バウンダリー
3/Side:White
“あなたはわたしの”







・この第三話雪サイドは前半最大の見せ場でもあり、最も難しい部分でもありました。
プロット組み立ての時点からこの話の難しさは分かっていたのですが、それにしても本当に難しく。
端的に言って、「自分の小説で10,000字でどこまでできるか」に挑戦した回だと思います。
実は初稿段階では約11,000字あり、四苦八苦して削りに削って約10,000字まで持っていった経緯があります。
(勉強になったのは、誤字脱字や表現の変更などで削れる限界は約500字で、それ以上は内容そのものを変える必要があるということ……)
書くことよりも削ることの方が遥かに大変であることを嫌になるほど思い知らされた回でした。

今回のタイトルは『おおかみこどもの雨と雪 オリジナルサウンドトラック』収録の、高木正勝さんの曲「あなたはわたしの美しいうた」から。
映画では終盤、雪が草平に重要な告白をするシーンで流れる楽曲です。







雪はうっそうと茂る野草の中に身を隠しながら息を殺し、慌ただしく動く影を見ていた。
黒いゴムスーツを身にまとい、不気味なガスマスクを付けた者達は人間に見えるとは言い難い。
あれはデジモンだ。

「見つかったか?」
「いや、まだだ」
「急げ。殿下をこれ以上待たせるな」

酷く平坦な声で会話すると、ガスマスクの者達はまた散り散りになりその場を離れていく。
雪は目を瞑り、静かに息を吐いた。
普段ならこの山で、登山ルートを外れたこの辺りに人の姿を見ることはほぼ無い。
彼女の探し物と彼らの探し物が同じ証拠は何ひとつないが、おそらく同一だと考えていいだろう。
問題は、その探し物を彼女自身も発見できていないことだった。
昼間から探し続けているが、地元とはいえ何年か前の記憶だけを頼りに、山のどこかにある祠を見つけるのは至難の業だった。
幼少期の頃なら、既に見つけているかもしれない。
当時の彼女は今よりも、山のにおいの嗅ぎ分け方や、全速力での走り方を知っていた。
今、それをやるつもりはないが……。

一度、山を降りるべきだろうか?
少なくともあの不気味な集団よりは、タケルや警察の人々の方が信用できる。
意を決し、立ち上がろうとした時、背後から声が聞こえた。

「ふむ、このような見目麗しきレディすら見つけられないとは、同志達の目は節穴だな」

冷たい、落ち着き払った声。
振り向き、その声の主を見た時、冷たい印象は強まった。

「まぁ良い、こうして今私が君のことを見つけられたのだから」
「あなたは誰?」
「しがないただの貴族だよ」

鎧を纏ったそびえ立つ巨躯が、優雅に頭を下げた。
黒い騎士。
やはり人間ではない。

「こんばんは、レディ。我らの無礼を許してくれ。少々探し物をしていたものでね」

どくん、と心臓が跳ねる。
彼も、あの集団と同じ?

「この辺りはデジタルワールドの奥地に負けず劣らず険しいな。鉄の身体に山登りは少々堪えるよ。君は地元民かね?」
「……!」
「おや、無反応かね……まぁ、良い。この場に今いるということが、君の立場を何より雄弁に語っている。故に」

足音と共に、黒い騎士が一歩前に出ると、その巨体で雪の周囲が彼の影に覆われた。

「我々の探し物に少々協力して頂こうか、レディ? 案じずとも悪いようにはしないさ」

ゆっくりと黒い騎士が自分に手を伸ばしてきた。






↑ダークナイトモンの悪役っぷりが際立つシーン。
「ただの貴族」ももう、当たり前のように言わせたくなって言わせました。
個人的に聞いてもいないことをとにかくベラベラ喋る悪役は大好きです。
『イングロリアス・バスターズ』のランダ大佐然り、『マトリックス』のエージェント・スミス然り。
今回の話でも、ダークナイトモンはほぼ全編喋り続けています。





雪は悲鳴を上げそうになったが、その代わりに彼女の口に何かが覆い被さった。
何かに支えられ、体がふわりと浮かぶ。
すぐさま、周りの景色が安定すると、自分が今どんな状態にあるのかをようやく理解した。
黄色い人型に、いつの間にか横になった自分の体が抱えられている。
まさかこんな状況でお姫様抱っこをされるとは思わなかった。
しかも、このデジモンは数日前に見たことがある。
忘れるはずがない。

