時空を超えた戦い - Evo.30
電脳温泉殺人事件〜湯けむりに消えた大輔〜 -1-






啓人が目を覚ました時、最初に見たのは、がっしりとした赤褐色の幹だった。
何、これ?
十秒ほど気だるい頭で考えると、ようやくそれが和室の天井であることに気づいた。
やばい、アルツハイマー来てるかも。

ところで、どこの和室だろう?

布団の魔力に抵抗しながら上半身を上げると、予想通りの内装であった。
六畳くらいの部屋だ。襖で包囲され、ちゃぶ台も置いてある。
部屋の端には、よく分からない植物も飾られていた。

まだ目は十分に覚めていない…が、自分の周りに誰が居るのかはすぐに分かった。
あぁ、良かった。

「…起きた!」
「大丈夫なの?」

布団の周りには四人の仲間がいた。
健良、留姫、健太、そして樹莉。

「…あー、だるい」
「第一声がそれなら大丈夫そうね」
「…言うね、留姫」

確かに特に痛みはなく、僅かに残った倦怠感以外は普段の寝起きと変わらない。
しかし、脳が目覚めてくると、疑問も大量に湧き上がってきた。

「…で、ここはどこ?」
「ゲンナイさんの家だよ。あの後すぐにここに来たんだ」

健良が言った。
ゲンナイさんの家…
単に和室一部屋にいるだけなのでこんな判断を下すのは早計かもしれないが、思うに物凄い豪邸だ。
江戸時代の貴族の家か何かなんじゃないだろうかと思うほどの。
まあ、それはいいとして。

「僕さ、どの位寝てた?倒れてから」
「二日だ」

何時の間にか留姫の近くの柱に寄りかかっていたレナモンが言った。
…って、今なんて言った。

「っ…嘘…?」
「40時間位か。いずれにせよ二日近く」

やはりまだ寝ぼけているのか、いかにもそれっぽいテンションの高いリアクションは取れない──別に取りたくないが──が、内心充分過ぎるほどの驚きがあった。
ため息を吐きながら留姫が補足する。

「…あのね、アンタが倒れてここに寝かせてから、レナモンがずっと看ててくれたんだから」
「えっ、あっ、そうなの?」
「やっと顔色も良くなって、起きそうだってさっき教えてくれて。一昨日なんか本当に顔色悪かったし…」
「あっ…ありがとう、レナモン」

レナモンは目を瞑っただけだったが、啓人はそれをレナモンなりの「どういたしまして」と解釈した。

「でも、一昨日は酷かったんだよ、本当に?呻いてたし…惜しい人を亡くしたって…ギャアアァァ!!」
「いやいや、死んでないから」

啓人にとってはまことに残念だが、キレのない鈍いツッコミを健太に入れる前に、留姫がしっかりと裏拳を喰らわせていた。

「…あ、はは…まぁ…それで──」

しかし、次の言葉を紡ぐ前に、閉じられた襖の先から(健太のものとは別の)絶叫が聞こえてきた。
啓人は仰天したが、留姫は平然と立ち上がり…襖を勢いよく開けた。

「そっち五月蝿い!いい加減に…」

文句を言い終わる前に、襖の奥から黒い何かが高速で飛んできた。
どこか見覚えがある大きさのそれは…布団の中で上半身を起こしたばかりの啓人の顔面に見事にクリーンヒットした。

「「「…」」」

唖然となった…のは、啓人のいた和室の子供達だけであり、隣室では激しい口論が続いている。
黒い何か──ゲームのコントローラーらしい──を顔面に乗せたまま、啓人が仰向け状態に戻ったことにも気づいていないようだ。

「だーッ!!なんでブラジル使ってんのに日本に勝てねぇんだよ!!」
「はっはっは、この世界じゃ日本は世界最強だな!!」
「ちょっ、ちょっと!二人共何してるんだよ!?」
「あ?見て分かんねぇのか、ウイ●レだよ!!」
「聞いてくれよジェンー!大輔日本使ってんのに強過ぎんだよ!ぜってーおかしいって!!」
「博和が弱過ぎんだろ!!コントローラー放っちゃってさぁー?」
「んだと、ケンカ売ってんのかこの…」

