時空を超えた戦い - Evo.39
Digimon Carnival!! -2-






旅行当日。
新幹線を降り、荷物をホテルに置くと、早々に雪山へと向かった。
約二時間を窮屈なスーツケースの中で過ごしたドルモンは流石にげっそりとしていたが、降ってくる雪と冷たい空気、東京とは明らかに違う温泉街の景色からすぐに元気を取り戻していた。

午前中には全員で二、三回最も大きなコースを滑る。
ドルモンだけはスキーコースへ堂々と出ていく訳にはいかなかったが、「ちびっこゾーン」と書いてあるリフトのないコースで、マスコットのふりをしてソリで滑る分には問題がないようだった。
昼時になり小腹が減り始めると、敬の提案で食事をするグループと引き続き滑るグループに分かれることとなった。
楓香はともかく、一人が滑り続けると言い出したことに敬たちは少々驚いたが、特に気にすることはなかった。



「一人くん、なんで今日はあんなにやる気になってるんだろうね」

休憩所で昼食を取りながら、雪陽は同じく食事を続ける敬と爽香に言った。

「そりゃ〜勿論、恋よ。恋。あ、敬、タマネギあげる」
「マジで?あの一人が?あとタマネギいらね」
「気づかない?一人さ、今日ずっと楓香のこと見てたよ?いらない、私タマネギ嫌いだもん」
「うわーうわー。さすが双子の姉、よく気づくな。俺だって嫌いだし丁重にお断りします」

お互いの料理の中に入っているタマネギを譲り合いながら会話する敬と爽香と傍目に、雪陽は外の景色を眺めた。
徐々に天気が荒れてきている。
先程までは小降りだった雪が、横殴りの吹雪に変化し始めていた。
予定より少々早く宿に帰る必要がありそうだ。

「あれ、そう言えばドルモンは?」
「「え?」」





吹きつける風と雪が強まるにつれ、視界がどんどん悪くなっていく。
一人は足をスノーボードに取り付けながら、隣でゴーグルをかけ直している楓香を見て、ため息を吐いた。
早いところ滑り降りて、今日はもう止めにしないと遭難しかねない。

「楓香、さっさと降りよう。この天気はちょっと不味いぞ」
「一人さぁ、なんか今日……ずっと私のこと見てない?」
「は?」
「何、今になってこの私の魅力に気づいちゃった系?」
「なんで瞬きしてんだ。目に雪でも入ったのか」
「アンタね……まぁいいけど」

誤魔化したが、おそらく表情には出ていたのだろう。
楓香がそう感じていたのは気のせいではない。
メフィスモンとの会話以降、一人は楓香の動向が気になって仕方がなかった。
まるで何処かで、あの羊顔の悪魔が楓香を狙っているかのような感覚。
今回の遠出は特に不安だった。

「もしかして、ドルモンのこと?」
「え?……あ、いや」
「ごめんね、あんなこと言っちゃって。一人に悪気がないのは知ってるよ。ただ、ちょっと心配だったから」
「……」
「私はドルモンのパートナーにはなれない。勉強したってスキーができたって、代わりにはなれないからね。一人が羨ましいよ」

気づくと、少し寂しそうな表情を浮かべながら語る楓香の表情に見入ってしまっていた。
無意識の反対側では、理性が戻ってこいと叫んでいる。
自分は楓香を守らなければいけないのに、何を考えているんだ。
しかし、楓香の声で、楓香の言葉で、自分のことを羨ましいと言われると、一人は何かに魂を引っ張られていくような、抗しがたい心地良さを感じてしまっていた。

「さっ、天気も悪くなってきたし。行こうよ、一人」
「あ、待っ」

その時だった。
地面がめくれ上がり、雪と土が跳ね上がる。
視界が急回転する。
巨大な“何か“が見えたかと思ったが、次の瞬間、一人は地面に叩きつけられていた。

姿を現したのは、化け物だった。
四本の腕を持つエイリアンのような複数の物体。
羽音を響かせて飛ぶ、無数の虫とも鳥とも呼びがたい影。

「な、何……これ……!?」

唖然とする楓香。
一人はガンガンと痛みを感じる頭で、起きている事態を認識した。
デジモンじゃない。
根拠はないが、これはデジモンではなく、メフィスモンが言っていた“あれ”だ。

「逃げろ!楓香!」

何体もの異形が、四本の腕を一人と楓香に向ける。
腕の先はまるで開く前の花のようだったが、不気味に輝き始めた所からすると、何か遠距離からの攻撃を行う器官なのだろう。
確実に自分たちは敵だと認識されている。
狙われている。

「避けろッ!!」

激しい音とともに、一人たちではなく、四本腕のエイリアンが吹き飛んだ。
吹雪の中、紫の影が飛び、次々と異形を攻撃していく。
一人はすぐさま手袋を捨て、懐からデジヴァイスを取り出した。
左手にデジヴァイス、右手に青色のカードを握り、カードをデジヴァイスの溝に通す。

「カードスラッシュ!マトリクスエボリューション!」



【MATRIXEVOLUTION_】

ドルガモン進化!

