時空を超えた戦い - Evo.31
Opening Part 3:決戦前夜






「我はブラックインペリアルドラモンではない。我は“戦慄”だ」

目の前にいる黒の竜のことは確かに見覚えがある。
だが、見かけなど当てにならない。
声も、表情も、目つきも、雰囲気も、何もかも違う。

「驚いているのか?貴様らしくもないな…」
「…戦慄だと…」
「なあ…落チブレタ悪魔ヨ」

言葉は一層冷徹になった。

「貴様ハ我ノコトヲ知ッテイル筈ダ。何ヲソンナニ驚ク?」

ジョーカモンは言葉に詰まる。
そう、“彼”のことは確かに知っている…だが、まさか、こうして合間見えるとは。
非常にタイミングが悪い。

次の言葉は僅かばかり、元の厳格さを備えた声に戻った。
“こちら”はブラックインペリアルドラモンなのか?

「…ジョーカモン、貴様はクローンを…我々を造った時、後々に障害となるであろうデータを全て排除していたようだな。だが、一つだけ、どうやっても抹消できないプログラムがあった」
「それを貴様が知っていたとは。驚きだ」
「それが私の中にいた“奴”…もう一つの人格。闇の古代種としての破壊本能。命を弄ぶ貴様でさえ、これだけは破壊することが出来なかった」

黒の皇帝竜は一瞬震えた。
すると、彼の左目だけが、再びあの紅色──“センリツ”の色──へと戻る。

「そこで貴様が考えたのは、この人格が“表面に出られなくする”こと…アノ卑シキ『種』ヲ使イ、我ヲ閉ジ込メルトイウ下卑タ手段ダ…」

あの戦いの中、起動した『種』が埋め込まれていた理由まで、彼…否、“彼ら”は言い当てた。
そうとも、確かに『邪念の種』は、ブラックインペリアルドラモンのプログラムの“妨害”の為に使用した。
ジョーカモンでさえ破壊できなかったこの人格をどうにかするには、同じように凶暴な人格であり、且つジョーカモン自身が操ることの出来る『種』意外は有り得なかった。
だが、この『種』を使用したのはクローンの肉体。
したがって“こちらの”肉体には、あの人格を妨げるものは何もない。

儂としたことが、気づくのが遅かったな、ジョーカモンは舌打ちした。

「だが、ブラックインペリアルドラモンよ、貴様はそれでいいのかね?“彼”はこの儂ですら、種を使って抑えていなければならなかったような存在だろう?」
「言っただろう。私は貴様をここで殺さねばならん。代価として命を支払おうとも」
「立派な心がけだが。そんな解決方法で貴様は満足するのか?」
「これは私の問題ではない。代償を支払う時が来た…」

次の瞬間、巨大な翼が一気に開き、黒の巨体が飛んでくる。

「ソレダケダ」

仮面の悪魔は、目の前に金色の刃が閃くのを見てすぐに防御の構えを取った。
巨大な刃が迫ってくる。
だが、突撃から繰り出すスプレンダーブレードは彼の十八番、言い換えればこれまで何百回と見てきた攻撃方法だ。
──その戦術を磨いたのは、“儂の”士官学校であったことを忘れているようだな。
ジョーカモンは巨大な黒の竜に、真っ直ぐ刃を振り下ろした。

聞くに堪えない不気味な音と共に、辺りに真っ赤な液体と鉄の臭いがぶち撒かれた。
ジョーカモンは自分の腕と、そこに持っている両刃の鎌を見た。
左腕から肩にかけ、稲妻のような不気味な傷跡が走り、そこからおびただしい量の血液が流れ出ている。
鎌に至っては左端の刃がひしゃげ、砕け、完全に使い物にならない状態である。