博和と大輔がこめかみの違和感に気づいた時、既に留姫は両手それぞれの掌で抱え込んだ頭蓋骨を派手に激突させていた。
そのまま崩れ落ちる二人の代表監督。

「あれっ、啓人君起きた?」
「嘘!?本当に!!」
「大丈夫なの!?」
「…コントローラーが飛んでこなかったら大丈夫だっただろうけど…」

額を押さえながら再び起き上がる啓人。
ともあれ…目の前の大広間には、二日前(啓人には僅か数時間前のようにすら感じてしまうが)の激突を戦い抜いた友達が揃っていた。
みんなが──気絶しているパートナーに動揺しているブイモンとガードロモンは除くが──啓人に笑いかけていた。
それを見て、ようやく啓人は心から安心することが出来た。
ああ、よかった。
尤も、彼のパートナーは安心していなかったが。

「ターカー!!」
「?」

時既に遅し。

「トーッ!!」
「ふごおっ!?」

成長期にしては大型な彼のパートナーは、広間から助走をつけ(本人にその意思は恐らくないが)啓人に飛び付いた。
再び心地良い布団へと逆戻りするが、顔面──つまり鼻と口──が圧迫されているせいで脳に酸素が送られない。
早く言えば息苦しい。

「タカトーッ!!ギルモン心配だったよーっ!!大丈夫なのぉ!?」
「いや、だから…息が出来れば…だいじょ…」
「え?何々?」
「啓人〜、何言ってるか分かんねぇよー!」
「元気そうで何よりだがや!」
「啓人社長、何か一言お願いします!!」

イジメかこれは…。

「ほっほっほ、丁度良かったかのう」
「あっ、ジジイ!ナイスタイミング!!」

左側の襖を開けて──前が見えないので、啓人は耳で判断するしかなかったが──入って来たらしい人物(恐らく老人)に対し、太一が声をかけていた。
随分酷い呼び方だな、と思ったが、これだけ馴れ馴れしいことを考えると…太一さんとこの老人は案外、付き合いが深いのかもしれない。

「…ギルモン、そろそろ離れて…」

実際は半ば強制的に“引き剥がし”ながら、啓人は老人を見ようとした。

「ゲンナイさん、千里眼でも持ってるんすかぁ?昨日からずっと姿消してたのに…」
「ほっほ、勘じゃよ、勘」

ゲンナイさん?
二日前の戦いでも同じ名前の男性に案内をしてもらったが、珍しい名前であるだけに驚きの偶然だ。
もしかして親子か何かだろうか?
苗字じゃないような気もするが、デジタルワールドに必ずしも常識が通用する訳ではないし…。

とりあえず、挨拶はせねばなるまい。

「えー…と…初めまして?松田啓人です」



一瞬だけ部屋に静寂が訪れ。



「「「ギャハハハハハ!!」」」



次に爆笑に包まれた。

「え!?何、何々!?」
「いや、だって、何か…ハハハハ…」
「僕、なんかおかしいこと言った?ねぇ!?」
「いや、いや、無理ないよね、うん…ハハハハ…」
「…???」

やっぱりイジめられてるよ、僕。
イジメ、カッコワルイ…。

それから暫く不毛なやり取りが続き、ようやく啓人は事実を知ることになった。
驚くべきことに、“この老人”と“あの青年”は同じ「ゲンナイさん」なのだという。
確かに彼は人間ではなく、データである。
したがって自分自身の“書き換え”が行えてもなんら不思議は無いのだが(本人曰く「やはり、ここではこの姿の方が落ち着くのう」とのこと)、やはり啓人は驚愕した。



