時空を超えた戦い - Evo.23
CRASH Stream 5:Knowledge is power









暗い世界に立つ四体の巨大な獣は、静かに淡々と言葉を交わす。
同時刻に戦いを繰り広げる別の世界の者達とは、実に対照的な状況。
しかしこれは、この世界の行く先を決めるかも知れぬ重大さを秘めるという点で、別の世界での戦いと共通していた。

「どうやら奴は既にあちらの世界に入ったようじゃのぅ。どう動くかは、彼らに任せようぞ」
「少々、急を要する事であるからな。ここでの承認を授ける程の時間は無かった。それはここにいる全員が分かっている筈」
「時間があろうとも奴がこの場を訪れるとは思わんがな」

四体の巨大なデジモンの一体…紅蓮の聖鳥が不機嫌そうな言葉を漏らす。
だが何時もの事なのか、この不満に関して他の三体は誰も追及しなかった。
暫しの沈黙の後、口を開いたのは他の三体よりも一回り小さい──それでも並のデジモンに比べれば遥かに巨大なのだが──白虎。

「話を戻そう。突入後はどうする事になっている?」
「あちらの世界の均衡を守る者達に任せる事になっている。尤も、選択肢は限られている。悠長な手段は選べまい。あの存在が動くだけでも、世界の均衡は崩れ、秩序は滅びる」
「ちぃとばかり頭を使えば解る事よの。裏からの工作など今はもう手遅れじゃ」
「と、なると…取るべき手段は…」
「強襲」

彼らの中でも最も巨大な姿を持つ蒼い聖竜が答える。
その言葉、そしてそれが含む事実に、背中に巨木を乗せた双頭の亀の様な奇妙な風貌を持つデジモンは溜め息をついた。

これは実に単純だ。
ある意味でこの予見は、現状を知る者ならば彼らでなくとも出せるであろう結論。
それ程単純なものだが、同時に大きな意味も秘めている。

「この戦い、思ったよりも大きなものとなりそうじゃな…」

頷く者、舌打ちをする者…この世界を治める四体の反応はそれぞれだ。
憂いに満ちた老デジモンの言葉に、巨大な聖竜は言葉を返した。

「だが、やらねばなるまい」

静かに漆黒の空を見上げた。
そこには巨大な人間の世界と繋がる球体が浮かび、紫の光を絶えず放っている。
その景観は美しいが、近い未来への不安に酷く現実味を帯びさせる。

この場合の不安…巨大な力への。
彼らをも超える、最も深い場所に眠る存在。

「この世界の奥底に眠る災厄を目覚めさせぬために」

最後に聖竜はそう付け加えた。





深い森林の中に、斬撃の音と激突の音が響き渡った。
何本もの樹木が一気にへし折れ、吹き飛ぶ。
それと同時に灰色の鎧を纏ったデジモンも弾き飛ばされた。
単に「昆虫」と呼ぶにしては少々大き過ぎるそのデジモンは、粉塵を撒き散らしながら仰向けで地面を滑っていく。
やがて地面の抵抗によってようやく停止すると、その昆虫はすぐに上半身を起こす。

「…ってぇなぁこの野郎共がぁぁ!!」

怒り心頭、といった雰囲気で叫ぶ。
その矛先は空に浮かぶ三体の完全体だ。

「フザけんなやぁぁ!お前らは黙って俺に切り刻まれればイイんだよぉぉ!!」
「悪いけど、その考えには賛成できないな」

苛立つ巨大昆虫…幹部の一体、オオクワモンよりも大分遠い所から健良は言った。
その隣でタケルも同意する。

「寧ろ、君がここで黙って道を通してくれれば一番いいんだけどね」
「この…クソガキ共が何を…」

オオクワモンのその先の言葉は、顔面に飛んできた二発のミサイルに飲み込まれた。
言うまでも無くこれも、彼が戦っているデジモンの技だ。

「よそ見してるとケガするよ〜!」

そこに浮ぶデジモンは、緑色の体を持つアーマーを纏った少々奇抜な姿のデジモン、ラピッドモン。
赤い甲、一本の角、オオクワモンに優るとも劣らぬ巨躯を誇る昆虫型デジモン、アトラーカブテリモン。
そして、八枚の羽根を持ち、神々しい光を放つ大天使、ホーリーエンジェモン。