「ドウダ、悪魔殿?コレデ分カッタカ?」

斬りつけたまま飛び去ったセンリツが、先程と同じ、感情の全く篭らない声で喋りながらゆっくりと戻ってくる。
邪悪な笑みと、静かな恐怖。
ジョーカモンは思わず後ずさった。
そしてようやく気づいた。
この魔竜は──“センリツ”は──ブラックインペリアルドラモンとは全く異質な存在だ。
センリツの戦闘フォームは、ブラックインペリアルドラモンのそれとは明らかに異なっていた。
ブラックインペリアルドラモンはその見かけとは裏腹に、整えられた演舞のような戦い方をする。
シンプルで力強く、且つ、古代の舞踊と紳士の立ち振る舞いを組み合わせたような品がある。
センリツの戦いは、その正反対だ。
荒々しく、不規則で獰猛。
細やかな動きなど無意味だと言わんばかりの、破滅を呼ぶ巨大な竜巻。
ジョーカモンの腕に刻まれた稲妻のわだちが、それを物語っている。

かつてのジョーカモンが彼に埋め込んだ“種”の人格は、確かに凶暴な獣であった。
しかし、彼は獣などではない。
化け物だ。

ブラックインペリアルドラモンは、この邪悪な人格を完全に開放していた。
いや、元々この人格の辞書に“手加減”などという言葉はないのだが、それでも、全く制御するつもりもなく自分の肉体を彼に委ねることは初めてだった。
そして恐らく、今後も有り得ない。
センリツの力は皇帝竜の身体能力を遥かに超えている。
既に全身の骨が軋み、四肢の感覚は失われつつある。
ブラックインペリアルドラモンは自身のタイムリミットを10分程度と予測していた。
だが、どうやらそれよりも短いようだ。
せいぜい、あと5分もあればいい。
彼は、その方程式がイコールで自分の人生と繋がっていることに気付き、この恐ろしいユーモアに自嘲的な笑いを浮かべずにはいられなかった。

あと5分で、ジョーカモンと自分は死ぬ。
ジョーカモンには最早力は残されていない。
いや、例え奴が完全な状態であったとしても、センリツには敵わない。
彼にはその確信があった。
同時に、黒の皇帝竜は、この“センリツ”によって内側から殺される。
同じ側に身を置いた二体の殺戮者は、こうして誰にも見つからずに抹殺されるのだ。

彼がキングエテモンを弾き飛ばした理由は、ここにあった。
センリツは破壊の対象を選ぶなどという器用な真似はできない。
闇の人格は動く存在全てを破壊する。
だが、ある程度の距離を置き、且つ気絶しているデジモンならば…。
キングエテモンが起きた時、この通路には破壊の跡を除き、何一つ無くなっているだろう。
そして、ここで起こったことを彼が知れば、後々にはオルガノ・ガードや選ばれし子供達にも伝わるに違いない。
結末としては、それで充分だ。



黒の竜巻は再びジョーカモンを呑み込んだ。
スプレンダーブレードが一度閃くごとに、デジタル空間の通路には紅海が割れたかのような巨大な傷跡が生まれた。
そしてその度に、ジョーカモンは追い詰められ、巨大な傷を受けた。
だが、彼にはまだ切り札がある。

「いい加減にしろ!!この愚か者が…ダーク・モノリス!!」

何度目かの攻撃を避け、充分な距離をとった仮面の悪魔は、腕を最後の武器──グレイソードとガルルキャノン──に変換させた。
牙を剥き出しにした皇帝竜へと、狼の銃を向ける。

「滅べ!!」

だが、閃光が放たれる前に、この切り札さえ潰えた。
仮面の悪魔を再び襲わんとする闇の人格は、ガルルキャノンが放たれる直前に恐ろしい唸り声を上げた。
その空気の振動がジョーカモンの腕へと伝わった瞬間、竜の剣と狼の銃は、爆発音と共に粉々に砕けた。
それと同時に、灼熱の金属を押し当てたような耐え難い苦痛が、ジョーカモンの腕に降りかかる。

「ぐっ…ぐあああぁぁぁぁ!!」

ジョーカモンに追い撃ちをかけんとばかり、高速で飛びながら、センリツは叫んだ。

「無駄ダ!我ノ咆哮ハ全テノ無生物ヲ破壊スル!貴様ノ偽リノ武器ナド無意味ダ!!」

その言葉を理解する前に、ジョーカモンはセンリツの角によって突き飛ばされた。
壁に激突し、息が出来なくなる。
ジョーカモンは目の前の光に気づいた。
あの破壊の光芒だ。
この至近距離で?しかも“センリツ”の?

