時空を超えた戦い - Evo.40
黒竜と少女





時空を超えた戦い Evo.40 黒竜と少女


そこで記憶を再生するスピードが一気に上がり、いつの間にか白い世界に戻ってきていた。

「おかえりなさい」

黒の少女が二人を迎える。

啓人とギルモンの背には、半開きになった扉があった。
その奥は今や真っ暗だが、今自分たちが“そこから出てきた”ことはすぐに分かった。

「さぁ、こっちへ」

啓人が二、三歩進むと、アリスは扉を閉める。
そして胸元から、首に掛けていた二本の銀色のキーを取り出した。

「長旅だったでしょう」
「長かったかどうかも、よく分からないよ」

ガチャリ、というロックされた音が部屋に響く。

「疲れた?」
「……少し」

確かに、意識にもの凄い情報量を注ぎ込まれたことだけははっきりと分かっていた。
何時間もあるドキュメンタリー映画を一気に見せつけられたかのような。
しかし、それでも「疲れた」という表現が適切なのかは、啓人にはよく分からなかった。

「今のが、一人くんの……」
「彼の記憶。選ばれし子供となり、ジョーカモンとメフィスモンの元で戦いを始めるまでの記憶」

アリスの言葉に、啓人は頷く。
彼が見たものだけでは、いくつか謎が残っていた。
だが今与えられた情報があれば、残りの情報もある程度、推察ができる。

「アリス……質問してもいい?分からないことが少しあるんだ」
「えぇ。私が答えられることならね」
「何故、君はここに?」
「この世界では私が唯一、啓人くんとコンタクトを取ることができたからよ。ここでは存在を認知している者同士でしか、コンタクトを取れないから」

これは分かる。
今の記憶の中には、一人とドルモンしか、啓人を認知している者はいなかった。
彼らが啓人にコンタクトを取ろうとする筈もないので、そうなると、ハブとなる人間が必要になってくる。
誰なのかは分からないが、記憶の中の誰かが、アリスと交信できるということだろう。
そして新たな謎が浮かぶ。
彼女が中継となってまで、コンタクトを取ろうとする者は誰か?

「その質問の答えは、啓人くんにも分かるはず」
「僕にも……?」
「ヒント、この部屋の持ち主。戦いの発端。戦いを止めたいと願っている者。このコは、啓人くんの力を借りたいと思っている」

啓人はこの部屋の持ち主が誰かさえ、聞いていなかった。

だが、おおよそ理解ができた。
ドルゴラモンとの戦いの時に感じた奇妙な感覚。
それが答えか。

アリスの言う“このコ”は戦いを終えることを望んでいる。
しかも、一人が勝利する以外の方法で。

アリスは再び、啓人が出てきた扉に向かう。
そして先ほどとは別の形をしたキーを扉に差し込む。
開錠の音が静かに響いた。

「これには、さっきのキーとは別のソースが組み込まれているの。それがドアに反応して、ここから続く道が変わる。今、この扉の先には──」
「ジョーカモンの塔がある」

啓人の言葉に、アリスが頷いた。

ドアノブに手をかけ、啓人はちらりと、反対側にあるもう一つの扉を見た。

「あの扉の向こうに、一人くんとドルモンがいるって言ってたね。あのふたりも同じものを見たの?」
「えぇ」
「……もう“見終わった”んだね?」
「そうよ」

そして、啓人とギルモンがこの扉を出た時、彼らも戻る。
その瞬間、戦いがまた始まる。

「負担ばかりかけてしまって、ごめんなさい」
「うぅん、ありがとう。これで戦えるよ。目的がはっきりしたから」

ニコリと笑うと、ギルモンを連れ、啓人が扉の外へ足を踏み出した。

「頑張って」





戦闘に入る前から既に、ブラックインペリアルドラモンの肉体は限界に達していたと言っていい。
先の戦闘で腹部に傷を負ったままの黒竜と、感情を失い機械のようになった魔王。
この二体の戦いは、戦闘というよりも私刑に近かった。

黒竜の背中から放たれるレーザーは目標が定まらず、戦いが始まってから一度も命中していない。
一方で、単眼の魔王が両腕から放つ攻撃は、負傷した腹部を狙い、正確に命中させていた。
だが、仮に黒竜が万全の状態で臨んでいたとして、これは“戦い”になっていただろうか?