火薬の味を存分に味わったオオクワモンは唾を地に吐くと、両腕の巨大なハサミを威嚇する様にガチガチと鳴らす。
こんな面白くない戦いは初めてだ。
気に入らない。全く気に入らない。

「クソ共が…」

イナゴの大群と間違える程に羽音を激しく響かせながら、オオクワモンは飛び上がった。
一気に間合いを詰め、斬り殺してやる…。
直進的な動きにラピッドモンとホーリーエンジェモンはすぐ反応し、避けた。
残るアトラーカブテリモンは…角を僅かに下げ、迎撃態勢を整えていた。

森林からその様子を見ていた光子朗はタイミングを計っていた。

「アトラーカブテリモン!」
「はいな!」

爆音を鳴らし、飛んでくるオオクワモンに一気にぶつかる。
両者の激突は真正面からでは無かった為、勢いを落とさず地面に落下したが、粉塵の中でも態勢を崩さずに激突したままだった。
甲と角が軋む音と共に、互いの武器による力比べが始まった。

「この…虫けらがウザってぇんだよぉ!!」
「虫に虫けらと言われるのは…」

ギチギチと音が鳴り響いていたが、オオクワモン側はアトラーカブテリモンの角を自分のアゴで力任せに挟み込んでいたのが失敗であった。
それしか考えていなかった故に、アトラーカブテリモンが重心をずらしても対応することが出来なかったのだ。

「心外でんなぁ!!」

そのまま赤色の大昆虫は、勢いをつけ、巨大な角の力でオオクワモンを一瞬空に浮ばせ、大地に叩き付けた。

「がッ…!?」

巨大な甲が地面に激突し、凄まじい衝撃が辺りに広がるが、それでもオオクワモンはまだ意識を手放さずにいた。
巨大なハサミを地面につき立て、体を起こそうと躍起になる。

だが、これだけの大きな隙が生まれて手を出さない程、子供達のデジモンは愚かではなかった。
彼の真上、上空数十メートルの何も無い場所に、円状の「切れ目」が生まれる。
八枚の翼を持つ大天使が、彼の持つ聖なる剣によって作った円であった。

「ここまでだ」
「あ?」

間抜けな返事と共にオオクワモンが空を見た時には、円は完成し、そこにゲートが出現した。
ホーリーエンジェモン最大の奥義であるゲートはゆっくり回転すると、中央が割れ、ゆっくりと開いていく。
そのゲートの先には…何も無い。
見えるのは暗黒。
否、正確には「ある」。
「何も無い世界」が「存在する」のだ。

「おい…ちょっと待て…」

オオクワモンがその門を見て思わず後退りする。
だが、すぐに体が言う事を聞かなくなった。
それは気の所為ではなく、実際に、少しづつ体がそこに引き寄せられていくのが分かる。
やがてその「引力」の巨大化は加速度的に増し、遂にオオクワモン自身の抵抗ではどうすることも出来ない程になった。
台風に巻き込まれるように、数秒後には体がふわり、と宙に浮いた。

「ヘブンズゲート!!」

ホーリーエンジェモンが天界の門の名前を叫んだ時、オオクワモンの体は完全に彼自身のコントロールを無視して一直線にそこへ向かっていく。

「ぬ…ぬがああぁぁッ!!」

飲み込まれる寸前になって、オオクワモンは両腕のハサミで門の淵を辛うじて鋏む。
いくら門の飲み込む力が大きくとも、彼のハサミの力と、それに見合う腕力は何とか抵抗していた。
そうしながらもオオクワモンはまだ怒りの叫びを抑えない。

「フザけんじゃねぇぞコラぁ!!こんな下らねぇ技で俺が…」

しかし、目の前にあの緑色の完全体が下りてくると、流石の彼も青ざめた。
無論、ラピッドモンの銃口はしっかりとオオクワモンをロックしている。

「ラピッドファイア!!」

放たれたミサイルは、物凄い勢いで自分の方へと向かってきた。
この状態で回避できる者がいると言うのなら、是非ともその術を教えて欲しい所だ…尤も、仮に手段があったとしても、術を教えられる前にミサイルが着弾する事は確実だが。