「や…やめろ…やめろ!!」
「滅ブノハ貴様ダ…」

センリツは破壊の光を開放した。

「メガデス!!」



死の輝きが辺りを包む。
鮮やかな色彩の壁が剥がれ、放射状に破滅の花が咲いた。



「…はあッ…!!グ…ぁあ…!」

分解しかけている両腕を動かし、死の世界からの逃亡を試みる。


まずい。
勝てない。
強過ぎる。
殺サレル。


またしても後ろから尾で薙ぎ払われ、10メートルも吹っ飛ばされる。

ジョーカモンはセンリツと再び顔を見合わせた。
彼に死を運ぶ、暗黒の人格。
ジョーカモンは絶叫した。


既にセンリツにも、時間は長くは残されていなかった。
ブラックインペリアルドラモンの制御も効かなくなってきている。
メガデスの反動からか、口からはとめどなく血が垂れ落ちていたし、デジコアを保護する肋骨も何本か折れているようだ。


これで、いい。
万事予定通りだ。

センリツよ、奴を殺せ。
僅かに残された意識の中で、ブラックインペリアルドラモンは叫んだ。


「やめろ…やめてくれ!た…助けてくれ!頼む…」
「コノ体ノ持チ主ハ、貴様ヲ殺スコトヲ承認シタ」
「ブラックインペリアルドラモン…!?た、頼む!ブラックインペリアルドラモン、儂を助けてくれ!!き、貴様は…わ、儂の大事な…大切な息子だ!!」
「奴ハ貴様ト話サナイ」
「貴様を造ったのはこの儂だ!!い、今こそ、その恩を返す時だぞ!!」
「創造主ト共ニ死ヌコトコソガ奴ノ願イナノダ。コレハ奴ガ望ンダ結末ダ」
「そ、そうだ!他の幹部をもう一度造ってやる!!貴様も我々の側に復帰させてやる!何でもする!貴様の欲しい物は何でもやる!!」
「時間ガ無クナッテキタ。ソロソロ死ネ」

センリツは右脚を振り上げた。
血塗られた刃が、輝いて見える。



何か強力な波動が、黒竜の巨体を吹き飛ばした。
ジョーカモンではない。彼にそんな力は残されていない。
では、誰が?

その正体を視界に捉えたのは、空中でバランスを取り戻し、再び元の体勢に戻った瞬間だった。
…こんな動作をするだけでも骨が軋む。時間が残されていないというのに…。

彼は空中で腕を組んでいた。
紫色の体を持つ彼は、薄ら笑いを浮かべる。

「おやおや、これは大変だ」
「何者ダ、貴様ハ?」

ブラックインペリアルドラモンも、つかの間苦痛を忘れて彼を凝視した。
ジョーカモンよりも背の高い、人型の…?
いや、二足歩行型なのは確かだが、その風貌は寧ろ、羊と悪魔を合成させた不気味な怪物といった感じだ。
ブラックインペリアルドラモンは、自らの組織内でそのようなデジモンを見たことは無かった。
誰だ?

「少々整理させて頂きたい…ジョーカモンさん、これは何かの冗談でしょうか?貴方が定刻通りに到着しないこと自体が珍しいことだと思いましたが、このような事態になっているとは」

ジョーカモンは片腕でなんとか体を支え、そのデジモンを見た。
どこか忌々しげな視線だが、口調は寧ろ普段の猫撫で声に近い。

「…儂としては…貴様がこんな所まで来ることも想定外だがな…」
「お迎えに来たのですよ…そして、あぁ、失礼致しました。初めまして、ブラックインペリアルドラモンさん」

