バウンダリー
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“戦火”前編






・前回の第三話で一人と雪が合流し、物語のふたつの道が重なりました。
このため、この第四話からは「Side:Black」「Side:White」という形ではなく、「前編」「後編」として一本の物語として進んでいきます。
(余談ですが、これについて打ち合わせ中、flyoneさんから「一人と雪の境界(バウンダリー)が崩れたということですよね」と言われました。
作者でありながらそこまで考えていなかったので「上手いですね……」とフツーに感心してしまいました)
全体の流れで考えても、第三話で前半のストーリーが一旦落ち着き、この第四話が最後の盛り上がりへと向かうという重要なパートです。

タイトルはちょっと捻っていて、DEXPISTOLS Feat.ZEEBRA「Fire(No Nukes Rebirth)」から取っています。
そのまま「Fire」だとフロンティアのオープニングテーマを連想してしまうので。







「あらゆるものが焼かれる。英雄達がその力を振るう。空は裂け、弱者の住む場所が消え去り、星でさえ燃え尽きる。アルマゲドンの始まりは近い」

この夢を見ることはますます頻繁になっていた。
しかし、一向に慣れることはない。
これを見るたびに同じ恐怖心を味わう。
足元の小さな命達と同じように。

雪は目の前の光景から、隣に立つ蒼いマントの影へと視線を移した。

「ねぇ、教えて。これは夢でしょう? なぜこれを私に見せるの?」
「これは予見だ。そしてこの景色に君は居合わせる」
「あなたは一体何者なの?」
「私はかつての選ばれし子供のパートナー。この未来の先を知り、複雑に絡まる因果の糸を調べ、そしてようやく君を見つけた」
「あなたの名前は?」

影は雪を見下ろす。
雪は初めて、彼の赤い瞳をしっかりと見た気がした。

「私の名は――」



そして雪は目を覚ました。
既に朝日が昇っていた。






↑物語で夢の描写が繰り返されるにつれ、伏線となる情報が増えていきますが、第四話では夢の描写に関する情報がほぼオープンになります。
「実はこうでした」という答え合わせが行われるのは五話ですが、ストーリーをそこへ導くための材料はこの話で出揃っています。
順書きと言いますか、僕は基本的にストーリーを時間軸に沿ってそのまま書いてますが、このシークエンスは少し変則的で、第四話で一番最後に書きました。
後編の一人と雪の会話を先に書いてから、その内容に辻褄が合うように書いていきました。





「ねぇ雪。私、書き置きを残してたよね?」
「ありました……」
「何かあったら連絡しなさいって書いておいたんだけど、読まなかった?」
「はい、読みました……」
「じゃあ、なんで連絡しなかったの?」
「ご、ごめんなさい……」

一夜空け、家に帰った雪を待っていたのは、旅行から帰宅した母親の猛烈な怒りだった。
実際には一時間にも満たなかったに違いないが、体感時間では半日ほどの長さの説教は、雪にとっては思わぬ追加ダメージとなった。
元々、雪の母親は滅多に怒らない。
だが、「滅多に」と「全く」は違うのだ。

中学生にもなって正座させられ、半ベソをかくのは恥ずかしいことこの上ないが、相手が相手である。
母の背後にある棚、その上に飾られている免許証に写る父と目が合う。
あぁ父さん、お願いですから、そんな哀れむような眼で私を見ないでください……。

「で、でも……ほら、小六の大雨の時、あの時も一晩帰らなかったけど、何もなかったし……」
「あの時は小学校で、草平くんも一緒にいたでしょう。今回はあなたひとりで、しかも山の中だったのよ?」
「でも、母さんは山に入ってたでしょ?」
「そうよ、それでツキノワグマに出くわしたのよ。言わなかった?」
「仰ってました……」

また頭を垂れる。
やはり母には敵わない。
何年も前から知ってたけど。

雪の母――花はため息をついて、静かに言葉を続けた。

「あの時、母さんは雨に助けられたの。もし雨がいなかったら、母さんは死んでたかもしれない」

雪はしばらく黙っていたが、まもなく覚悟を決めた。
これ以上、事実を母に言わないのは無理だ。

「私も、雨に助けられた」

母の息を呑む音が聞こえた。
続けて出した声は少し震えていたが、もう構わない。

「狼の姿の雨が助けてくれたの」

顔を上げると、母は目を丸くしていた。
これを言ってしまって、良かったのだろうか?
母を泣かせてしまう?
それとも、山の主の仕事を邪魔した私のことを怒る?
そのどちらでもなかった。