「ヘイ、大丈夫か?」
「な、な、な……」

かつてOZ内で彼女に声をかけてきたデジモンは、今度はテキストではなく、はっきりと聞き取れる声でそう聞いてきた。
周囲を見回すと、現れたのは黄色い鎧のデジモンだけではなかった。
金髪の青年、長い髪を纏めた白衣の女性、蛇のような装飾のついた鎧を纏った女性のようなデジモン、二本の光る刃を構えた、面を被る戦士。

あとはその後ろに、カメラを構えた男がひとり。

「おや、これは珍しい」

黒い騎士はおどけたような声を出し、両腕を広げた。

「伝説のヴォルフモンに……ユウ、ネネ、ツワーモン。放蕩息子が帰ってきたか。いや、この場合は放蕩姉弟と言うべきかな?」
「勘弁してよ。こっちはDLFが活動しなくなってホッとしていたのに」

騎士は頭を振った。

「随分な言われようだ。君達クロスハートも我々が目指すものも同一、デジモン達の解放なのではないかね?」
「クロスハートは人間の排除が目的じゃない。それにダークナイトモン、たとえ目的が完全に同じでも、腹黒いお前と組むつもりはないよ」
「残念だな。私はそこまで信用がないのか」

これは困った、とため息をつく騎士を、両手に光る剣を持った人型のデジモンが彼を睨みつける。

「ここで油を売る暇はない。何も持たずに今すぐここから去ってもらおう」
「焦っているな。警察やDATSが我々同様、この山に入ってきているからかな?」
「そうだ。お前達だって同じ条件だろう」
「生憎、彼らの相手は優秀な同胞がすることとなっていてね」
「汚れ仕事は他人任せか、お前らしい」
「ヴォルフモンくん、紳士は自分から無骨な戦いには挑まないものだよ」



雪の頭の中では見知らぬ者達が会話している間、いくつもの疑念がぐるぐると渦巻いていた。
とはいえ、どちらもタケル達と同じグループではないことは明白だ。
したがって今、この山の中には三つのグループが入り込んでおり、そのどれもが同じものを追っている。

黄色い鎧のデジモンは既に自分を降ろし、その視線はダークナイトモンに向けられていた。
彼は最初に雪に対して接触を試みてきた。
祠の絵画を探しているのは間違いないが、ここまでの態度を見るに、少なくとも危害を加えるつもりはないらしい。
その点では、あの黒い騎士よりはまだ彼らの方が信頼できる。
だが、それはあくまで今の状況から見た相対評価に過ぎない。
前のように逃げるべきだろうか?
いや、そもそも逃げ出せるのか?

視線を感じ、雪は顔を上げた。
隣に立つ無精髭の男がこちらを見ている。

「あ、あの?」
「あぁ、いや。君について面白い事態になってるなと思ってね」
「はぁ」

その言葉はどこか真剣さに欠け、答えも要領を得なかった。
戦闘要員に見えないこの男は、この場ではひどく浮いて見える。
雪は彼を、この場ではそれほど重要な存在ではないと判断した。

「さて諸君。交渉に入りたいのだが」

黒い騎士が再び注目を集めるように声を出した。

「私としては、そこにいるレディの協力を得たい。どうかな、彼女を引き渡して頂き、私はすぐに身を引こう。無駄な血を流したくはあるまい」
「却下だ。そもそも交渉をするつもりはない」

ヴォルフモンに光の刃を突き付けられてもダークナイトモンは動じない。
騎士の真上に月が輝き、その姿は逆光で余計に大きく感じる。
最早その口調にははっきりと冷笑が含まれていた。

「残念だ。今のは最後の警告だが、もう少し考える気はないのかな?」
「このリヒト・シュベーアトは貴様の鎧も関係なく切断するぞ」
「まぁ、そうだろうね。それが私に届けば、だが」