センリツは、この乱入者の自分に対する呼び名が間違っていることには敢えて触れず、返答した。

「我ハ貴様ノコトヲ知ラン」
「名乗る程の者ではありません。私は、ただ…貴方達を陰から見守っていた、しがない協力者ですよ」

突然、ジョーカモンが叫んだ。

「奴を殺せ!反逆者だ!殺せ!!」

この声に乱入者は顔をしかめた。
僅かにジョーカモン側に向き直り、あからさまに不満を表明している。

「私が、ですか?お言葉ですが、貴方の御礼参りというのは紳士の美徳とは言えませんね…」

ここで言葉が途切れた。
センリツが一気に飛び掛かってきたからだ。

もう時間がない。
ジョーカモン側に援軍が現れたならば、それも始末するまで…。
既にブラックインペリアルドラモンの肉体は限界を超えていた。
飛べ。奴らを始末しろ…。

だが、どれ程気力が充実していようとも、体が先に力尽きた。
突然、口の中に不快な鉄の味が充満し、強烈な吐き気が喉を刺激した。

ブラックインペリアルドラモンは吐血した。
内臓がやられたことにはすぐに気づいたが、それよりも遥かに重大な問題があった。

“ブラックインペリアルドラモン”だと?
闇の人格はどうした?
何故全身の動きが停止し始めている?

勿論、ブラックインペリアルドラモンはその答えを知っていた。
認めることが出来なかっただけだ。

ブラックインペリアルドラモンは全精力を振り絞り、刃を閃かせた。
それはとてもゆっくりした動きに思えた。
いや、実際にその動きはとても遅かった。
それは、今や腕が自分の十倍以上の重さを持つ鉛のように感じる、満身創痍の黒竜にとっては、当然のことであったのかもしれない。

「スプレンダぁ…ブレード…ぉ…!!」



「…ぁあ」

敵が、笑みを浮かべた。

「仕方ありませんね」

そして、彼が自らの足元を指差すと、そこが淡く光り出し、魔法陣が現れる。
光は更に強まった。



「メフィスモン進化、ガルフモン」





「既に司令官達は貴方を待っていますよ」
「…計画は予定通りに進んでおるのであろうな」
「そのようですよ。詳しいことは総司令殿にお聞き下さい」

ジョーカモンは立ち上がり、使えなくなった両刃の鎌を杖のように突いた。
メフィスモンが笑みを浮かべ言う。

「さあ、参りましょう」



「待て…」

血塗れの黒竜が力無く叫んだ。
酷くか細い声で、注意しなければ聞き取れない程小さかった。

「お前達を…殺…す…」
「何だね、死に体の元・幹部殿」

ジョーカモンの声は今まで追い詰められていたとは思えない程、高慢さが滲み出ていた。

ブラックインペリアルドラモンは顔を上げ、ニ体のデジモンを睨みつけた。
怒りと焦燥感を感じたが、同時に無数の疑問が渦巻いてくる。
少し間を置き、僅かに冷静さを取り戻すと、疑問が口をついて出た。

「ジョーカモン…貴様、何時からそいつと手を組んだのだ…私の知らぬ間に…」
「何時から?良い質問だ」

ジョーカモンの言葉は相変わらず冷たいままであった。
しかもブラックインペリアルドラモンの混乱を楽しんでいるように見える。
対してメフィスモンは、僅かな笑みを浮かべてこの状況を見ているだけだ。
何を考えているのか、全く読めない。

「最初からだよ」
「最初…?」
「この計画が始動された時から、お前達が生まれる遥かに前から、だ」

これは鈍い衝撃と、更なる混乱をもたらした。
計画の始動から?
ブレイズ7の生まれる前からだと?
これを言葉通りに受け取るのならば、彼らは少なくとも、五年以上も前から裏で共謀していたことになる。

「そもそも、我々が進めてきた計画の骨組みを考案したのがこのメフィスモンなのだよ。彼は儂の持つ『邪神竜』の情報を聞き入れ、復活に必要な全てのテクノロジーを我々に提供してくれた…」
「復活計画の協力者だと…?」

彼の言う“我々”の中に、ブレイズ7が含まれて居ないことは明らかだろう。
ブラックインペリアルドラモンの頭は、この新たな情報を冷静に処理しようとした。

「あの計画に関する準備は、全て貴様が行なったものと…」
「それはお前達の勝手な思い込みだ、我が息子よ」
「ならば…我々の役目は…?ブレイズ7は…」
「あぁ」

ジョーカモンは前に出て、倒れたままのブラックインペリアルドラモンを見下ろした。

「確かに、ブレイズ7は我々のクローン技術によって生まれた。お前達の仕事も少しは貢献してくれたよ。我々には力が必要だった。それがお前達だ」
「だが、私達は最早お前達に従わない」
「分からんのかね?これは五年前の話だ。我々にはお前達などもう必要ない」