「そう、雨が……良かった」

花の表情が緩やかになり、ふふっと笑う。
恐らく、雪を助ける逞しい狼の様子を想像しているのだろう。
その様子を見て、雪の心の中はますます暗くなった。

雪の告白は、この時点でまだ半分。
そして、もう半分の方を母が許してくれるかは分からない。

「母さん。雨に頼まれたの。あの祠にあった絵を守ってほしいって。だから」

意を決する。

「私、東京に行く。あの絵と一緒に」

はっとした表情を浮かべた母が、何を考えてるのかは読み辛い。
しばらく沈黙が流れたが、雪は決意した顔を崩そうとはしなかった。

やがて、花が口を開いた。

「駄目よ」
「……母さん」
「あなたをこれ以上危険な所に行かせられない」
「そんな」
「雪。そのことは警察の人達に任せなさい」

母は辛そうな表情を浮かべていた。
お互いに何も喋らず、蝉の鳴き声以外は聞こえない。
母の言っていることは分かるし、そう答えて当たり前だと思う。
きっと、自分が逆の立場でも多分同じことを言うだろう。
でも、それでも、間違っているとしても、これは通さなければいけない気がする。

「それでも、行く」
「行っては駄目よ」
「……嫌」
「雪、言うことを……」
「行かせて」
「雪!」

再び母が、厳しい声を出した。
心臓が跳ねる。

「駄目よ、雪。あなたを行かせられない」
「母さんが許さなくても、私は行く」
「どうして!」

一瞬躊躇したが、考えるよりも先に、次の言葉が出ていた。

「雨と約束したから!」

その言葉に、母の言葉が止まる。
なおも雪の言葉は続く。

「あの絵は、大事なものだって! 守ってほしいって、雨が言ってたから! 私が行きたい! だって……」

あぁ、まずい。
止まらなくなってしまった気がする。
これじゃ。



「だって、雨は私の弟だから!」

じわりと、瞼の裏側が熱くなる。
なんでこんな当たり前のことを母の前で言っているのだろうと、ぼんやり雪は思った。

顔を伏せ、母から見えないように表情を隠す。
鼻をすすったり、手で顔を隠したりはしなかった。
それをする時点で、何かを認めてしまうことに他ならないと思ったから。
自分でも愚かしいと思ったが、これは説明のしがたい意地のようなものだった。

「分かったわ」

思いの丈を吐き出し、訳の分からない暴走をした感情を、母は受け止めた。

「雪は雨のお姉ちゃんだものね」

暖かい腕が、自分の身体を包む。

「雪。雨のお願いを叶えてあげて」

いつの間にか自分の隣にいた母が、雪を抱きしめていた。
言葉を聞いた途端、何かが決壊したような気がして、雪は母にしなだれかかった。






↑このシークエンスは、この小説全体でも最も思い出深い部分のひとつかもしれません。
ここの初稿は富山県新川郡上市町にある古民家、通称「花の家」にて執筆しました。
「花の家」はその名の通り、映画で花が住むことになる山奥の家のモデルになった場所で、
もっと言ってしまえばこの場面の“実際の現場”でもあります。
ちなみに執筆したのは2013年9月22日(実は第三話よりも先に書いています)で、元々一度行ったこともあったのですが、
この時は「ロケハンだから!」と自分に言い訳しながら半分観光・半分小説執筆目的で富山まで赴きました。
花ちゃんが怒る姿というのは映画でも少ししか出ていなかったので創作のし甲斐がありました。
優しい母親というイメージのある花ちゃんですが、さすがにこの状況で我が子を叱らない訳にはいかないでしょう。

この場面はストーリー全体の役割として、雪がこの物語後半に関わってくるためのきっかけ作りという意味があります。
また、第三話までは受動的にしか動いてなかった雪が、自分の判断でストーリーに関わることを初めて示す場面でもあります。
ただ、想定の段階ではこの場面はもう少し抑えた表現で雪に決断をさせるつもりでした。
第三話のラストで雪が感情的になる予定だったため、この場面までそうするのはどうかと思ったからです。
しかし実際の花の家でこの場面を書くと、花と雪の会話はプロットよりもずっと熱が入り、最終的には雪が泣き出してしまいました。
キャラクターがひとりでに動き出した瞬間で、「このふたり、本当に生きて喋ってる!」と思わずにはいられませんでした。
(状況は違えど、物語を書いている人なら、こういう経験は何度かあるのではないでしょうか?)
最終的には、この初稿でのキャラクターの反応をそのまま生かしました。
(代わりに第三話ラストのプロットが少々変更され、少し抑制を効かせました)

