4を見つめていた。
デジクロス体の肩にはテロリストグループを指揮する男がいる。

「モトミヤ・ホールディングスのCEOがわざわざ戦場に出てくるとはな。一体、どういう風の吹き回しだ?」
「うちの会社は現場主義なんだよ。知らなかったか?」

インペリアルドラモンは右腕の銃砲を再び構え、シャウトモンX4と彼の背後にいるクロスハートを牽制する。

「『白梅二椿菊図』は渡さないし、クロスハートもここで終わりだ。お前達は詰んでいる」
「今までの状態なら、な。もう違う。数時間後には――」
「絵画を奪い取り、OZへ潜入した別働隊がラブマシーンも掌握している?」

タイキは息を呑み、目を瞬いた。

「何だって?」
「何って、アンタが指示したんだろう。明石タギルとガムドラモンが再びOZへと潜入してるんじゃないか」

竜人の肩から、大輔は自信たっぷりに言い放った。
自分は全て分かっている、と言わんばかりに。

「OZチャンピオンシップの時はうまく紛れ込んだが、ウチの会社のデータベースへアクセスしたのは早計だったな。佐倉一人が君らと関わってたと分かったのが今朝だ。何も対策を打たずに俺達がここへ来ると思ったか?」

タイキは表情を曇らせ、大輔を睨みつける。
シャウトモンX4はそれに呼応するかのようにインペリアルドラモンを見つめ、一歩、二歩と静かに前進を再開した。

「あいつらは負けない。必ずラブマシーンを奪い取る」
「どうかな? 彼らの相手は何日か前に一度負けた奴だぜ」
「一度負けたから二度目も負けるとは限らない」
「あぁ、その通りだ。いい心がけだな!」

三歩、四歩と進むごとに足が早まり、剣を再び振り被る。
レーザーが放たれるが、シャウトモンX4は高く跳躍してそれを回避した。
インペリアルドラモンとの距離を一瞬にして縮め、彼はその勢いのまま星の剣を突き出した。





仮想世界OZのビジネスエリアにあるモトミヤホールディングスのオフィス、更にその下層。
普段は関係者しか侵入できないエリアへ一時間ほど前に潜入した明石タギルは、アレスタードラモンと共にビジネスエリアの最奥へと向かっていた。
そこはエンジニア以外では解除コードを持つ政府関係者しか入れない空間。
そこに眠るモトミヤ社の“作品”の場所を彼らは既に把握していた。

だが、そこで彼らを待ち受けるアバターまでは把握していなかった。



巨大なゲートの前にそれは立っていた。
金色の髪に赤いジャケットのウサギ。

「ここはコロシアムじゃねぇぞ」

タギルは肩を竦めながら言った。
この言葉が大して意味を為さないことは分かっている。
両手を合わせ、間接を鳴らしながら、アレスタードラモンは一歩ずつ彼に近づいていく。



ウサギは拳を握り、構えた。
あの決勝戦の時は構えてすらいなかったな。
もうひとつ違うのは、今度はゲームではないということだ。

「タギル」
「あぁ。リベンジといこうじゃねぇか」

パートナーの不敵な笑みに頷きを返し、ラバー装甲の竜はOZチャンピオンシップ殿堂入り王者へと飛びかかった。





拡大していく混乱の中で、雪はただ一点を見つめていた。
戦場と化した道路上に停車している中型輸送車。
青と白のカラーリングで辛うじて黒煙の中でも存在が分かる。
おそらく、あれにはもう誰も乗っていないのだろう。
だがあの中には、雪にとって最も大事なものが収容されている。