ブラックインペリアルドラモンは黙ってジョーカモンを睨み続けた。
彼ですら、これ以上ジョーカモンの言葉を聞く気にはならなかった。
可能ならば、今すぐこの死に損ないの悪魔を叩き潰してやりたい…だが、それは出来ない。
それどころか、今の自分の命は、まさに彼らの手の内にあるのだ。
彼には、この演説を聴き続けるという選択肢しか存在しなかった。

「我々は…我々は、貴様の下で死ぬまで戦い続けたのだぞ…貴様のために四体の兄弟が失われたのだ…!」
「そうとも。死ぬまで戦う、それこそがブレイズ7に与えられた役目だったのだ」

この言葉に、ブラックインペリアルドラモンは更なる痛みを感じ、反射的に自らの心に防壁を造った。
次の衝撃に耐えるために。

だが、その防壁は粉々に砕かれた。



「ブレイズ7は十分に“悪役”を演じてくれたよ。君らの役目は戦場で敵を殺し、死ぬことだったのだ」



ブラックインペリアルドラモンは言葉を失った。
口から血が滴っているが、それにも気づいていない。

自分達の戦いは、全て主の悪名を背負うためにあったことを、彼は漸く理解した。
敵を殺し悪名を得ること、それこそがブレイズ7の役目だったのだ。
七体のデジモンには、幹部としての役割は何一つとしてなかった。
彼らはショーの悪役に過ぎなかった。
ステージの上を動き回り、憎まれ役を買って出る存在でしかなかった。
四聖獣の目を惹き、彼らの目隠しとなる、それだけの存在でしかなかった。
カオスドラモンの殺戮、デスモンの忠誠、ブラックインペリアルドラモンが見てきたもの、それら全てが虚空に消えた。

「あぁ、それともう一つ」

無力感に打ちひしがれているブラックインペリアルドラモンを見つめながら、仮面の悪魔は言葉を付け加えた。
このデジモンには、もっと真実を知る権利がある…残酷な真実も含めて。
それに、この考えることが趣味の黒竜には、死よりも痛みを伴う苦悩の方がお似合いだ。

「『邪神竜』の復活が近いことも覚えているかな?最後の戦いは近い。我々にとっても、子供達にとっても…果たして彼らは真実に気づいているのかな?」
「貴様の計画など…オルガノ・ガードも気づいているだろう…」
「そうだな、きっと彼らの放つ狡猾なスパイが情報を送っているのだろう」
「…余裕だな…まだあと猶予は二週間もあるぞ…子供達は…」

ブラックインペリアルドラモンの息が止まった。
待て。そんな筈はない。

これでは、全てが無意味となってしまうではないか。

「そうとも、彼らは“二週間”だと考えているのだよ。今まで君らが“言われてきた”期間と同じだ」

体中から血液が全て失われたような感覚の中、ブラックインペリアルドラモンは最大の衝撃を受けた。
だが、それを感じる感覚はなかった。
これまでに受けた痛みが大き過ぎて、それを受容すべき心が麻痺している。
全てが終わるという絶望以外は何も感じ取れない。



「では、さらばだ。五年もの間、汚れ役をしてくれたことを感謝する。我らのポスター・ボーイよ」

闇の皇帝竜はジョーカモンの声と、彼らが去る音を聞いた。
この音は何だ?
絶望が去っていく音か?それとも、迫ってくる音か?

彼はセンリツを恨んだ。

何故だ、どうして消えた。
奴は私の命を代償にしてこの戦いを終わらせるのではなかったのか。
これも私の楽観的な展望だったのか?
全ては幻想だったのか?
全ては無駄だったのか?
結局、これも間違いか?