キャラクターが「生きている」と感じる瞬間は、小説を書いていて一番幸せな瞬間だと思います。
『桐島、部活やめるってよ』のラストで前田くんが言っていたように、「俺達が好きな○○と繋がってるんだなぁ」と思える瞬間です。







「雪ちゃんが望むのなら、彼女が東京までの移送に同行することに異論はないよ。彼女の潔白は証明されたし、この一件に巻き込んでしまった僕にも責任がある」

雪と花のいる家の庭で、頭と右腕に包帯を巻き、今は納屋にもたれ掛っている一人に、肩に哺乳類型デジモンを乗せた青年が近づいてきた。
一人は手元の煙草の箱をクルクルと回したまま話を聞いている。

「問題は貴方だ、佐倉さん。貴方は取材のためとは言え、反政府組織に同行し、モトミヤホールディングスの情報を彼らに流した。やろうと思えば、今すぐに貴方の逮捕状を取ることもできる」
「じゃあ、さっさと逮捕すればいい」

タケルとは視線を合わせないまま、一人はケースから煙草を取り出しながら言う。
逮捕という言葉が出ても、もうそれほど驚きはしなかった。

前夜の一件の後、一人と雪は捜索隊に発見され、保護された。
一人は頭を打ち怪我をしていたが、命に別状はなく、応急処置が施されてしばらくしてから意識が戻った。
同時に彼らふたりの居た場所から絵画『白梅二椿菊図』が見つかり、間もなくその回収作業も行われた。
一人は早々に救援チームと共に山を降りたが、雪は回収作業中も祠の中に残り、絵画から離れることを拒んだ。
雪は捜索隊員にその場を離れようとしない理由を何度も聞かれながらも、黙秘を貫いた。
到着したタケルが何も言わず、彼女がその場にいることを許可したのは雪にとって幸運だった。

一人は雪ほど運が良くなかった。
既にクロスハートは山から姿を消していたが、身元を調べられた結果、カメラの記録写真からこの数日間で一人が何をしていたのかはタケルや賢に筒抜けになってしまったのだ。
回収作業が終わり、間もなくタケル達はこの地を発つことになっているようだが、一人の処分はまだ決まっていなかった。

タケルはため息をつく。

「貴方は相当に捻くれているね」
「そういう風に育ったからな」

一人がジャケットの胸ポケットから金属ライターを取り出したのを見て、パタモンが顔をしかめながら彼を指さす。

「あっ、煙草〜」
「うるせぇ。ちゃんと携帯灰皿は持ってる」

まぁ、昨夜は注意されたが……自分のマナーが少々悪かったのは否定しない。
実際、雪が居ない場所で吸おうとしているのは、こうやって指摘されるのが嫌であるのが一番の理由だ。

「佐倉さん、僕としては、貴方の逮捕は望んでいない」
「そりゃどうも」

タケルはパタモンを左手で撫でながら話を続けた。

「勿論、このまま無罪放免、さようならという訳にもいかない。そこで考えたんだけど」

今度はタケルが胸ポケットから取り出す番だった。
右手に握られたスマートフォン。
いつデータ移送されたのか、昨夜撮影したクロスハートの面々が表示されていた。

「東京に戻り、貴方の持つ彼らの情報を提供して欲しい。貴方の罪状については、こちらで処理しよう」
「司法取引ってことか? 日本じゃできないだろ、それ」
「まだ貴方は逮捕されてないし、僕は検察の人間じゃない」

そんな滅茶苦茶な、と一人は言いかけたが、タケルは更に彼に詰め寄り、真剣な表情で言葉を続けた。

「僕達は数年に渡りクロスハートを追ってきた。やっと彼らを追い詰めることが出来たんだ。このチャンスを逃すことはしない」
「チャンス……」
「今、彼らは焦っている。管理法案は審議中、『白梅二椿菊図』の確保も失敗した。あと少しで切り崩しが出来るんだ。貴方はスパイとしてクロスハートに潜入し、さらに国立博物館の収蔵品と民間人をテロリストの手から守った。結末としては十分じゃないか?」