自分に何ができるのかも考えず、気づけば雪はワゴンから降り、走り出していた。
同乗者が驚いて叫んだが、その声には一切反応せず、黒煙の中に雪が消えていく。



「おい、雪ちゃん! 待て!」

突然走り出した少女を見て、一人もまた車両を降りた。
声が届いた様子はない。
代わりに、巨大な轟音と、光の柱が黒煙から放たれた。
がしゃんという凄まじい音が自分のすぐ隣から聞こえる。
一人がついさっきまで乗っていたワゴンを見ると、そのフロントガラスには巨大な青と白のドアが突き刺さっていた。
あの輸送車のドアに違いない。
あのまま運転席に乗っていたら、恐らく自分は真っ二つになっていただろう。

この場にいても自分の命は保障されない。
DATSにせよクロスハートにせよ、敵を敵と判断して攻撃しているのかも怪しい。
戦いの中心から数百メートルは離れている、この場所でさえ危険だ。
では、あの粉塵の中に愚かにも駆け出していった少女は?

「……あああぁぁぁっ、クソ! ふざけんな! クソが!」

頭を振り、悪態を吐きながら、一人も粉塵の中へ駆け出した。





「……え……?」

雪は瓦礫の中にいた。
いや、中というのはやや語弊があるかもしれない。
確かに自分の周りには焦げたコンクリートと鉄の残骸が山になっている。
だが、雪と彼女の周囲だけは瓦礫がなく、奇妙な円系の空間が出来上がっていた。
黒煙と炎、そして熱と爆風でひしゃげた輸送車が目の前にある。
だがその風景はまるで薄いフィルムをかけたようにぼやけていた。
そして時々、青いノイズが走る。

彼女は今の爆発に巻き込まれたと思っていた。
だが煤や埃が身体に纏わりついている以外に、怪我は一切していない。

「危なかったな」

重く低い声。
強烈に記憶に刷り込まれた声だった。

蒼いマントと黒い鎧を纏った騎士型デジモンが、雪の後ろに立っていた。

「……アルファモン……」

その名を呼ぶ。
夢の中でない場所で彼を見たのは初めてだった。
それとも、これも夢の中?
あるいは自分はもう死んでいて、幽霊になっているとか?

「君は気絶しても、死んでもいない」

雪の思考を読み取ったかのようにアルファモンが言う。

「間もなく時が満ちる」
「時……?」
「役者が揃うのを待て」

落ち着き払った言葉で、黒の聖騎士は雪に語りかけた。
だが、今なぜここにいるのか、自分のやるべきことを雪は思いだす。

「だ、駄目! アルファモン、私は絵を守らなきゃいけないの! ここから出して! 弟が、あの絵を私に……」
「『白梅二椿菊図』はこの時代ではない別の時代からもたらされた。間もなく事態を巻き起こした者達も現れるだろう」
「話聞いてる!?」

直後、ガラガラと瓦礫が崩れる音が聞こえた。
それはアルファモンの背後、彼が周囲に張ったエネルギーの外側から聞こえる。
瓦礫をかき分け、全身を煤で汚した男がそこにいた。
信じられないとばかりに、目を大きく見開いている。



「……馬鹿な」

佐倉一人にとって、約二十年ぶりのパートナーとの再会だった。



「カズト」
「何で……何でお前がいるんだよ……」

佐倉一人のパートナーは雪から彼の方へ向きを変え、右手を軽く振る。
エネルギーのシールドが広がり、一人もその中に収まった。

「時が間もなく満ちるためだ。選択の瞬間に居合わせるためにここにいる」
「選択……」
「未来の選択だ」
「……なんだよ、それ……」
「すぐに分かる」

一人の表情からは、彼の頭に山のような疑問が渦巻いていることがすぐに読み取れた。
困惑し、目の前にいるデジモンを信用できないという表情だ。
雪もまた困惑していた。
それぞれの表情を交互に見つめることしかできない。
この二人は、どういう関係?