「…つーワケで…このジジイがゲンナイで、前に啓人が会ったのもゲンナイで。初期のこ●亀の両さん並に顔が違うけど同一人物、ってことだ」
「う、うん…太一さん、最後の説明ビミョーに分かりにくいんですけど…」
「ん、なら貸そうか?全巻」
「持ってるんですか!?」

割りと気になる発言をした太一だったが、この話題は簡単に──笑みを浮かべたまま太一の後頭部を引っ叩いたヒカリによって──流され、話は本題に戻る。

「まだ体が疲れておるじゃろ。ゆっくり休むといい」
「いえ、大丈夫ですよ。どこも痛くないし…それに…」

啓人は先の戦いを再び思い出した。
仮面の悪魔が目の前で笑いを上げながら逃げていく。
あと数十センチという所で、槍の先の敵が消える…。

「それに、ここで休んでる間にも、アイツは…」
「あぁ、確かにの。じゃが…」

ゲンナイは溜め息をつきながらも、暖かい笑みを浮かべる。

「まだ準備が出来てはおらん、互いにの。お主一人が動いた所で、ジョーカモンを見つけることすら出来ん」
「それに、動けないのはあっちも同じだしな」

ヤマトの補足に頷きながら、ゲンナイは言葉を続けた。

「後で詳しい話をするでな、その時にこれからを決めるつもりじゃ。それまでは休まにゃ損じゃぞ」
「…う、うん…はい…」

正直な所、少々不本意なのは事実だったが、啓人は頷いた。
確かに、前の戦いではジョーカモンを追い詰めた。
それこそ、あと一歩で全てを終わらせられる、という所まで。
それだけに悔しかった。
ここで休憩が入れば、相手も傷を癒す。
仕切り直し、ということだ。
次の戦いでは、終わらせられるのだろうか?
この不毛な戦いを…。

啓人は頭に手を当てる。
そして暫く考えていた。

襖が閉まる音が聞こえる。
足音を聞くと…部屋からみんなが出ていったらしい。
背中に未だに圧力を感じるので、ギルモンは例外なのだろうが…。


「まあ…こっから、かな…」

そう呟いた。


すると、返事が返ってきた。

「…そうだね」
「うん…って、へ?」

上の空だった精神が急に現実に呼び戻される。
すっかり自分の世界にのめり込み、気づいていなかったが、ギルモンの他にもう一人残っていたのだ。
啓人が常々心に思っている女性が。

「…ジョーカモンは倒せなかったけど…こうやってみんな、助かってるし…」

本来ならば、彼女の存在を啓人が察知出来なかったことだけでも驚くべき事態である。

しかし、これ以上に、何よりも驚くべきことは。



「…っ、本当、に…」
「んあ?ジュリ、なんで泣いてるの?」



加藤樹莉が、松田啓人の前で涙を見せていることだろう。



「か、加藤さんっ!?」
「…っみ、みんな…無事、で…」

今度は樹莉が自分の顔に手を当てる番であった。
不安と安堵の両方に押し寄せられ、肩を震わせながら泣く彼女は、何時になく弱々しく見えた。

「啓人君も…生き、てて…」

啓人はかけ布団の中に入っている足を思いきり抓った。
こんな状態で、今すぐ奴を追いたいなんて…とんでもない。
自分のことしか、いや、自分のことすら考えてない行動だ。
今の自分には、松田啓人には、死んだら悲しまれる人が沢山いるのに。

「…ごめん、加藤さん…」
「…な、なんで…啓人君が謝る、の…?」
「…えっ、と…とにかく…ごめん…」

不思議そうな表情をするギルモンを背中に乗せたまま、啓人は頭を下げた。
あぁ、もう、カッコつかないなぁ。

それから啓人は、樹莉が泣き止むまで彼女の頭を撫でていた。
もっと違うやり方の方が適切なのだろうが、啓人にはそれしか思い浮かばなかった。
本当にお前はカッコ悪いと、自分に呟き続けていた。