タケルの眼は本気だ、と一人は思った。
おそらく、この誘いを受けようが断ろうが、彼はどんな手段を使っても自分から情報を引き出す気なのだろう。
そして数日後には、クロスハートが壊滅する。

「なんでそこまで……」
「彼らは今の世でデジモンを守るということがどういうことか分かってない。デジモンを守るという名目で、ひたすら混乱を巻き起こしてきた。これ以上は看過できない。佐倉さん、貴方はどうしますか?」

もう自分に選択の余地がないことは、一人にもすぐに分かった。





間もなく家から出てきた雪は、少々目が赤かったが、憑き物が落ちたかのように明るく振る舞っており、一人は彼女に対する印象を少々変えざるを得なかった。
雪はタケルに東京への同行を改めて申し出た。
『白梅二椿菊図』の持ち主(そんな者が本当にいるのか分からないが)に一番近しい人間としてタケルが彼女の同行を了承した頃には、賢とイクトも戻り、出発の準備がほぼ整っていた。
家から出てきた雪の母親がタケル達に頭を下げ、娘をよろしくお願いします、と言っているのが聞こえた。
それから彼女は雪に、緑色の風呂敷で包まれた何かを渡していた。

「母さん」
「少し長旅だろうから、多めに作っておいたわ。雪、気をつけてね」
「……うん、ありがとう」

にこにこと笑う母娘の景色をぼんやり眺めながら、一人は用意されたワゴン車に乗り込んだ。





↑雪の描写に比べ、一人の描写はシビアというか、タケルの容赦ない部分が出ています。
ここは一人がタケル達と一緒に東京へと向かわせるための場面になっています。
ここはそれまでの一人と雪の行動原理がちょっと逆転しています。
これまで受動的に状況に巻き込まれてきていた雪は、母との会話を通じて初めて自発的に状況へ関わることを決めます。
対して、これまで事件に仕事になるから関わっていた一人は、ここではもう後戻りできない状況になっています。
終盤に向け、少しずつ一人の心理的な追い詰めが進んでいってるんです。






モトミヤホールディングス本社ビル最上階の会長室にある書斎には経営学や食品衛生学、デジモン研究書など様々な書籍が保管されているが、その二段目右端にはやけに薄い書籍が差し込まれている。
紫色の帽子にゴーグルを付けた少女が描かれた本は、この書斎から取り出すことができない。
青い人差し指をこの書籍の背に掛け、45度の角度まで引くと、仕掛けが起動し、書斎が観音開きに開く。
その奥に見えるのは黒い長方形の装置、そして赤く光る直径1センチほどのカメラだ。
このカメラは普通の人間なら腰の高さほどに設置されているが、これはブイモンにとってはちょうど顔と同じ高さにあたる。
ブイモンが大きな瞳をカメラに近づけると、網膜スキャンが行われ、数秒後には短い電子音と共に装置の隣にある扉のロックが解除された。

会長室の隣にある割に小さく暗いこの部屋には、いくつかのコンソールと数台のモニターが取り付けられてある。
モニターは既に起動し、それぞれが着席する数名の人間を映し出していた。

「遅かったな、本宮会長」

大輔はブイモンと共にこの部屋に入った。
彼らと話すのはあまり好きではない。
何も言わないが、自分達が入ると同時に、彼らの不満そうな視線がブイモンに向けられているのが分かるからだ。
ブイモンは大輔よりも遥かにこの状況に慣れていると見えて、毅然とした態度で大輔の一歩後ろに直立している。

「網膜スキャンの対象が君のパートナーになっているのは何かと不便ではないかね?」
「俺が何者かに脅されて、安全保障会議の皆さんと連絡取り合ったりしたら大問題でしょう。ブイモンならそんな脅しを受ける心配はない。それより本題ですが、わざわざ俺を呼び出す必要があったんですかね?」
「何と言うことだ。モトミヤホールディングスの会長は事の重大さを分かっていない」
「昨夜、警察庁とDATSの合同捜索隊が『白梅二椿菊図』を回収し、現在こちらに向かっている。クロスハートも同様に絵画を狙っていたそうだ。恐らく彼らも焦っているのだろう」
「あぁ、そうでしょうね。それがどうしたというのですか?」
「この件の終わりが近いということだよ」