ふと、ブラックインペリアルドラモンはそれまでと違うものを見た。
荒野にひとりの少年がいる光景だ。
彼には、それが過去の光景なのか、今の光景なのか、未来の光景なのかを思い出せなかった。
ただ、その光景はとても懐かしかった。
これはいつ、どの時間の光景だったのか?
この少年は──。



「…カズト…」



ブラックインペリアルドラモンは立ち上がろうとした。
脚を動かし、一歩でも前に進もうとした。
ジョーカモンを追おうとした。
しかし、どんなに動かそうとしても、彼にそれだけの力は残っていなかった。

彼は怒った。
無念だった。
誰よりも自分に腹が立った。



「…ガァアアアアアアァァァッ!!ヴゥア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアッッッ!!」



戦いを終わらせる筈のデジモンが、実際は吼えることしかできないとは、何と不甲斐ない。





スカルサタモン・ベインは、緊張した面持ちで通路を歩いていた。
大広間に出ると、そこには既に配下のデジモンが集結し、整列していた。
彼は近くにいる別のスカルサタモンに、安堵の溜め息を吐きながら頷いた。
どうやら、間に合ったようだ。

主が島に戻るのは久しぶりのことであった。
それも、不測の戦闘によって大怪我をしているとのことだ。
こういう状況では、備えはどれだけあっても問題ない。
少しでも粗相があれば、それだけで自分の地位に直接響くことになる。
それだけは絶対に避けなければならない。
総司令官という仕事は実に疲れる。

ゲートが光り輝き、そこから二体のデジモンが現れた。
なるほど、確かに酷い怪我だ。
これは、少しでも気に障る発言をしただけで殺されかねんな…ベインは頭の片隅でちらりとそう思った。

「閣下、お待ちしておりました」

破壊された鎌を杖のように突きながら、主は怪我しているとは思えない程の勢いで彼に向かってきた。
思わずベインは息を呑んだ。

「『邪神竜』はどうなっておる、総司令官!?」
「はっ、全て順調に進んでおります、閣下。宜しければ、視察の準備も整っておりますが…」
「儂一人でよい」

それだけ言うと、ジョーカモンはすぐに彼の横を通り、通路へと繋がる扉へと向かっていく。
ベインは周囲の士官達が、唖然とした視線で主を見送っているのを背中で感じた。

「か、閣下!?お怪我の方は…?既に医療班が控えておりますが…?」
「問題ない」

振り返りもせずにそう言うジョーカモンに、ベインは思わず駆け寄ろうとしたが、思い留まった。
自分の背後にいる長身のデジモンは、それだけで威圧感がある。

「止めておいた方が良いでしょう。今の彼は巨大な爆弾ですよ」
「メフィスモン卿…」

この不気味な“もう一人の主”は、笑みを浮かべながら独り言のように言った。

「既にあなた方の主は全てを予見されておられる。あなた方はあなた方の仕事をしていれば、何一つ心配する必要などありません」
「…は」

ベインは頭を下げた。
このデジモンは何を考えているか分からないが、少なくとも寛大さにおいてはジョーカモンよりましだ。
余計な悩みがこれ以上増えるのはご免である。
悩みと言えば…今、この島にはもう一体、とんでもないデジモンがいる。
ベインにとってはこの上ない頭痛の種だ。

「あぁ、ところで、デスモンさんはどこにいらっしゃるのです?」
「…デスモン様は地下牢に…あの、何故主はデスモン様を…ブレイズ7を生かしているのですか?あの方ときたら…貴重な人員を…」

ベインは、メフィスモンらよりも早く到着したデスモンの対処に、つい先ほどまで手を焼いていたのだ。
到着するや否や、出迎えのデジモンを殺したデスモンを押さえつけるのは大変な作業であった。
あの幹部達の内四体が戦死したという情報が届いた時は、彼自身は非常に喜んでいたのだが…。
まさかその内の一体が、しかも今ではすっかり感情を失っているデスモンがこちらに合流するとは、思ってもいなかった。
大体、何故あんな野蛮なデジモン達が、総司令官である自分よりも地位が上なのか?