「がッ…畜生がぁぁ!!」


次の一瞬には、声の代わりに爆音が響く。
同時にオオクワモンのハサミも力を失い、ゲートの淵を離れる。
抵抗する術を失った巨大な灰色は亜空間へと呑まれ、消えた。





ほぼ同時刻。
同時多発的に幾つもの激しい戦闘が行われているにも関わらず、不気味なほど静かな「小部屋」が一室のみ存在した。
だだっ広い荒野の中には、彼ら以外には誰もいない。
そして、そこに唯一立っている彼らと言えば。

「…来ないなぁ」
「こないくる…」
「来ない方がいいけど、来ねぇなぁ…」
「来ねぇなー…」
「来ないね…」
「ぷぴぃ…」

六人。否、正確には三人と三体。
彼らが口を揃えて言う「来ない」とは誰か。無論、敵である。
単純に考えて戦う相手などいなければそれに越したことは無いのだが、それでは先程のジョーカモンの発言とはどう考えても矛盾する。
要するに、部屋に押し込まれておいて相手が来ないとは考えられないのだ。

「…それにしても」

樹莉が何かに気づいた様子で、博和と健太を見た。

「?」
「な、何だよ」

無表情に自分達を見つめる彼女に、僅かに動揺する二人。
樹莉は純粋(で、少なからず天然も入っている)性格ゆえ、思っていることを正直に口にした。

「…なんか、頼りないわね」
「「…」」


ぐさっ。


おい、ちょっと待て。
そりゃ俺らのコトか?
確かにクルモンは戦えるデジモンじゃないし、そうなるとガードロモンとマリンエンジェモンで立ち向かわなきゃならない。
で、そのパートナーなのは俺たちだから、要するにこの二体と、俺達しか今の戦力はいない…。


いや、だからって…。

「ば…馬鹿言うな!俺達だってやるときゃやるぜ!啓人達ばっかりにオイシイ所持ってかれてたまるかってんだ!」
「そうそう!例え敵が…敵が…」


ディアボロモンとか…でも…。



…。



なんか…モノスゴイ不安になってきた…。


勝手に落ち込む博和と健太。
膝を抱えて体育座りをし、地面を指でいじくる姿はなんともみじめ。


「おいっ!落ち込むなヒロカズ〜!」
「お、おぅ…」
「ぷぴい〜!」
「頑張るけどさ…」

敵がもし、先程見たディアボロモンか、それよりも恐ろしい敵だったら…想像するのも嫌である。
楽観的に見ようとしても、これまで見た敵の幹部は、オオクワモン、パロットモン、キングエテモン、デスモン…と、自分達のデジモンの知識から考える限り、屈強そうな名前ばかりである。

…ん?デスモン?


「…あ」

事実と推測と照合する。
そこで健太はようやくこの状況に対する有効な答えを見つけ出すことができた。

「…ねぇ、もしかしたら」
「あ?」
「当たりクジを引いたのかも。戦わずに進めるかも知れない」

…え?
一瞬、博和達は硬直した。
何言ってんだこいつ、そんな言葉が顔に書かれている。

「いや、だからさ。今、デスモンは丈さん達と戦ってるハズだよね?」
「…あぁ、そのハズだけど」
「しかも、ジョーカモンはあそこで『一人がまだ戻ってない』って言ってた!」

あっ、と気づいた表情をしたのは樹莉である。
が、残念ながら博和はまだ言葉の真意に気づかない。

「言ってたのは知ってっけど、それが何なんだよ?」

知ってることだけど、相変わらずこの親友は頭が悪いなぁ…と、内心思いながら、より分かり易く彼の言いたいことを伝えた。

「つまりさ…部屋の内どれか一つには、敵が来ない!ってこと」
「…あ…な、なるほどな…」

と、口では言ってみたものの、再び表情が曇る。

「…でもそれって、六分の一の確率じゃ…」
「…あ…うん…まぁ、そうだけど…ほら、これだけ待っても来ないんだからさ」
「仮にココがデスモンの部屋だとして、丈さん達が突破されたりしたら…」
「み、見も蓋も無いコト言うなよ!あの人達は大丈夫!」