翼を広げ、次の獲物に飛びかかる獣竜を、緑色の繭が包み込む。
繭の中で彼の体毛は紫から赤へと変化し、前足が発達し、身体は何倍もの大きさへ膨れ上がった。

ドルグレモン!!




成熟期の状態よりも遙かに巨大化した四足の獣竜が、体躯を傾け巨大な尾を振るう。
それだけで数体の羽を持つ怪物がなぎ払われ、泡の消えていった。
一人は次の指示を出そうと手を振り上げた。

「ドルグレモン!メタル……」

再び衝撃が起こる。
ドルグレモンの尾の攻撃を避けた四本腕の異形が放った光弾が一人の足下で炸裂し、視界が雪もろとも宙を舞う。
そのまま二、三回、雪景色と灰色の空が回転し、やがて視界が真っ暗になり、一人は意識を失った。



「カズト!」

数メートル先まで飛ばされ倒れた自らのパートナーを叫ぶドルグレモン。
だが、一人と入れ替わりに彼の名を叫ぶ者がいた。

「ドルグレモン、飛んで!」

指示の元を辿るまでもなく、紅の獣竜は羽ばたいた。
この天候では高い位置で停止することはできないが、楓香は一瞬、敵が的を見失うだけで十分だと判断した。

「メタルメテオ!!」

楓香の声と同時にドルグレモンの頭上に巨大な鉄球が召喚される。
異形たちがその動きに対応する前に鉄球は落下し、約半数の四本腕の異形が押しつぶされる。

「地上へ!」

鉄球で消滅せず、なんとか這い出そうとする異形を踏みつぶし、ドルグレモンが次の獲物を睨む。
残りの四本腕は距離を取りながら攻撃を続けようとしたが、彼らはドルグレモンの尾の攻撃範囲を読み違えていた。
最初に四本腕を発光させた異形の胴体が、音もなく両断される。
そのまま上空を飛行していた異形の翼も裂かれ、瞬く間に消えていった。

ドルグレモンは尾を異形たちの前でゆっくりと回転させ、敵を威嚇した。
ドルグレモン自身、このまま敵が去ってくれれば良いと考えていた。
それが無理ならばせめて、自分の背後で、楓香が一人の身体を起こすまでの時間を稼げれば……。

ドルグレモンの計略は、敵の次の一手に潰された。
またしても地面がめくれ上がり、新たなる異形が現れた。
その姿を認識する前に、ドルグレモンは激しい痛みと圧迫感を感じる。
何かに締めつけられている──否、“握られている”。

「う、ぐぉ、あ」

激痛がいかにして発生しているか、ドルグレモンはようやく理解した。
自分の首と胴体が、巨大な掌によって圧迫されていた。
掌の付け根、人間の腕にあたる部分に、代わりについている口だけの顔がケタケタと笑った。



ドルグレモンが捕縛されたのを見て、一人の数メートル手前まで近づいていた楓香は一瞬、愕然として歩みを止めた。
そして、その一瞬が狙われた。

「!?きゃあぁっ!!」

足元に、二体目の掌の化け物が現れる。
二体目の掌は一体目同様、笑い声を上げながら楓香を捕縛し、彼女を締め上げた。
パニックと戦いながら、楓香は足元に倒れる一人に手を伸ばすも、届かない。
気づけば、締め上げられる楓香の周りには、先ほどから見かける飛行タイプの化け物が何体も飛び回っていた。
飛行タイプは攻撃することも手出しすることもなく、掌の怪物と自分の周りを飛び続けている。
まるで獲物を見定める鴉のように。

やがて、更なる異変が起きた。
ケタケタと笑いを上げていた口だけの顔が、ボコボコと泡が立つかのように歪み、曲り、変形していく。
胴体が生え、胸がやや膨らみ、その上に新しい形が生まれてきた。
人間の顔のような、女の顔のような。
少女の笑う顔のような。

楓香は遂に悲鳴を上げた。





一人は瞼を開いた。
唸っているかのような吹雪の音。
退化し、締め上げられ、なおも咆哮するドルモン。
よく知る少女の顔で笑い声を上げる、掌型の化け物。
聞いたこともないような叫びを上げ、掌に締め上げられる楓香。

それら全てを同じ視界に入れても、何が起きているのかを理解できなかった。
気づいた時には叫んでいた。





「ドルモン!楓香を護れ!!」





【MATRIXEVOLUTION_】



ドルモン進化!