突然、月光が映す暗黒騎士の影から二体のデジモンが飛び出した。
両手に剣を握った、黒い翼を持つ人型のデジモン。
カラス天狗、という喩が最も適している。

「カラテンモン、余計な奴らは切り捨てて女を確保しろ!」

光刃を曲芸のような動きで潜り抜け、カラテンモン達は雪へ急接近する。
蛇の鎧を纏った女性型デジモンが飛び出し、剣を一閃すると彼らは一旦後ろへ跳んだが、再びこちらへ向かってきた。

「ツワーモン、彼らを押し返せ!」
「メルヴァモン、絶対に通さないで!」

雪の傍に立っていたデジモン達がカラス天狗に向かうが、その動きを捉えることに苦戦していた。
さらにその先では、ダークナイトモンが巨大な槍を握り、ヴォルフモンへと攻撃を始めている。
明らかに分が悪い。
女性型デジモン・メルヴァモンへ指示を出した白衣の女性がこちらを振り向き、叫ぶ。

「一人くん、雪ちゃんを連れて逃げて!」

雪はその言葉に驚いたが、もっと驚いた様子なのは一人と呼ばれた無精髭の男性であった。

「おい、俺かよ!?」
「分からない? あなたの命だって危険なのよ! 私達もすぐに追うわ!」
「くっ……」
「あっ、え!?」

男は雪の腕を掴み、彼女の反応を無視して茂みの方へ走り出した。
雪は自分の腕と、戦いの場と交互に見る。
ツワーモン達はさらに後退し、ダークナイトモンの掌底がヴォルフモンの腹部に直撃し彼を弾き飛ばす。
腕が更に絞められる。

「痛っ、痛い! 離してください!」
「馬鹿、ネネの話が聞こえなかったか? 逃げるんだよ!」
「自分で走れますから! それより」

雪は周囲の景色、地面の微妙な傾斜から、強烈な焦燥感を味わっていた。
弟ほどではないが、山に慣れ親しんできたから何となく分かる。
そしてこの男はおそらく分かってない。
この先は……。

「崖っ……」

地面がずるりと崩れ、男の身体が揺れた。
そして彼に引っ張られた自分の身体も。
バランスが崩れ、視界が一気に回転し、また体が浮く。

うわぁ、最悪。

一人と雪は落下していった。


「うおああっ!?」
「きゃああああああっ!」






↑この場面のヴォルフモンの描写は非常に苦労しました。
(理由は後述します)
この場面が、この物語におけるふたりの主人公の初対面なのですが、なんとまぁ味気ない。
この後の場面でも明らかですが、第三話の一人と雪の会話は全編に渡り不協和音の鳴り響く会話となっています。
なお、ダークナイトモンの「放蕩息子が帰ってきたか」の台詞のくだりは、『マトリックス レボリューションズ』のメロビンジアンの台詞のパロディです。
元ネタでもそんなに大事な台詞でない上に『〜レボリューションズ』見てる人がどれだけいるのやら。






ダークナイトモンとカラテンモンの攻撃は止まらず、クロスハートは窮地に陥っていた。
この敵に勝つ必要はないが、少なくとも時間稼ぎはしなければならない。
一人は雪を連れて、もう十分に離れただろうか?

メルヴァモンは慎重に攻撃を受け流していた。
カラテンモンの動きはアクロバティックだが、その剣術は無骨で、彼女の眼は少しずつその動きに慣れてきていた。
彼女は何十もの攻撃を弾くと、次の攻撃のために腕を上げた一瞬の隙を狙って、右腕の大剣を振るいながら前転する。
カラテンモンの左腕が宙を舞った。
同時に銃弾の雨。

「敵を殺せ!」
「狙え、狙え!」

茂みの奥から大量のトループモンが銃を構え、猛攻をかけてくる。
着地と同時に、メルヴァモンは姿勢を低くするしかなかった。
隣では傷を負ったヴォルフモンが、光刃を巧みに動かし、なんとか攻撃を回避していた。

「このままでは犬死にだ」

ふいに、ヴォルフモンの肩をメルヴァモンが叩いた。
彼女は奥にいるユウとネネを指す。
ユウは仲間内での共通のサインを送り、それからツワーモンと森林へ下がっていく。
指示は単純明快、「撤退」のサインだ。
このサインを出した理由はまもなく分かった。
茂みの奥で何体ものデジモンが倒れる音と、トループモンのうめき声が聞こえる。
ヴォルフモンはメルヴァモンと共に立ち上がり、銃弾を弾きながら後退していく。