多分…と、小さく付け加える。


しかし、それならばそれで、自分達はこの部屋でずっと暇な時間を過ごさねばならないのか。
それはそれで、非常に問題がある気もする。



自分達以外の声がその部屋で初めて聞こえたのは、正にその時だった。

「ここに居たか」
「!!」


起伏の乏しい荒野の中で唯一の高地とも言える付近の小高い崖から、そのしゃがれ声は聞こえた。

「ふん、見るも貧弱そうだ」

不気味な形をした杖に、骸骨の様な細身の体…この世界に来てから、既に何体か見かけている。
スカルサタモンだ。

「貴様ら如きがデスモン様のお相手だったとは…」
「デスモン!?デスモンって言ったな、今!」
「全く、四聖獣といい、セキリュティーの連中といい…この程度の者達を我らに差し向けるなど、冗談が過ぎる」
「うそ!?じゃ、やっぱりココはデスモンの部屋なんだ!」
「まぁ良い、貴様らはデスモン様が出るまでもなく…」
「やったなヒロカズ!ツイてるぜオレ達!」
「ちょ、ストップ!ストーップ!!」

健太が腕を振って会話を強制終了させる。
尤も、会話など成り立ってないが。
一方通行どころか、お互いにお互いの話を聞いてない。



一呼吸置いて。



「…で!この部屋はデスモンの部屋で!デスモンは今戦ってて!俺達が戦う相手がいないってことか!!」

改めて博和が確認のために叫んだが、それほどスカルサタモンとの距離が離れていないにも関わらず、何故か異様な大声になっていた。

「その通り!デスモン様はこの部屋に来られない!非常に残念ながら、今はデスモン様に貴様らの相手をする暇がないのだ!!」

どうやら見かけによらず相手もノリがいいらしい。

「よっしゃ、ならよく聞けコノヤロー!どうか俺達をここから通して下さい!!」
「お願いするの!?」

強気な発言をするかと思いきや頭を下げる博和。
スカルサタモンの方はそれを見ると…意外な反応を示す。

「それについてはジョーカモン様が特別のご配慮をなさった…感謝するが良い」
「うおっ!マジか!?」

明らかに喜びを含んだ声色に、一同は博和に非難の視線を浴びせる。
しかし、それでも戦わずに済むのなら…と微かな安心感に浸ってしまった樹莉や健太は、数秒後には本日何度目かの恐怖に苛まれることになるのだが。

不意に、スカルサタモンの後方に幾つもの影が出現した。
それは幻影ではなく、幾体もの実体がもたらす影。
だがそれが幻影ならば、どれほど博和一行の気は楽だったであろう。
その数、目測でおよそ五十。
それも皆、凶暴な表情で彼らを見据える成熟期や完全体。
前に立つ細身の悪魔が杖をこちらに向ける。



…。



あぁ、ご配慮ってこういうことね。



「行け、閣下に仇なす羽虫共を始末しろ!」
「「「嘘おぉぉぉッ!!?」」」

スカルサタモンの言葉が発せられると、軍勢は実に素直に──つまり、叫びを上げ、武器を振り回しながら──切り立つ崖を駆け降りてきた。
サイクロモンの巨大な腕、タスクモンの突撃、タンクモンの弾丸、デルタモンの熱線、デスメラモンの火炎、ハンギョモンの槍…それらが一斉に博和達を襲う。





亜空間にオオクワモンを葬ったホーリーエンジェモン達は、やや離れた高台に立っていたパートナーに合流した。
いくら並のデジモン離れした力を持っていても、ヘブンズゲートの奥へと送り込まれれば戻って来れる者はいない。
通路へと続くゲートが出現後、すぐにこの場を発ち、再びあの仮面の悪魔と対峙すべきだ…そう考えていた彼らにとっては、突然空にナイフで切り裂いたような痕がついたことは驚き以外の何者でもなかった。