一人のデジヴァイスの輝きを受けた瞬間、怒号を上げる獣竜の額のインターフェースが、爆発するかのような輝きを放った。
肉体は紅き完全体の姿よりも更に大きくなり、鎧のように硬質化する。
逞しくなった腕の先端には刃物のような爪。
化け物の指が、巨大な翼と尾によって切断され、地に落ちる。
ドルモンは破壊の権化となった。



ドルゴラモン!!



指を切り落とされた化け物が体制を立て直す前に、その頭に爪を突き立て、首を掻き切る。
赤い泡となって消えていく姿を見ることもなく、ドルゴラモンはもう一体の化け物へ向き直った。

楓香を握る化け物は、四本腕の怪物と、羽を持つ異形に囲まれながら、止めることなく不気味な変化を続けていた。
掌の下半身に付いているのは間違いなく楓香を模した上半身だが、その腹部は今やいびつに膨らみ、いくつもの物体をつぎはぎしているかのように見える。
ランドセル、文房具、靴、CD、ぬいぐるみ、帽子。
ドルモンの頭部。
デジヴァイス。

ドルゴラモンは咆哮し、尾を一振りする。
それだけで、周囲を覆っていた四本腕と、飛行体が全て消し飛んだ。
吹雪に混じり、赤い泡が血液のように飛び散る。

掌の化け物は女性のような叫びを上げながら、地を揺らしドルゴラモンへ突撃する。
獣竜はそれを真正面から受け止めた。
化け物の腹部から生えた鉛筆と彫刻刀が伸び、獣竜の身体を突き刺す。
獣竜は憤怒の唸り声を上げ、両腕で化け物の首を掴み、締め上げる。
そのまま体重をかけ、雪山へ押し倒した。
巨大な爪が人差し指と中指を切り落とし、化け物が掴んでいた楓香を取り落とす。
少女の身体が宙を舞い、雪原を転がっていく。
一人にはその景色がスローモーションに見えたが、彼自身の動きもまた、異常に緩慢だった。
ドルゴラモンと化け物の肉弾戦が地響きを起こす。
山が揺れた。

一人は当初、地響きがカウントできないほど細かな揺れに変わったことに気づかなかった。
原因を考えられる程の冷静さも無かった。
ようやく変化に気づいたのは、原因そのものを目にした瞬間。
天より襲いかかる、雪の津波。
一人は走り、未だに雪原を転がり続ける楓香に手を伸ばす。

そこで意識は途切れた。





気づいた時に自分が居た場所は、何故かベッドの上だった。
上半身を起こす。
この風景は良く知っている。
自分の父親も、こんな雰囲気の所で働いている。

「一人、起きたか!」
「一人くん!」

敬と、雪陽の顔が見えた。
ふたりの友人は、一人の顔を見て喜んでいるようだった。
窓から射す光が眩しい。
ベッドの横にあるテレビは、ニュースで西新宿の風景を映し、リポーターが焦ったような声で喋り続けている。

おかしい。



なぜ、彼女がいない?



「一人、痛い所は無いか!?」
「敬、僕看護師さんを呼んでくる!」
「おうよ!」
「楓香はどこだ」
「ひゃあ〜良かったよ一人、お前何時間寝てたかと……」
「楓香はどこかと聞いている」

声が部屋に響き渡り、一人と敬が止まる。
空気が固まったのを感じた。





足を引きずり、扉を開けると、個室に一つのベッドがあった。
規則的な電子音。
そして、ベッドの隣に座る少女の後ろ姿。

もし、これがただのクラスメイトであったら、その少女を見て安堵の表情を浮かべるのかもしれない。
だが一人は、双子の少女を見間違えるには、あまりにも親密になり過ぎていた。

「そんな……」

目を閉じ、呼吸器を取り付けられ、至る所に包帯が巻かれた少女は、記憶ではつい先ほどまで自分と一緒にいた筈だ。

どうして?
どうしてこんなことに?