「おっと、重大なことを忘れるところでした」

去り際にメフィスモンが言った一言で、総司令官は我に返った。

「総司令官殿、もう一つの計画の方は順調でしょうか?」
「あの、もう一つとは…リアルワールドへの…」
「その通り」
「は…はい、全て手配できております」
「宜しい」

メフィスモンが満足そうな笑みを浮かべ去っていくのを確認すると、ベインは悪寒に背筋を震わせた。
リアルワールドへの計画は、僅か数ヶ月の間に立ち上げられ、進められたプロジェクトだ。
しかし、これによって生まれた産物を見るのは、レアモンの食事を間近で鑑賞することよりも気分が悪い。
これからリアルワールドで繰り広げられるであろう惨劇を想像すると、彼はジョーカモン側に立っている自分の立場に感謝せずにはいられなかった。
ニンゲン達が滅ぼうと知ったことではないが、“アレ”が放たれた後のリアルワールドになど行ってたまるか。





「王様ゲーム!いえーい!!」

女子軍団の寝室で、ミミの手に握られている割り箸が一斉に引かれた。

「王様だ〜れだ!!」

参加者12名が一斉に自分の割り箸に書かれた文字を見る。
京の眼鏡が妖しく光った。

「オッケェェェェイ!!私王様〜!!」
「えぇ〜…またぁ〜…」
「ミヤコさん、運強過ぎです…」
「えぇっとね、そ・れ・じゃ・あ〜♪1番の人と3番の人が〜♪隣の部屋に入って男子を逆レ」

顔面に飛んできた枕で、そこから先の言葉は封じられた。



ゲンナイ邸での二日間は驚くほど早く過ぎた。
遅く起き、サッカーをし、ゲームで対戦し、騒ぎながら夕食を食べ、温泉で犯罪未遂を起こした。
ひたすら笑い、馬鹿になった。
互いが互いを、まだ数日前に出会ったばかりなのに、何年もの間付き合っている親友のように感じた。
出来ることなら、もう暫くこうして遊んでいたい。
特に理由はないが、全員が心からそう思った。
こんな夏休みは、なかなか過ごせるものではない。

この二日間は戦いについて話すことはあまりなかった。
忘れたいと思ったわけではない。
他に話したいことが沢山あっただけだ。
今でしか話せないことを話したい。
今でしか話せない親友と話したい。
この戦いが終わったら、その後は…それぞれの世界に戻り、またいつもどおりの日常に帰る。
それまでの時間は──。



「はぁ〜…いよいよ明日かぁ〜…」

女性陣よりも遥かに人数の多い男性陣には、更に巨大な部屋が与えられていた。
外は暗くなり、布団が一面に敷かれているが、毛布に包まれていようがいまいが、眠気が未だに襲ってこない。
早く眠りたいのになぁ、などと呟きながら啓人は掛け布団を被った。
くそう、どれもこれも、両脇から聞こえてくるこの会話のせいだ。

「なぁなぁ、お前の好きなコ誰?」
「俺はやっぱヒカリちゃんだね〜!」
「オレ?オレはテイルモン!」
「好きな〜?ギルモン、ギルモンパンが好き〜」

修学旅行だ。完全に修学旅行。
いや、今までもそんな向きはあったけど、何もこんな所まで徹底しなくてもいいのに。
というより、こんな状況じゃなかったら僕だって参加したいのに。
大体、緊張感無さ過ぎだ。頼むから寝てよ!

とは言え、こんな悶々とした気分で毛布を被っていても眠れる筈も無く、啓人は諦めたように上半身を起こした。
文句を言おうとしたが、その前にある光景が目に入る。
修学旅行グループとは別のグループ。
薄明かりの中で、掛け布団から顔だけを出し、ヤマトや光子郎、それに丈が何かのノートを開いている。
隣で熟睡するパートナーデジモンも気にしていないようだ。

「あ…何してるんですか?」

ひと目見ただけで想像は出来たが、口をついて出たのはやはりこんな言葉だった。

「ん、受験勉強。これでも一応、受験生だしな」
「あっ、そうか…大変ですね…」
「まぁ、中三の夏なんてそんなもんさ…で、なんで光子郎が勉強しててこの馬鹿は寝てんだっつーの」

ヤマトが横たわるボサボサ頭をガツンと叩いた。
起きる様子は全く無い。

「そうかぁ、受験かぁ…」
「お前らもそんなに先の話じゃないぞ。今のうちに遊べるだけ遊んでおけよ?」
「アハハ、分かりました」

啓人は、再び布団の中に自分を埋めながら、ふと思った。

なんか、みんな大人になってるんだなぁ。
僕もそうなってるのかな?