突然、激しい音と共に「裂ける筈のないもの」が裂けた。
空に暗黒の線が走った。
まもなくその裂け目から、二本のハサミが出現し、暗黒のひびを大きく広げる。
やがてそのハサミの主が再び姿を現した。

「シャッハハァ〜…フザけやがって…」

だが、その姿は本来の──そして先程見た筈の──灰色の昆虫型デジモンとは少々異なっていた。

「キレたぞぉ、クソ共が…ブチ殺す」

その灰色の顎の先には、本来の牙よりも遥かに巨大な黒色のハサミ。
その大きさは彼自身の体と同等、いやそれ以上かもしれない。

「まさか…オオクワモン…」
「驚いたかぁ…驚いたよなぁ?俺だって驚いてんだ…ココまで凄ぇ切れ味だとは思ってなかったんだからなぁ」

少しづつ顎を広げながら、オオクワモンは子供達と、そのパートナー達を見据える。

「俺がクローンデジモンだってぇのは知ってるよなぁ?元々クローンっていうのはなぁ、オリジナルには基礎能力の差で劣るモンなんだよ…劣化版だからなぁ、こればっかりはどうしようもねぇ。だがな…」

顎を180度近くまで開くと、その不気味な口と舌が見えた。
舌の先からは涎が垂れ、口はひたすらに笑みを浮かべている。

「クローンにはそれなりの利点もある。デジタマを産む前にデータ改ざんが出来るってトコがな…主にはそのくらい造作もねぇことだ…そして俺にはコレが与えられた」

次の瞬間。


その顎の刃が動いた。
激しい音と斬撃、それらが彼の正面に広がっていた森林を吹き飛ばす。
何十本もの大木が一気に根元から切断され、炸裂弾を喰らったようにボロボロになる。
ホーリーエンジェモン達でさえ、子供達を守るために彼らの眼前で吹き飛んでくる巨木や岩を弾かなければならなかった。

巨大なハサミの力を実感した後、再びオオクワモンが大声で笑いを上げる。

「シャハハハハハハァッ!!コレが俺の武器、俺が他のデジモンと違う証拠よぉ!」
「グランクワガーモンの牙か…」

健良が呟くと、オオクワモンは右腕のハサミを彼に向けながら上機嫌で続けた。

「その通りだ!本来は究極体となったクワガーモンにしか許されねぇ力!それが俺の武器なんだよ!お前らじゃ到底敵わねぇ!シャハハハハァ!!」

相変わらずの、壊れた笑い。
だがその力は、実際「壊れている」。

体の一部のみが進化した完全体。
黒の断頭台を得た灰色の大昆虫。


その巨体が顎を瞬時に広げて自らの懐に飛び込んできた時、ラピッドモンは寸での所で回避した。
僅かな所で回避しても、激しい音と衝撃波が空気中を通じて伝わってくる。

回避に一度でも失敗すれば、胴体が二つに切り離されるに違いない。

意識が飛ぶほどの激しい打撃を脳天に喰らったのは、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ戦闘から思考をずらした瞬間。
オオクワモンの牙は身体を切断するのみでなく、殴打する鈍器としても十分過ぎる力を持っているのだ。

空中で、二度三度と回転し…ラピッドモンは地に落ちる。
オオクワモンが笑いながら向かってくるのが解る…だが、考えることができない。
ぼうっとした思考と、五月蝿い超音波のような耳鳴りしか感じない。



「ラピッドモン!」

健良が彼の名を叫ぶ間にも、オオクワモンは彼の元へと迫っていく。
巨大な牙を広げ、今度こそラピッドモンの身体を切断するつもりだ。
ネジの外れた笑いを続けながら。

彼を助けろ、という指示を光子郎とタケルが出すまでも無く、ホーリーエンジェモンとアトラーカブテリモンは即座にオオクワモンの前に立ちはだかった。

「通さない!」

紫の剣と紅の角がオオクワモンの両腕に激突した。
正面からの激突では力の差がはっきりしているにせよ、片腕で二体のデジモンを抑えられる筈がない…その考えに基づいた進路妨害は失敗だった。