「意識が戻るかは、分からないって。明日かもしれないし、一年後かもしれないし、もう一生……」

目の下に隈を作り、幽鬼のような表情を浮かべ、芹沢爽香は告げた。
消え入りそうな声。
電子音よりも遥かに小さな声。

「ねぇ、一人」

しかしその声は一人の耳にこびりつき、二度と消えることがないような反響を続けた。

「一人が楓香の手を握っていてくれたから、発見が早まったんだって。ありがとう、一人」





その日の夜から、地獄が始まった。
毎晩眠っている最中に、枕元に突如として少女が現れる。
少女の隣にはドルモンがいる。
自分の隣にも。
二体のドルモンは究極体へと進化し、激しく掴み合い、周囲を破壊し、巨大な爪で双方を切り裂き、喉元を突き刺す。
少女は笑い声を上げながら、自分の獣竜に指示を出し、一人のパートナーを追い詰めていく。
一人は焦り、叫ぶが、最後には必ず自分のドルモンが敗北する。
そして、少女の獣竜が、巨大な爪で一人を切り裂くのだ。





退院し東京へ戻った日の夜、一人はおぼつかない足取りで、公園のプレハブ小屋へ向かった。
敬と雪陽の計らいで数日前に戻っていたドルモンは、一人の姿を見ると涙を流しながら膝をつき、頭を下げた。

「カズト!ごめんなさい!!僕のせいだ!!」

ドルモンの声は震えていた。
床を爪で掻く音が響く。

「僕が二人を守らなきゃいけなかったのに!究極体に進化したのに!護れなかった!!パートナーの命令に従えなかった!!」

そして、彼は号泣した。

一人は蒼白な表情でドルモンを見つめていたが、やがて彼も膝をつき、ぼそりと呟いた。

「なんで俺なんだ?」
「か、カズ……」
「なんで楓香じゃなくて俺なんだ?アイツは俺よりも才能があって、努力家で、ドルモンのことを考えてるのに……なんで俺が選ばれし子供なんだ?」
「カズト、違うよ、それは……」
「なんでなんだ。意味分からねぇ。選ばれし子供なんて。俺が選ばれてなくて、スキー場で死んで、代わりに楓香が選ばれてたなら全て良かったのに。いや、もっと前だ。ブラックインペリアルドラモンと会った時に死んでれば良かったんだ。どうして楓香じゃないんだ!!」
「彼女はそういう運命だったのですよ」



気づけばドルモンの後ろに、悪魔がいた。
ドルモンが振り向き、毛を逆立たせる。

一人は彼を見ても、もう何も感じなかった。

「運命……?」
「えぇ、そうです。いかに有能であるとは言え、フーカ女史はただの人間。貴方とは違います。邪神竜は能力ではパートナーを選ばない」

邪神竜という聞きなれない言葉すら、今の一人の耳には残らない。
欲しい答えは、誰が選んでいるかではない。

「どうでもいい。俺が選ばれてる意味がない」
「いいえ、あります。貴方には可能性がある。貴方の望みを叶えられるという、素晴らしい可能性が」
「望み……?」

その言葉を聞いた瞬間、ドルモンは変化を感じ取った。
自らのパートナーを振り向く。
一人の表情は、今まで見たことがない程の怒りを浮かべていた。

「力が欲しい」
「力ですか」
「デジモンやあの化け物を根こそぎ滅ぼす力が、俺の周りの奴ら全てを救える力が欲しい……楓香よりも強い力が!」

その言葉を聞いた時、ドルモンは一人の怒りの矛先を理解した。
一人自身だ。
それは以前から、一人自身に向けられていたものだ。

戦いの中で、最も身近にいる少女、選ばれし子供でない少女に後れを取っていたことを、彼はずっと気にしていた。
そして勝つことができないまま、少女はどこかに行ってしまった。
一人にかけた呪いを残して。
解こうとしていたのかもしれない。
だが、少女が一人にかけてしまった呪いは、少女自身にも解けなかった。
一人はもう、その呪いを抱き続けるしかなかった。

悪魔はその言葉を聞いて、笑いを浮かべた。
そして一人へ、ひとつの案を提示した。

「それならば、私のクライアントに会うと良いかもしれません。貴方に真の力を与えられる方です。ご紹介しましょう」

そして、プレハブ小屋が白煙に包まれた。





その翌日より、一人はリアルワールドから姿を消すことになる。


<<INDEX解説
inserted by FC2 system