そこで、雪はアルファモンの言葉を思い出した。
かつての選ばれし子供のパートナー。

金属がひしゃげる音が響き渡り、思考は中断される。
突然響いたその音に思わず悲鳴を上げた。

目の前の輸送車が鋏で切断されたかのように真っ二つに裂け、メルヴァモンとガードロモンがその間から現れた。
二つに分かれた車両のうち、後部の切断面からは、ベルトで固定された絵画がはっきりと見えた。

「そんな……駄目!!」

声を張り上げてシールドの中から叫ぶが、内部にいる雪は彼らに認知されていないのか、全く反応がない。
二体のデジモンは手を伸ばし、絵画へと迫っていく。

彼らの手が絵画に触れる直前、空間が割れた。


白い聖騎士と、その肩に乗る二人の青年が現れた。



「お前達に手は出させない」

デジモン達も、一人と雪も、状況を理解するまで僅かに時間を要した。
その間に白い騎士は、獣の頭を象った右腕を振るい、一瞬で二体のデジモンを弾き飛ばしていた。
反対側のガードレールに激突し、気を失ったように動かなくなるメルヴァモンとガードロモン。
白い騎士は竜の頭部を象った左腕から巨大な剣を展開し、唖然とするクロスハートの前に立ち塞がる。



その姿を知らない者はその場にはいなかった。
デジモンと人類の短い歴史で最も有名な、最強と呼ばれた存在・オメガモン。
そして、彼の両肩に乗る二人の男。
行方不明となっていた偉大なる英雄。

「ラブマシーンは渡さない。ここまでだ、クロスハート」

英雄・八神太一の最初の発言は、クロスハートに対する宣戦布告だった。

オメガモンの右肩が上がり、獣の頭部から巨大な大砲が姿を現す。
光が収束し、巨大な冷気のエネルギーが充てんされる。





凍りついた表情を浮かべる雪へ、アルファモンが語り掛ける。

「英雄オメガモンとそのパートナー。まずは彼らだ」

アルファモンはこの状況にも慌てた様子は全く見せなかった。
この状況を予め知っていたかのように静かだ。
いや、これまでの彼の口振りからすると、オメガモンがクロスハートの集団と対峙することを本当に予見していたに違いない。

そして、その攻撃が、空から降り立った赤と銀の聖騎士の盾によって防がれることも、彼は予見していたに違いなかった。



ズン、という、コンクリートの地面が揺らぐ音。
砲撃による白い光が拡散し、やがて消えていく。
その騎士は左上に備えた巨大な盾と、右腕と一体化した槍を持っていた。
ガルルキャノンを防いだ盾を降ろすと、彼は言った。

「オメガモン。最後の敵がお前とは」
「デュークモン……松田啓人か? 何故ここに?」
「デジモンの自由を回復するため。クロスハートの邪魔をさせないためだ」
「勝てると思っているのか?」

小さく笑い、赤の聖騎士は一歩下がった。

「いや、貴様の相手はこのデュークモンではない」



次に起きた事態は、デュークモンの言葉に呼応したかのようだった。
炎の雨が降り注ぎ、更に巨大な衝撃がオメガモンの胸部に直撃する。
がくりと足を折り、白の聖騎士はコンクリートの地へ膝をついた。
その衝撃で太一とヤマトもバランスを崩し、危うく彼の肩から落ちかける。

この戦いでオメガモンに最初の一撃を与えたのはデジモンではなく、人間の拳だった。
どこからか現れたその男は、地面に落下する前に殴った拳をデジヴァイスへと当て、その力をパートナーへと供給する。
男が言った。

「行くぜ、シャイングレイモン」





オメガモンの瞳に、全身を炎で纏い、巨大な炎でできた剣と盾を構える竜人が映った。
限界能力を発動した炎の光竜と、そのパートナー。
彼らもまた行方不明になっていた筈だった。

大門大とシャイングレイモン。
デジタルワールドに名を馳せた、無敵の英雄。







シールドの中で一人と雪へ、黒い騎士が告げる。

「アルマゲドンの使者が降り立った。人類史に残る最後の戦争と、審判が始まる」



その言葉を裏付けるかのように、聖騎士のグレイソードと、光竜のコロナブレイズソードが激突した。





「選択の時だ」


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