ダークナイトモンは最早こちらを見ていない。
新たな乱入者の方を見ている。





ダークナイトモンの援護に回っていたトループモンは全滅し、彼らを阻む者はいなくなった。
スーツ姿の長身の青年と、彼よりももっと長身の人型デジモン。
八枚の白い羽根が、デジモンの階級を雄弁に表している。

まず、ダークナイトモンの隣に立つカラテンモンが動いた。
剣を閃かせ一瞬で距離を詰めるが、この攻撃の見返りは後頭部への強烈な打撃によってもたらされた。
黒い騎士はその結果に不満そうに首を振った。

「諸君の相手はグロットモンのはずだが」
「さて、そんなデジモンには会わなかったな。それに僕達の相手は、僕達自身に選ぶ権利がある」
「ならば、今ここから逃げ出した面々はどうだね。彼らはクロスハートと名乗っていたぞ」
「大体は聞こえてたさ。彼らのことも気になるが、それよりも僕らの仲間を攻撃してきた奴らの方が優先だ」

ダークナイトモンの瞳が怒りに燃える。
全く、仕事が進まないではないか。
しかもこの男は、愚かにもこの私を打ち負かす気でいる!

「DLF幹部、ダークナイトモンだ。お見知り置き願おう」

大天使型のデジモンが構えるのを見て、ダークナイトモンは槍を再び構えた。
金髪の青年がニヤリと笑った。

「内閣情報調査室、高石タケルとホーリーエンジェモンだ。先に言っておくけど、僕達は強いよ?」

大天使の右腕から紫の光が放たれ、剣の形を作る。
暗黒騎士は槍を回転させ、前進した。






↑場面が目まぐるしく変わる一幕。
物凄く限られた文字数の中で場面に登場するキャラクターの入れ替えを行いました。
クロスハート対DLFの場面からダークナイトモンの目線の先に誰かがいることを表した上でタケル&ホーリーエンジェモン登場。
タケル側の情報はほぼ全て台詞で処理しています。
この場面のタケルはやや黒いモードと言いますか、底の見えない感じにしています。
この後の戦闘も含めこの物語におけるホーリーエンジェモンは究極体ともまともに戦える設定のため、見栄を切った描写になりました。






「痛ぁ……うぅっ……」

数メートル落下してから雪の体は止まった。
体の節々が痛んだが、意識ははっきりしているし、足も腕もちゃんと動く。
目を開けると、相変わらず四方八方木々ばかりだが、少なくとも物騒な戦いは眼前には無かった。

少しずつ直前に起きていた出来事が頭の中で蘇り、自分がここに落ちてきた原因となった男のことを思い出す。
色々と言ってやりたいこともあるが、それ以上に安否が心配だ。
辺りを見渡しても、人影はない。

古びた木製の建築物があるくらいだ。

「って……あれ?」

何十年も、何百年も前からそこにあるような佇まい。
場所は曖昧でも、この景色ははっきりと覚えている。

雪は二年ぶりに、祠の前に立っていた。

つかの間、その景色に見とれていたが、茂みの擦れる音が辺りに響き、彼女は現実に引き戻された。
動物でもデジモンでもない。
この状況を招いた者が現れた。

「痛ぇ……お、見つけた……」
「だ、大丈夫ですか?」

流石に心配になって一人に駆け寄るが、大きな怪我はしてないようだ。
「まぁ、何とか」と言いながら、男は肩にかかっているカメラを持ち上げる。

「壊れてねぇかな。会社のなんだが……」

一眼レフの心配を始めた男を見て、雪の思考は急に冷静になった。
骨折や怪我などの大事でないならば、これ以上彼に関わること自体が無意味な気がする。
信用に足る証拠もない。

「君は大丈夫かい、雪ちゃん?」
「……」

おまけに名前も知られている。

「……えっと。大丈夫です」
「そうか。参ったよ、特ダネだと思って来てみたらこの災難だ。骨折でもしてたらどうなったか」
「災難……」

まるで自分は巻き込まれた被害者であるとでも言うような口調に、雪のこの男への印象は更に悪くなった。
真に巻き込まれたのは一体誰だと思ってるの?
自分が崖下へ落ちたことを差し引いても、彼女は今この山の中で起きていることにうんざりしていた。