ゴッドドラモン達は、ゲンナイ邸の地下に即席で用意された司令室に何時間も篭ったままだった。
元々ここは使わないものばかりある倉庫であったのだが、二日前の戦いの後すぐに、彼の部下によって必要な機材が運ばれ、僅かな時間で司令室に“改造”された。
即席の司令室はゴッドドラモンらにとっては少々狭いが、戦略会議を行うことに関しては全く問題ない。
それに通信状況も良好であり、四聖獣との連携も可能だ。
何より、ゲンナイ邸の地下という場所は、ゲンナイ自身や子供達と常に繋がっているという価値がある。

ゴッドドラモン、パンジャモン、ザンバモンの三体は、巨大なデジタルワールドの地図、オルガノ・ガード全部隊の状況、現在のジョーカモンの予想兵力など、様々な情報が表示されるホログラムを囲んでいた。
オルガノ・ガードの戦闘隊長は彼らだけではない。
全部で26の隊を抱えるオルガノ・ガードは、それぞれに熟練の戦闘隊長が就いている。
だが、嘗ての総大将に教えを受け、義勇軍の設立当初からそこに身を置いてきた彼らは、現在ではオルガノ・ガードを司る役割も兼任していた。

「…手に入った情報はこれだけか?」

ザンバモンが顔をしかめながら、ある島の概要が記録されたホログラムを示した。
ホログラムの島は森林に覆われていながら、中心部が奇妙に開けている。
その部分のデータが打ち込まれていないのだ。

「はい、索敵網がかく乱されていまして…」

通信士官のコクワモンが申し訳無さそうに報告する。

「敵の内部でも情報が規制されているらしく、スパイも新しい情報は殆ど掴めませんでした」
「捕縛した敵の士官からは?」
「駄目です。捕らえたスカルサタモン達は地位の低い者ばかりで、目ぼしい情報は…」

ベルゼブモンが制圧した、ジョーカモンの本拠地──あの時既に“元・本拠地”であったが──の司令室に残っていた士官達は、全てが下位の者だったのだ。
既にジョーカモンの周りを固める地位の高い士官達は逃亡していた。
残っていた司令官達は機密情報の断片すら知らない下級士官であった。

「しかし、別の見方もできるな。ジョーカモンは情報を規制しなければならないほど追い詰められている。幹部であるブレイズ7も事実上壊滅した…」

パンジャモンが空気を変えるように明るく言った。
ゴッドドラモンも頷く。

「そうだ、ジョーカモンには最早手駒が残っていない。それに子供達はブレイズ7を倒したのだ。それだけでも大きな収穫だろうな」
「収穫、か。ニンゲン共によってもたらされた収穫、と…」

皮肉るような笑みを浮かべながらザンバモンが言った。
彼が人間を信用してないのは義勇軍の中では周知の事実なのだ。
元々この世界では、人間の力に疑問を持つ者など星の数ほどいる。
デジモンテイマーたる存在がデジタルワールドを救ってからも、その傾向は変わらない。

「あぁ、実際、我々が半年間戦い続けながら、ブレイズ7は一体として倒すことが出来なかった。それが一日にして壊滅だ。デスモンが生き残っているとはいえ、敵は最も強力な三体…カオスドラモン、ディアボロモン、ブラックインペリアルドラモンを失った。大きな足がかりだな」

パンジャモンが島のホロを指しながら言う。

「…ジョーカモンはこの島に立て篭もる。残った将校と合流し…最後の計画を進める」
「奴の策略は既に最終段階に入っている、との情報だったな。だが、まだ二週間ある」
「誤差が多少あるにしても…一週間は…」
「しかし、油断は出来ないな。それに完全に信頼できる情報とは言えない」