そんなことを考えているうちにまどろんでいき、何時の間にか周りの騒ぎ声も聞こえなくなっていく。
啓人が眠りに全てを任せた頃には、少なくとも今までよりは頭の中がずっとクリアになっていた。





こうして、全ての者が運命の日を迎える。
デジタルワールドに一気に朝焼けが奔り、世界は朝を迎えた。
いつもと変わらない、しかし、やがて何かが変わる一日だ。
早速、最初の変化が訪れた。
それは早朝、ゲンナイ邸の中にある、オルガノ・ガードの戦闘隊長達が朝の稽古をする道場に訪れた。

勢いよく襖が開き、知らせは隊長達へと届けられた。
コクワモンが膝をつき、緊急の伝令であることを告げる。

「申し上げます!エージェントより新たな報告がありました!」
「…今になってだと?」
「切迫した事態です!情報網によりますと、『邪神竜』復活計画の期間について、ジョーカモン側による情報操作が行なわれていたとのことです!実際は我々が予測していたよりも、遥かに計画は進んでおり…」
「残る期間は?」
「既に『邪神竜』の復活まで、四日間を切っているとのことです!」

ゴッドドラモンは耳を疑った。





子供達とパートナーデジモン達は円陣を組んでいた。
ここまで来れば、もう進むだけだ。
ここにいる全員がひとつだ。
力や住む世界は関係ない。
秘める決意は皆同じ。

「さぁみんな、目を瞑って思い出してくれ…」
「…大輔、何か言う気?」
「アノマロカリモンの遺言…」
「訳分かんなかったじゃん、アレ」
「温泉での情事…」
「また殺されたいの、アンタ?」
「時をかける少女…」
「俺達に一切関係ないな」
「日本刀はピストルよりも強い…」
「へぇ〜へぇ〜へぇ〜」
「真のLを継ぐ者は…ぐはぁっ!」

顔面に留姫の蹴りが入り、ハリウッド並みの吹っ飛び方をする大輔。
泣く泣くもう一度肩を組んだが、留姫の視線が怖いらしく、結局何も言わなかった。
そこで彼は苦笑する啓人の肩を軽く叩き、バトンタッチした。

「えーっと、それじゃ…みんな、全員で元の世界へ帰ろう!」
「「「おぉっ!!」」」





もう誰一人として後戻りは出来ない。
気づく気づかないに関わらず、運命の戦いは始まったのだ。
全ての立場、全ての者にとっての戦いだ。
それを感じたのは極僅かな命、それも殆どがデジタルワールドにいる者達。
だからこそ、リアルワールドにいる彼らはその例外と言ってもいい存在だった。

山木は蒼白な表情で扉を開けた。
ここ数日静けさを取り戻していたネットワーク管理局は、火がついたように騒然としていた。
まるで、数日前に…いや、半年前にタイムスリップしたようだ。

「さっきの電話はどういうことだ!何が起こっている!!」
「解りません!」
「画面を切り替えろ!ヒュプノスはどうなっている!!」

チーフ・オペレータである麗花が素早くキーを打つと、この部屋の上層全体を覆っている大画面が、見慣れたネット管制の画面へと光景へ変化した。
だが、それが表示された時──小野寺は悲鳴を上げ、麗花は言葉を失った。



「…なんだ、これは…」



やっとのことで山木の口から出たのは、その一言だけであった。

いつもの青いデジタル空間は、そこにはなかった。
代わりに表示されているのは、紅の川。
死の激流、不気味な泡の大群。



そう、泡なのだ。



半年前、二つの世界を侵蝕した、もう世界から消え去った筈の、赤い毒の泡だ。




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