「あの!」
「ん、何だ?」
「地元の人間として言わせて頂きますけど、出来るだけ早くこの山から下りて貰えませんか? あなたも、一緒に来た人達も」
「いやぁ、そりゃ難しいな」

困ったような表情を作り、右手でコートの内側を探りながら、一人が面倒くさそうに答える。
イラッとする。

「俺は取材で同行してるだけなんだよ。そりゃ、クロスハートの目的が果たされれば、奴らはすぐに山を下るだろう。だがあんな混戦じゃ……」
「煙草」
「え?」
「煙草、止めてもらえません? ここが何処だか分かってますか? 山の中ですよ?」
「……あ、あぁ、分かったよ」

一人は銜え込みかけた煙草をケースに戻し、残念そうに胸ポケットへしまう。
溜め息をつく雪に、一人の声はあからさまな猫撫で声になる。

「ところで、なぁ雪ちゃん。事が済んだら少し話を聞かせてもらえないか? ウチの雑誌のために……」
「嫌です」
「なら、記事に実名は出さないから……」
「嫌です」

取りつく島もない反応に、一人は頭を掻き毟る。
どうやら自分が邪険にされていることに気づいたらしいのを見て、雪は僅かに苛立ちが解けたのを感じた。
だがすぐに、一人の興味は自分ではない方向へ行く。

「……そういや」
「え?」
「こりゃ何だ? もしかして……祠か?」

雪の背後の建築物に気づいた一人が、祠の中へ入っていく。
あれ、ちょっと待って。
この中のものをみんな探している……んだよね?

「ま、待ってください!」

雪は慌てて一人を追い、祠へと入る。






↑物語中、初めて一人と雪がふたりだけで会話する場面です。
ご覧の通り、凄まじい不協和音が流れています。
『時空〜』を書いている頃から、僕は小説で会話したことのない組み合わせを会話させる場合、
「どうなるかな」とよく脳内で即興の会話劇をやります。
(いわゆるエチュードです)
当初、第三話で一人と雪を合流させることだけは決まっていましたが、ふたりの距離感をどうするかは全く決めていませんでした。
エチュードをやってもらった所、すぐに喧嘩が始まったのを覚えています。
「これは非常においしいな」と、そのまま本番でも雰囲気の悪い会話をやって頂きました。

なお、ここでの煙草についての会話は物語全体で割と重要です。
物語を始める前、一人が喫煙者かどうかは決めていませんでした。
が、ちょうどこの第三話を書いている頃、奇しくも『風立ちぬ』の喫煙描写が騒がれていた時期でもありまして、
当て付け的に一人にも吸わせ、それを雪に咎められるという描写にしてみました。
これを物語全体にとって重要な描写にしようと思ったのは第四話執筆の頃で、第三話時点ではそこまで考えていなかったのも白状しときます。






一人と雪は、そこに飾られている絵画を見た。
柔らかな表情の女性に、四つの青白い球体の絵。
この光景を忘れるはずがない。
二年ぶりに、雪はこの絵を見た。

一人は慌ててスマートフォンを取り出し、保存していた画像と、目の前の絵画を見比べる。
確信を持ったようだった。

「『白梅二椿菊図』。これか」
「……やっぱり……」

雪は無意識のうちに、口に出していた。
一人が怪訝そうな表情を浮かべる。

「雪ちゃん、知ってたのか?」
「え、う……その……一度だけここに来たことがあったんです」

とっさに嘘を付くことが出来ず、雪はそのまま事実を話した。

「場所は忘れていました。偶然……偶然です。ここに戻って来れるなんて。二年前に来た時はこんなこと……」

観念したように雪は説明したが、この説明に一人は戸惑っているような反応を見せる。

「二年前……だと?」
「はい……」

淡々と答える。
その言葉を聞いて一人の表情はますます困惑の色を浮かべた。



「雪ちゃん、その話――」
「見つけたァァァ!」

会話は強制的に中断された。
古い木製の屋根が吹き飛び、祠全体が揺れる。
二人の背後に、土色の怪人が現れた。

「案内ありがとよ、お陰でやっと見つけられたぜ」

舌なめずりをしながら近づく新しい敵に、雪は後ずさりした。
一方、一人はやや無感動な表情で彼を眺め、ぼそりと呟いた。

「あんた、DLF?」
「おうよ、土の闘士ギガスモン様よ!」
「絵画を求めてきたんだよな? 後ろの奴を」
「それ以外に何があるってんだよ。邪魔する気なら容赦しねぇぞ?」