「シャハハッ、二体がかりで止めようってか!?」

迎え撃つ側である自分達には、オオクワモンの圧倒的な力を空中で抑えることは不可能だった。
予想とは違う結果にホーリーエンジェモンは顔をしかめる。

「そのあがきも…」

オオクワモンの左のハサミに更に力が加わり、力の均衡を崩されたアトラーカブテリモンが体制を崩す。

「だッ…」
「無駄みてぇだなぁぁ!!」

赤い甲の一部と、半透明の翅が一枚切断され、アトラーカブテリモンの身体から離れた。
バランスを崩すアトラーカブテリモンと、彼に気を取られたホーリーエンジェモンが弾かれる。
眼下には再び緑の装甲が見えた。

「さぁ〜て…まず一匹殺すかぁ…」



…。
あぁもう、何やってんだよ僕は。
僕が戦わなきゃ、勝てる訳ないのに。
考えなきゃ、考えなきゃ…。

“…ラピッドモン…”

ジェンが叫んでる。
動かないと、考えないと。
勝たないと…。


その時、ラピッドモンは両腕に冷たい感触を感じた。


「えっ」


何が起こったのだろう、自分の身体に。
それは正面──オオクワモンの背後の、自分のテイマー──を見て理解した。
テイマーの手に握られているデジヴァイスと、一枚のカード。
そして彼自身の声。


「ラピッドモン!一人で戦うな!!」



現実に引き戻された。
そうだ、何熱くなってるんだろ。
僕にはジェンがついてるじゃん。
スタンドプレーなんて僕ららしくない。

そして今、僕の手にある冷たい力。
これもジェンからのメッセージ。

“冷静になれ”




さて。
頭もすっきりした所で状況を整理しよう(と言っても、時間は殆どないけどね)
今、バカな敵が僕の方に向かってくる。
あの顎に捕まれば、ゲームオーバー。
だけど、それは当たれば、の話。当然だけど。
スピードで勝ってる僕が回避するなんて簡単。
ましてやあいつはあんな重たい荷物を口に付けてるのに。

で、こっからは勝つ方法。
さっきも言ったけど、あの牙は大き過ぎて、戦う時は大きなリスクを背負ってる。
まぁリスクを背負ってでも使う価値があるからだろーけど。

いいこと思いついた。
なら、「使う価値」を無くしちゃえばいい。



「健良君…」

光子朗が不安げな声で彼の名を呼ぶ。
タケルも彼を見たが、あえて言葉はかけない。
健良は戦いの場、あと数秒後に今後の行方が決まるであろう重大な場面に直面している戦場を見ていた。
表情には不安と決意が入り混じっている。

「ラピッドモンを信じて下さい」

右手に握られた、たった今デジヴァイスにスラッシュしたカードの絵柄を、ちらりと光子朗に見せた。
青白い結晶の絵が載せられているカードだ。

「ラピッドモンはああ見えて、機転の効くデジモンですから」

彼のパートナーは敵を見据え、次の動きの準備をしている。
この場にいる全員が、戦いの終わりが近いことを感じ取った。
その結果はラピッドモンの行動次第で決まる。

「…もし成功したら、すぐにオオクワモンに攻撃して下さい」

努めて冷静だ。
そしてパートナーを信頼している。
彼のような存在が味方としてついていることに内心僅かな嬉しさを感じながらも、タケルと光子朗は体制を立て直したそれぞれのパートナーにサインを送った。

“ラピッドモンに任せろ。計らいが成功したら、一斉攻撃だ”

二体のパートナーが頷くのを見た後、光子朗は唾を飲み込んだ。
さぁ、ここからが正念場だ。



オオクワモンは巨大なハサミでラピッドモンを切断しようと落下当然の動きで大地に激突した。
斬撃音と、弾かれる樹木。

だが、切断された物の中に「彼の目標物」は含まれていなかった。
ラピッドモンは回避に成功したのだ。
一瞬の隙を狙い、彼のハサミをぎりぎりの所で抜け、上空へと飛び上がる。