ゴッドドラモンが、機器に向かっているピッドモンの方へ向いた。

「包囲部隊の準備はどの位で出来る?」
「最終攻撃への布陣は…あと二日半もあれば」
「すぐに動こう。敵の準備まで待つ必要は無い。我々は…」
「ゴッドドラモン」

パンジャモンが彼の説明を中断させる。
司令室の全ての目が彼らに注がれた。

「子供達はどうなる?」
「ニンゲンの子供?ふん!!」

あからさまに不満な声を上げたのは、武将の姿をした戦闘隊長だ。

「ここから先は我らオルガノ・ガードの仕事だ、ニンゲンではなく!必ず、四聖獣の名の下にジョーカモンを滅ぼす!」
「…ザンバモン」

パンジャモンはザンバモンを言葉で制した。
明らかに、子供達とそのパートナーがこれ以上介入することに不満を持っている。
ゴッドドラモンはパンジャモンを見た。
白銀の獅子は溜め息をつき、自分の意見を述べる。

「彼らは我々の恩人だ。これ以上ないほど素晴らしい援軍でもある…だが…いや、だからこそ…これ以上、彼らを危険に晒させるのは…」

この考えも理解できる。
オルガノ・ガードに属するデジモンは兵士だ。
いつでも死ぬ準備が出来ている。
だが、彼らは人間であり、子供である。
そして兵士ではない。

パンジャモンはゴッドドラモンを見た。

「…お前の考えは?彼らは…」
「…うむ…」

ふと、ゴッドドラモンは思い出した。
戦いに関するあらゆることを教わった、総大将の言葉を。
数多の戦場を生き抜いてきた師は、勝利と死の狭間におけるあらゆる極意を彼に叩き込んだ。

“…戦へ身を投じた者は、何者であっても結末に対面する資格を持つ…”

ゴッドドラモンはこの言葉を信じた。

「…子供達は…あの戦いを生き抜いた」
「…」
「だからこそ、彼らには選ぶ権利がある」





「いや〜っ…極楽極楽っ!!」

白い湯から立ち込める湯気の中で、ミミの声が響いた。
日も暮れ(夕方のないこの世界において、この表現が正しいのかどうかは疑問だが)、月が顔を見せる時間、子供達とパートナーデジモン達は露天風呂にいた。
ゲンナイの豪華な豪邸からですら、想像できないような巨大な温泉だ。
そして非常に背の高い竹垣によって分断された湯の片側、女湯──男性諸君ならば一度は覗いてみたい、もし透明人間になれたなら行ってみたい場所五十年連続一位(当社調べ)──は、文字通り桃源郷であった。

「本っ当に今日は疲れましたよねー…」
「あ゛ー…生き返るー…」
「…ジジ臭いわよ、留姫ちゃん…」
「…へ〜、思ったよりもヒカリっていい体…」
「ちょ、ちょっと何言ってんの樹莉ちゃん!?」

実に妄想が掻き立てられる会話である。
が、こういう状況は外から見れば涎が垂れるほどでも、いざ中にいると真っ赤になり、自分の感情を御することに精一杯になる。
丁度、彼が良い例だ。

「なんで私はこっちなんですか!!」
「もー、照れちゃってー♪ホークモンったらー♪」
「て、照れるとかじゃなくて!ミヤコさん、状況考えて下さい状況!!」
「大丈夫大丈夫、みんな大歓迎だから。ウブよねー♪」
「そ、そういう問題じゃ…ギャアァァ!許して下さいィィィ!!」

ホークモンを(逃げられないように)抱え込みながら温泉に浸かる京は、自分のパートナーの狼狽っぷりを楽しんでいた。
もちろん、デジモンには性別はない。ないのだが…彼にも『遠慮したい状況』というものは存在する。
この状況はまさにそれだ。
だが、京のパートナーであること、誠実な人柄が裏目に出た結果、彼は強制的に女湯へと連れて来られたのだった。
元々体毛が赤いホークモンだが、普段よりも更に赤くなっているのは、温泉の温度が高いからだけではないだろう。
実際、今の彼はどこかの血管が破裂しそうなほど血液が活発に循環していた。