中央のモニターに映る初老の男性が言う。

「これは危険な状況だが、逆に言えばチャンスでもある。クロスハートの幹部クラス、更にはリーダーの工藤タイキも出てくるだろう。反政府組織撲滅には絶好の機会だ」
「あの絵画を餌にするということですか? それはとても……」
「君の意見を求めている訳ではない」

じゃあなんで呼び出したんだよ、お前らが喜びそうな話なんて持ってねぇよ、という言葉が喉まで登ってきていたのをなんとか抑えて、大輔は口をへの字口に曲げたまま、黙って次の言葉を待っていた。

「良いかね、本宮会長。我が国の軍事産業を担う企業の最高責任者としての君へ、安全保障会議はラブマシーンの起動を命ずる」
「は……?」

言葉を失う。

「えー、その。すみません。仰っている意味がよく分かりませんが。ラブマシーンにロックが掛っているということは既にご存知ですよね?」
「だが、ほぼ完成していると聞いたぞ」
「防衛設備を管理するシステムです。まだ微細な調整が全然終わっていない」
「調整は必要ない。動かすことが出来ればそれでいいのだ。例えば、外部から強制的にラブマシーンを起動させるとか」

ともすれば苛立ちが爆発しそうだったが、大輔は体勢も表情も崩さず、言葉を続けた。

「不可能です。それに調整している最中は彼を起こすことはできません」
「プログラムに“彼”とは……」
「彼ですよ。自律思考を持っていますから」
「君がラブマシーンを起動させないことで、クロスハート撲滅の好機を逃すことになるかもしれんぞ」
「その時は俺とブイモンが出ます。俺達で戦える内は彼を起こす必要はない。いいですね?これにて失礼」

我慢が出来るギリギリの所だった。
伝えるべきことは伝えたと判断し、大輔は照明を切って、ブイモンと共に通信室を出ていく。

通信が切られた後も、安全保障会議の会話は続いていた。
通信相手の発言にため息と諦めを浮かべた後、議事は淡々と進められた。

「やはり話すだけ無駄だったな」
「後処理はどうにでもなる。会長職は挿げ替えをすれば良い」
「保険をかけておいて正解でしたな」
「本宮会長には悪いが、ラブマシーンにはすぐに目覚めてもらおう。奴を放て」



会議の直後だった。
内閣府のサーバーから、そのデジモンはOZの空間へと放出された。
紫色の身体と八本の足を持つ寄生型の究極体は、モトミヤホールディングスのサーバーへの侵入をすぐに成功させた。
プログラミングに忠実に、寄生型は目標を目指していく。






↑大輔が“会長力”を全開にする場面です。
お気づきになった方もいるかと思われますが、隠し扉を起動させるためにブイモンが引いた本はサヨ本です。
またブイモンが網膜認証を行った機械のデザインは『2001年宇宙の旅』のHAL9000をモデルにしています。
この場面の大輔は敬語一辺倒で喋りますが、ひたすらに不機嫌そうな感じ。
一方でブイモンは台詞こそ発しませんが、大輔に比べればこの状況に慣れている様子。
第一話でも書いた通り、この世界ではデジモンの社会的地位が非常に低く、安全保障会議の面々もデジモンに対し良い感情は抱いていません。
ブイモンはデジモンであるにも関わらず、モトミヤ社のイメージキャラクターとして社会的にも一定の人気を得ている、という若干複雑な立ち位置にいます。
安全保障会議がブイモンに対して悪印象しか持っていないのは当然ですが、一方のブイモンも自分の立ち位置を理解しているため、非常に涼しい顔をしています。
むしろ、大輔の方がこの状況には苛立ちを覚えているのは無理からぬ話かなと考え、こうした描写になりました。






「自分がどういう行いをしたのか分かっているかね? ダークナイトモン」

バグラモンはDLFの会議場で静かに問いかける。
視線の先には、昨日の戦いで傷を負った暗黒騎士が掛けている。
彼は不服そうに魔王を睨み返していた。

「我らにとっての敵を排除し、奴らの大量破壊兵器の鍵を狙ったまでです、兄上。無論、失敗したことは一生の恥と心得ております」
「違う。君の作戦が成功したか否かは問題ではない」

半身義体の魔王は席を立ち、円卓を半周して暗黒騎士の席に近づいていく。
後ろを通る影に、アルケニモンとマミーモンが不安そうに身体を動かした。

「DLFの目的は何だ、弟よ? デジモンの権利回復だと私は最初に説明した筈だ。無許可での戦闘、彼らの財産の略奪未遂。全て我々の目的を遠ざける愚行だ」
「馬鹿な……兄上はこの期に及んで、未だにニンゲンとの共存が出来るとお考えなのですか?」
「そうだ」