一人は少し思案するような表情をした。

「いや、この絵画をお前らが持っていくのは構わない」
「ちょっ!?」

元も子もない提案に、今度は雪が驚きを口に出す番だった。
一人は続ける。

「ただ、ちょっと待ってくれないか? クロスハートでも警察側でも無い奴が何事も無くこれを回収して終わり、ってのは、若干収まりが悪い」

ギガスモンは眉をぴくりと動かす。

「そりゃどういうことだ」
「俺は結果がどうなろうと構わない。取材をしてるだけだからな。その、例えばお前がクロスハートか警官の誰かに苦戦してからこれを持ってくとか、そういう画が欲しいんだよ。なぁ、ここはどうか」

そこから先の言葉は聞こえず、その瞬間に雪の隣から一人が消えた。
見えたのは拳を付きだし、怒りに燃える瞳を見せるギガスモン。
派手な音を鳴らして祠の柱に叩き付けられたのが一人だと気づいたのはその後だった。
どうやら、明らかに今の言葉が、ギガスモンの導火線に火をつけてしまったらしい。

「誰が苦戦したって? あぁ!? 誰がだ!」

木片と埃に埋もれた一人の返事は無い。
意識を失っている。

「……で、ガキ。テメェまで頭の足りねぇことを言いだすんじゃねぇだろうな?」
「……こ……」

鋭く、殺意の籠った瞳で睨まれる。
怖い、怖いけど。
引けない。

「こ、これは渡せません……」

あぁ、言ってしまった。
眼前の表情が更に歪むのが見てとれる。
大人を一撃で失神させた、筋骨隆々の腕がまた振り上げられる。

もしかして、死ぬのかな、私。





↑『白梅二椿菊図』を『時をかける少女』で見たことがある人は多いでしょうが、
おそらくタイトルは知らない人も多いはず……ということで、この場面のイラストをENNEさんにお願いしました。
「一点透視法で、『白梅二椿菊図』を『2001年宇宙の旅』のモノリスのような配置で置いてください」という、
「言うのは簡単だけどお前……」みたいな注文をしたのを覚えています。
結果として素晴らしいイラストを仕上げてきたENNEさんには頭が上がりません……。

ここでの一人は雪との会話も含めKY度が極致にまで達しており、その結果ついにぶっ飛ばされてしまいます。
もちろんこの後の展開を踏まえての流れなのですが、ギガスモンに殴られて死ななかった一人はかなり頑丈なのかもしれません。






「っ!!」

その時、ギガスモンの腕に何かが纏わりついた。
背筋が凍るような獣の唸り声と共に。

「ぐおあああああぁぁっ!?」

壊された屋根から侵入したと思われる影は、二、三倍は体格の大きい怪人に噛みつく。
蒼と灰色の混ざったような色がギガスモンに更に纏わりつき、叩き、傷つける。
周囲の暗さもあり、まだはっきりとその姿は見えないが、強烈に見覚えがあった。
狼だ。

大きな音と共にギガスモンの巨体が祠の壁を破り、茂みに落ちる。
なおも蒼い狼は離れようとはしなかった。
大きな歯型が、巨大な腕に見える。
土色の怪人は拳を何度も振るったが、全て空を切っていた。

やがて、怪人は雪の視界から消え、同時に別の気配が近づいているのを感じた。






↑この場面で物語中初めて“狼”という言葉が登場します。
それまでは雪についての描写をする時にも一度も使いませんでしたし、
またヴォルフモンの描写でも“狼”という言葉を避けていました。
(これが前述の、描写が大変だった理由です)
狼がデジモンと戦ってどのくらいの強さなのか、は難しい部分なので、
この場面でもあくまでギガスモンを倒すわけではなく、雪から引き離す役目に留めています。