オオクワモンが頭部を上げた時、ラピッドモンは真上にいた。
彼の両腕の銃口は、オオクワモンのハサミを狙う。

「…だーだだだだだっ!!」

彼流の掛け声と共に、ミサイルが放たれる。
オオクワモンが白煙に包まれた。



再びイライラが募ってきたオオクワモンは頭を振り、白煙を取り払った。
全く、この雑魚デジモン達はまだ俺に勝てると思ってるのか?
黙っていれば、身体を二つ以上に増やしてやるのに…全く。

だが、暫くして異変に気づく。
自分の顎の先に、冷気…?を感じることを。
白煙が大分消えた時、彼はようやく気づいた。

「なッ…!?」

言葉にならない驚きだ。
自慢のハサミが、冷凍庫に入れられた魚か何かのように凍り付いているのだから。
しかもハサミは閉じた状態のまま、である…つまり、二本の牙はがっちりと密着し、全く動かせないのだ。

「なんじゃこりゃあッ!!?」

そこで、ラピッドモンの行為の意味を知る。
…彼が今放ったミサイルは、氷漬けにする効果を得ていた。
そこから上がっていたのは白煙ではなく、微小な水滴…つまり湯気。

「へへっ、どう?凍ったご自慢のハサミはさぁ」


…あの緑のクソガキが!!


「てめェ、よくも…」

しかしオオクワモンが振り向く時には、状況は完全に変わってしまう。
何故なら、崖に立つ三人の人間の内の一人の号令と共に、彼の腹部に凄まじい衝撃が襲うことになるからだ。

「今です!!」
「ホーンッ…バスター!!」

赤い、重い一撃が灰色の腹部にクリーンヒットする。
装甲をも越えて来る衝撃は、オオクワモンから呼吸する力と声を奪うのに十分だった。

「はぁっ…!!」


轟音と共に、巨大な凍結した顎を引きずりながら地面を転げる。
怒りが頂点に、いや頂点を更に超えたのもこの時だった。



殺ス!!


「…っのクソがぁぁぁ!!ウゼぇんだよぉぉぉ!!」

涎を際限なく垂らしながら立ち上がり、辺りのものを一通り吹き飛ばす。
ラピッドモンが思わず「芸が無いね」と溜め息を付いたことにも彼は気づかない。

だが、彼は腐っても完全体。
怒りが頂点を超えるような状況では、本来以上の力をも発揮する。
彼は両腕で、使用不能となっている巨大な顎のハサミをはさむ。

「こんな小細工で…俺を倒せるとでも思ってんのかぁ!!」

次の瞬間、氷に巨大なヒビが一気に入った。
その様子に健良達、そしてデジモン達も思わずたじろぐ。
ただ一人…いや、一組だけは例外だが。

顎の力も相俟って、遂に氷は粉砕し、巨大なハサミは再稼動した。
己の力を誇示するかのように、力をかけた反動で顎鋏は一気に180度近く開かれる。

「シャハハハァ!!これで分かったか、小細工なんざ戦いじゃ意味ねぇ!!力が全てなんだよぉぉ!!」



「…ふぅん」


そう呟いたのはタケル。
彼もまた、努めて冷静だった。
いや、これも全ては計画通りに事が運んだからなのだが、それにしても、戦いに関してここまで冷静でいられる彼はある意味恐ろしい。

既に彼はこの戦いよりも先を見ているのかも知れない。
だからこそ、ここまで冷静でいられる。

健良君だけじゃありませんでしたね…と、光子朗は小さく心の中で呟いた。


まぁ、いずれにせよ。
決着はついた。


それは、牙を大きく開き過ぎて、正面ががら空きになった巨大昆虫と。
彼の真正面で、高く聖剣を振り翳すシルエットが逆光に映える大天使によって。

「私はそうは思わないな」

オオクワモンの意見に、最後に反論して。


「…マジで?」



最後に意味の無い一言を残し、巨大昆虫は正中線を境目に綺麗に切断された。



戦いが終わると、勝利者達は改めて集まった。
だが、喜びを顔に表すのも束の間、小さな地響きが足元から感じられた。
この部屋ではなく、別の場所からの。
恐らくは…戦闘の響き。

「何か、嫌な予感がする」

ホーリーエンジェモンの呟きは、その場にいる全員の心境を代弁していた。


INDEX 
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