魔王にはダークナイトモンが仮面越しにも唖然とした表情を浮かべていることが分かった。
何か言葉を探しているようだが、彼だけでなく、円卓に座る他のデジモン達もざわめき、小さな声で会話を始めていた。
インプモンだけは腕組みを崩さず、自分達の会話をじっと眺めている。
隣でこの小悪魔に必死に声をかけているリリスモンが少々気の毒に見えた。

「私の願いはただ一つ、デジモンが人間と共存し、地位と秩序を回復させることだけだ。君達もこの目的に賛同し、DLFへと参加した筈だ」
「ク、クク……兄上、これ以上血迷ったことを仰らないで下さい。これほどの勢力が揃い、私欲を誰一人持っていない筈がないでしょう? どこの世界の夢物語を語っているのです、それは?」
「夢物語ではない。切迫した現実に対する対抗策だ」

バグラモンには、暗黒騎士の苛立った感情が手に取るように理解できた。
それでも彼は冷静な態度を保ったまま言葉を続ける。

「良いかね、弟よ。まずは君のその幼稚な意識を変えて貰わねば、我々の目的は達成できん」
「いいえ、兄上。その必要はありません」

首をゆっくりと振りながら、ダークナイトモンが静かに右腕を上げる。

「貴方がこの場から消え去れば良い、それだけです!」

暗黒騎士の右腕が振り下ろされる、それが合図だった。
その瞬間、四つの椅子がガタンと音を揺らし、影が大きく揺れる。
ダークナイトモンの合図によってまず動いたのはピエモンだった。
いつの間にか背中に回されていた腕には剣が握られ、その狙いは既に魔王のデジコアへ向けられている。

「死ね!」

究極体であるピエモンが、トランプソードの投擲で攻撃目標を外す可能性は全くなかった。
攻撃が命中しなかったのは二発の弾丸が剣を弾いたためだ。
更にもう二発の弾丸が、二本目の剣を放とうとしていたピエモンの左腕を貫通し、剣が落下する音が響き渡った。

「やっぱり、こうなったか」

インプモンの座っていた席には、小悪魔の代わりに黒のジャケットに身を包んだ魔王が居た。
彼の手が握る二丁の拳銃は、負傷したピエモンからリリスモン、アルケニモン、マミーモン、そしてダークナイトモンを代わる代わる狙っていた。
漆黒の魔王ベルゼブモンはバグラモンに向けて首を傾げる。
バグラモンは静かに頷くだけだった。

「どうなってる!? 裏切ったのか、ベルゼブモン!」
「馬鹿か。どっちが裏切ってんだ」

絶叫するダークナイトモンへ呆れた声を上げる。

「リーダー殺しの計画か。そんなことだろうと思ってたが、他の幹部連中も共謀してたのはウンザリするな」
「え、いや、わ、私はその、陛下を殺すなんて話は……」
「はぁ!? リリスモン、アンタ何言ってんのよ!?」
「どっちも黙ってろ」

ベレンヘーナを向けられて黙り込むアルケニモンとリリスモンを見て、バグラモンがため息をつく。
そして後ろを振り返った。

いつの間にかそこに現れていた、コートを羽織るテイマーと赤いデジモンに顔を向けるために。

「待たせたな。ギルモン、松田啓人くん」
「終わりですか?」
「あぁ。全ては整った」

本来居るはずのないデジモンと青年を見て、暗黒騎士は目を見開いた。
馬鹿な、あり得ない。
なぜ、かの英雄がここにいる?

「マツダタカトだと!?」
「馬鹿な、なぜニンゲンがここにいる!」
「バグラモン、てめぇ!」

幹部達は啓人に、ベルゼブモンに、バグラモンに、激しい怒りの視線を向ける。
だがそれもすぐに焦燥へ、やがて恐怖の感情に変わる。
啓人とギルモンの背後には自分達の配下の――つい先程まで配下だと信じていた――DLFの戦士達が揃っていたからだ。

この瞬間に、ダークナイトモンは全てを理解した。
兄は自分達を試していたのだ。
秩序を回復するために己を犠牲にできるか、私利私欲のために動くか。
それに全く気づくことが出来なかった。
そして失敗した。