ホーリーエンジェモンは何度か暗黒騎士と切り結んだが、やがて彼は動きを調整し、複雑な形をした木々が集まっている場所から、やや開けた崖まで後退していた。
ダークナイトモンの攻撃に怯んで撤退したのではない。
彼の攻撃は強烈だったが、理由は別にある。
何より、ホーリーエンジェモンには自ら望んで後退するだけの余裕があったのだ。

ダークナイトモンは苛立ち、槍の攻撃を更に激しくした。
なぜ、ここまで一撃たりとも直撃していないのだ?

「焦っているようだな、ダークナイトモン」
「貴様……!」
「無理もない。今まで私とタケルが、どれ程の数のデジモンを相手にしてきたか分かるか?」
「分かりたくもないな」
「少なくとも、君と同等のデジモンを片手で相手できるくらいには数をこなしたつもりだよ」

この挑発には、紳士と言えども怒りを露わにせざるを得ない。

「ならば試してみるか! デジモンの魂を売った下賤な天使め!」

怒号を放ち、槍を回転させ突進する。
この時、ホーリーエンジェモンは左腕を前に出し、シールドを展開して防御の体制を取っていた。
右腕の聖剣を回転させ、空間を切り取りながら。

「ここまでだな」

大天使の必殺技である、異界への門・ヘブンズゲートが開いた。
障害物の無い広い空間で展開され、その引力は最大限にまで発揮される。

ダークナイトモンはとっさに槍を放棄し、両手で呪印を描く。
魔方陣が描かれ、ヘブンズゲートに魔力を持った黒い糸が何重にも巻きつくことで、空間の吸引が止まった。
だが、これで詰みだった。
エクスカリバーを突き付けられ、動ける状態ではなくなる。
タケルの勧告が響く。

「観念して、両腕を頭の後ろに。そうすればヘブンズゲートを閉じよう」

ダークナイトモンは両腕をゆっくりと上げる。
そして、魔方陣を解く。

「愚か者! この私が降伏などすると思うかね!?」

ゲートが再び開く。
だが、そこにあるのはヘブンズゲートではなく、黒い瘴気を放つ扉だった。
魔方陣は封じるためのものではなく、書き換えるためのものだった。

剣を潜り抜けた暗黒騎士の身体が、闇の中へ飲み込まれていく。
開いた瞳孔は最後まで大天使とそのパートナーを見つめていた。

「覚悟したまえ、愚民とその飼い犬達よ! 今に貴様達の時代は終わるのだ!」

笑い声を上げながら、暗黒騎士はゲートの先へと姿を消した。






↑ホーリーエンジェモンがその実力を存分に発揮するシーン。
ヘブンズゲートを閉じる描写はマンガ版クロスウォーズ第二巻の、空間の裂け目を閉じる描写を参考にしています。
前半の余裕たっぷりの様子から一変し激怒する紳士含め、短い中に色んなものを詰め込んだ場面です。






ギガスモンが身体を何度も回転させると、蒼い狼の攻撃は収まった。
彼はすぐに再び立ち上がる。
この猛攻は確かに厄介だったが、強靭な彼の肉体に大きなダメージを与えるまでには至ってなかった。
身を隠したのか、狼は見えない。
ならば再び地の底から攻撃を仕掛けてくれる。

そう考えた時、何故か身体が宙に浮いた。
そしてそのまま、今度は巨大な木々の枝へと突っ込んだ。

「今度こそ逃がさないぞ、モグラめ」

黒い鳥人と人型の昆虫が、それぞれの刃を自分の目の前で光らせていた。
地面は今や十メートル以上も離れている。

「お、おぉ、久々だな、お前ら……俺を降ろす気はないのか?」
「自主的に気絶してくれるなら、そうしてもいい。そうでなきゃ、このまま一緒に来てもらおう」

鳥人がニヤッと笑うのを見て、ギガスモンはうなだれた。






↑敵キャラの最後はちょっと惨めに終わらせる、というのが昔から好きです。
ダークナイトモンをかなり派手に倒したタケルに対し、こちらは割と渋い感じで締めました。
書き始めた段階ではこの場面でギガスモンを捕えるのがクロスハートでも良いかな、と思っていたんですが、
今後の展開を考えDATS側に変更しました。