別の理由で血管が破裂しそうなコンビもいる。

「「…ホォォォォクモォォォォン!!F●CK YOU!!」」

竹垣の反対側、男湯では、下半身にタオルを巻いた大輔とブイモンが、竹垣の先から聞こえる悲鳴を聞きながら中指を立てていた。

「…大輔、落ち着きなって…」
「…落ち着けだぁ?この…馬ッ鹿野朗ぉぉぉぉぉ!!」
「えっ、待っ…ギャー!!」

湯船の中から大輔に冷めた目線を投げかけていた啓人に、露天風呂を形作る岩を飛び越えてきたドロップキックがヒットした。
激しい音と波が上がり、周りからは非難の目が向けられるが…この男は気にしない。

「あの鳥は、いやチキンは女湯に居るんだぞ!!Ladies bathに居るんだぞ!!我々が決して近づけない聖域に居るんだぞ!!あそこにはヒカリちゃんの…ヒカリちゃんの…ぬぐぉぉぉぉぉぉぉ!!」

叫び声とも悲鳴とも嬌声とも取れない声を上げながら再び竹垣に詰め寄り、大輔は絶叫した。

「許さねぇぞヒカリちゃぁぁぁぁぁん!!」
「いや、大輔君、なんか違わない…?」

タケルが冷静にツッコミを入れるが、大輔は聞く耳を持たない。
更に強力な支援者が現れる。

「同情するぜ、大輔ェ!!」

扉を勢いよく開け、二人目の勇者が入場した(露天風呂に)。
力強く行進しながら大輔に近づく博和の片手には、新たな武器が握られている。

「これを使え!」
「こ、これは…双眼鏡!?」
「ゲンナイさんに借りてきた。勝利は我らのものだぞ、我が弟子よ!」
「感謝します、マイマスター!!」

男同士の固い握手が結ばれ、最終兵器は博和の手から大輔の手へと渡った。

「行け、その瞳に楽園を刻みこむのだ!」
「御意!!」
「「「(ツッコむべきなのか…この状況は…)」」」

唖然とする外野を尻目に、大輔は竹垣へと向かった。

「さぁ、マイパートナー!今こそお前の力を見せる時だ!」
「う、うおぉぉぉ…っ…!」

ガクガクと小刻みに震えつつ、ブイモンが大輔を肩車する。
身長的には寧ろ逆であるべきなのだが…。
高い位置で竹垣の結い目に指を掛けた大輔は、更に自力で這い上がっていく。
実に醜い。

「よしっ、行け、大輔!俺達が叶えられなかった夢を、希望を!!」
「博和君、お願いだからちょっと黙って下さい…」

熱に浮かされる博和の声には力が入っていた。
勿論、これが成功すれば次は自分が行く気だ。

遂に大輔は登頂に成功した。

「やった…やったぞ!俺はやった!!」

いけない、ここで泣いてはいけない。
しっかりと聖域の宴を目撃しなければ。
即座に双眼鏡を目に当てた。

レンズには、金色の狐が腕を交差させ、攻撃の準備をする画が映っていた。
「狐葉楔」という言葉を聞いた気がした。




「ギャアアアァァァァァ!!」
「「「(殺られてる!!)」」」

断末魔が響き、竹垣から血塗れの人影が落ちてきた。
それは豪快な音と水しぶきを上げて温泉に沈んだ。

「だ、ダイスケーっ!だ、だ、大丈夫かっ!?」

バシャバシャと水音を立てながら、ブイモンが慌てて駆け寄る。
他の男性陣も落下地点へと近づいた。明らかに冷めた目をしていた。

ぶくぶく…と、泡が立ちこめる中、“ひと”が浮上してきた。
正確には“とひ”と呼ぶべきなのかも知れないが。

水面から姿を現したのは二本の足だった。
それが天を指すように突き立っている。

「「「犬神家!!?」」」



見事なお約束を披露した大輔は、温泉から上がった後、更に女性陣から温かい“拳”を頂いた。


<< ・ INDEX>>
inserted by FC2 system