銃を構えたまま、ベルゼブモンが聞く。

「もういいか、バグラモン?」
「あぁ」
「分かった」

短いやり取りを交わすと、彼はギルモンの背後にいるデジモン達へ静かに指示を出した。

「こいつらを捕えろ」

DLFの戦士達はこの指示に忠実に従い、円卓のテーブルとその周りに立つデジモン達へ襲い掛かった。
怒号と悲鳴が飛び交う中、啓人とギルモンは混乱に背を向け、群集の中を歩きだす。
ベルゼブモンとバグラモンも彼に続き、円卓を離れる。

この円卓で行うべきことはもう無くなった。
そして彼らは、会議室を後にした。






↑DLF会議からの、啓人・ギルモン登場。
人物とキャラクターの立場、力関係が一転するちょっと複雑な場面です。
この場面でバグラモンとダークナイトモンの「DLFの目的」の認識のズレが明確になりますが、
第二話での初登場時から、このふたりの間でのズレは割とはっきり描写しています。
また、それ以外のDLF幹部も、実は意思疎通が微妙に取れていません。
恐らくダークナイトモンの裏切りの計画を完璧に理解し自信があったのはピエモンだけではないでしょうか。
リリスモンに至っては元々バグラモンの部下でもあるせいか完全に日和見な発言をしています。

この辺りの場面は『キングダム・カム』の人類解放戦線におけるバットマンの裏切りシーンがモデルになっています。
(あちらとは目的も状況も大分違いますが)
ちなみに僕の小説では、『時空を超えた戦い』の頃からデジモンは人間の名前をカタカナで呼びますが、
バグラモンのみ、例外的に啓人の名前をちゃんと漢字で呼んでいます。






「タイキ君には既に連絡してあるのかね?」
「えぇ。合流の準備は整っています」
「それにしては浮かない顔をしているが」
「ギルモンとタカト、東京でルキに会った!」
「悪いタイミングでした。隠してなきゃいけないというのは分かってくれるとしても……多分、留姫にはめちゃくちゃ怒られるだろうなぁ」
「あぁ、なるほど……」

長い廊下を抜けながら、バグラモンは啓人へ状況を確認していた。
クロスハートの中で、この数年間で啓人がどんな動きをしていたのかを把握していたのはタイキだけだ。
先日の反応を見る限り、まぁ、留姫の蹴りが啓人へ飛んでいくのは間違いないだろう。
この同盟を形作るのは容易なことではなかったのだから、彼の苦労を何とか汲み取って欲しいところだ。

「なぁ、タカト。DLFはこれでいいだろうが、クロスハートは本当に戦えるのか? 戦力じゃ絶対に今のDATSには勝てねぇぞ」
「分かってるよ、ベルゼブモン」
「我々の味方はDLFだけではない。最後の切り札は別にある」

このバグラモンの言葉に、ベルゼブモンは眉を吊り上げた。

「へぇ、どんな切り札だ?」
「このデジタルワールドで最も強力な協力者だ。私の考える限り、この絶望的な状況を切り崩すには彼らの力が必要不可欠だ」
「楽しみにしておこう」

長い廊下の出口には、既に招集に従い、数百体ものDLFのデジモンが直立し待機していた。
彼らは姿も種族も属性も故郷も違う。
恐らく、この同盟に疑問を持つ者や、全ての人間を恨んでいる者も相当数いるだろう。
それでも彼らはこの戦いに参加する。
バグラモンはDLFを主宰する身であるが故に、彼らの怒りや疑念を背負うことを覚悟していた。

「諸君」

半身義体の魔王は静かに、しかしその場にいる者達全員に伝わる声で言った。

「尊厳を取り戻すために、我々と共に戦い、そして死んでくれ」

戦士達の巨大な唸り声を聞きながら、バグラモンは目を閉じた。
最後の戦いが始まる。






↑DLFの戦士の多くはバグラモンが提唱した本来の目的、つまり「デジモンの権利回復」に忠実です。
ただし軍隊のような規律のとれた組織ではなく、また『クロスウォーズ』のバグラ軍に比べれば遥かに規模も小さいため、
この出陣の場面もどちらかというと悲壮感が漂っています。
なお、「啓人の動きをクロスハートはどこまで関知していたか?」は、本来は後編で描く予定でした。
留姫と啓人の会話もそこで加えるつもりで最初は書いていたのですが、後半の展開でこのエピソードを挟むのは難しく、
この場面で多少言及するに留めました。



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