雪は気絶した一人を何とか瓦礫の中から掘り出し、比較的状態のましな木片を枕代わりにして彼を寝かせていた。
助けが必要だ。
自分はともかく、一人を置いていく訳にはいかなかった。
それに、一度に色々なことが起こり過ぎている。

雪は荒れた呼吸を何とか整えながら、祠の入り口を眺めていた。
そして、人影を見つけた。

最初は、その人影は自分が写真でしか見たことのない人物だと思った。
家に飾られている、あの小さな免許証の写真の人物。
だが、その人はこの世にはもういない筈だ。

「雪」

人影が近づくと、まもなく間違いに気づいた。
彼もまた自分がよく知っている。
二年ぶりにその姿を見た。

「良かった、無事で」
「あ、あ……」



免許証に写る人と母の息子。
この山を治める存在。
そして自分の唯一の弟が、そこにいた。

「怪我はない? 大丈夫だった?」
「雨……」



この……。



「馬鹿―っ!」

ほとんど反射的に出た声に、弟は目を丸くしていた。

「二年も姿を消して! 私と母さんがどういう思いしてたか!」
「……ごめん」
「ほ、ほ、本当よ! あんたは大体……!」

実際のところ、母はもう決意して彼を送り出しているし、自分もその母に賛同し、彼を応援しているつもりだったのだが。
まず罵声が出てしまった。
今や自分よりも遥かに高い身長、ますます父に似てきた顔立ち。
あぁ、怒ってるんだか嬉しいんだか、自分でも分からない。



罵詈雑言を浴びせる間、雨は無表情で(こういう所が昔と変わっていないのがまたムカつく)ただそれを聞いていた。
やがて、ひとしきり怒りを爆発させた後、雪はようやく落ち着きを取り戻した。

「……雨、そういえば、ここ……」
「うん」

弟は雪の前を通り、絵画の前に立つ。
そしてその絵画の縁を慎重に触りながら言った。

「雪も来てたんだね」
「あんたは……」
「ここは元々、先生の寝床のひとつだった。先生は人間の作ったものには近づかなかったけど、何百年も放置されているここだけは別だった」
「……そう、なんだ……」
「先生の跡を継いですぐに、この絵が飾られていることに気づいた。不思議だった。いつから置かれているかも分からないものなのに、この絵は全く劣化してない」

しばらく沈黙が流れた。
この絵が今、どういう状況に置かれているのか。
それを雨に説明しなければならない。

「雨、山を荒らしてしまってごめんなさい。この絵画は……」
「うん。みんなこれを探しに来たんだろ」
「そう、みたい」

雨はゆっくりと雪の方に振り向いた。
その無表情から何かを読み取るのは難しい。
恨んでいる訳でも、悲しんでいる訳でもない。
ただ静かに、呟くように、雨は言った。

「僕はこの山を離れることはできない。だけど、今起きていることを終わらせるために必要なら、僕はこの絵を預けてもいい」
「……雨、でも……」



唯一の弟の、静かな懇願。

「僕の代わりに、雪が持っていてくれ。僕と、先生からのお願いだ」






↑雨の登場。
この場面を以て、前半戦の雪の物語は一旦の結末を迎えます。
場面的には、映画で別れてから二年ぶりに再会する設定なので、会話にはかなり気を遣いました。
『おおかみこども〜』のオーディオコメンタリーで細田監督は、
「雨の会話は独り言っぽく、誰かと会話する時もすれ違っているように聞こえるよう演出した」と語っていました。
この場面の雨も会話が成立するギリギリの所で、“会話なのか独り言なのかよく分からない”ようにしています。

ところでこの場面の雨は人間時の姿に戻っているため、「服はどうしたのだろう?」と書いている時点から思っていました。
全裸なのかもしれませんが、映画のラストでは服を脱いだ描写のないまま狼になっていたので、
その逆もアリと考えて服装の描写は一切描きませんでした。
案外、人間として生きていた頃の服をそのまま大事に持っているのかもしれません。



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