ブラックインペリアルドラモンとデスモンは、ジョーカモン一派の中でも指折りの戦士であった。
性格は正反対でありながら、どちらも多くの戦場を経験し、部下からも信頼されていた。
そしてブラックインペリアルドラモンは、デスモンを兄弟として常に気にかけていた。
当然、意見の衝突は何度もあったし、一度は戦いに発展しかけた。
それでも、ブラックインペリアルドラモンにとってデスモンはかけがえのない存在だった。
彼は世界に六体しかいない、自分と同じ素性を持つデジモンの一体だ。
その兄弟と、彼が命の奪い合いなどできるはずもない。

死の矢が、またしてもブラックインペリアルドラモンの腹部に突き刺さった。
もう何度目か分からない墜落をする。
子供たちの内何人かの悲鳴が聞こえた。
誰かは分からない。
ブラックインペリアルドラモンは、もうほとんど思考ができない所まで追い詰められていた。
かつて自分を守ってくれたあの少年が、敵の側に居た。
自分の兄弟は最早意識を失い、訴えかける言葉に何の反応も示さない。
ここからどうすれば良いのだ?
おそらく、兄弟を傷つけることは自分にはできないだろう。
だが、ここで敗北すればどうなる。
次に狙われるのは子供たちだ。
ならば、自分に出来るのは時間稼ぎか。
この肉体が滅ぶまで兄弟のサンドバッグになっているべきか。
だが、それがいつまで、あと何分、何十秒持つのか?
その後は?

「トップガン!!」

爆発音が聞こえる。
視界の片隅で、デスモンが振り返り、攻撃目標を変えたのが見えた。
デスモンの周囲を白いデジモンが飛び回り、攻撃を続ける。

「待ってくれ」

驚くべきことに、四肢はまだ立ち上がる力を残していた。

「待ってくれ。私が、私が終わらせなければ……」





「シルフィーモン!撃って!」
「デュアルソニック!!」

二つの風の刃がデスモンの身体に命中するが、デスモンはダメージに対する反応を全く見せない。
ダメージを与えていない訳ではない。
確かにデスモンの身体に傷は付いているし、それは先程の攻撃も同様だった。
感情を失うとは、こういうことか。

「厄介な……!」

攻撃に対する反応を示さないため、デスモンの隙を見つけることは非常に困難だった。
おまけに彼の放つ攻撃は正確で迷いがない。
ブラックインペリアルドラモンを一時的にであれ攻撃対象から外すことはできたが、究極体と一対一で戦うのはやはり分が悪い。

視界の端に、自分の子供たちとは別の、動く影が見えた。
よろよろと立ち上がる巨大な黒い竜。
到底、戦えるようには思えない。
恐らく、彼はデスモンとは違う“仕組み”で、ほとんど無意識のまま立ち上がっている。

「まさか……まだ戦うつもり……?」
「シルフィーモン!逃げて!」
「!?」

二本の光の矢が、シルフィーモンの両腕に付いた翼を貫き、地面に串刺しにした。
油断していた。
叩きつけられ、一瞬ぼうっとした頭を持ち上げる。

「ぐ……」

デスアローはエネルギーを射出する技であるから、例えばかつて自分──その、少なくとも半分──が受けたピエモンのトランプ・ソードのように、串刺しの状態を維持することはできない。
数秒もしない内にその拘束力は無くなるが、デスモンは既に次の攻撃の準備をしていた。
巨大な単眼が激しく光り、最大の攻撃のためのエネルギーを収束する。
回避する時間を与えられているようには思えない。
単眼の魔王の、何の感情も入っていない声が聞こえる。

「エクスプロージョンアイ」





デスモン最大の破壊光線を浴びたのはシルフィーモンでは無かった。
ブラックインペリアルドラモンは、ほとんど動かない自分の身体をデスモンに叩きつけ、振り向いたデスモンの瞳から放たれた光線を受けた。
二回転、三回転し、周囲の大木をなぎ払い、何十メートルも地面を抉って、黒竜の巨体はようやく止まった。

「きゃあ!」
「ブラックインペリアルドラモン!?」

ヒカリと京の悲鳴が上がる。
真っ先に博和と健太が走り、残りの子供たちもうつ伏せになった黒竜に駆け寄る。
データの崩壊が始まっているのが分かった。

「ブラックインペリアルドラモン!聞こえるか!オイ!!」

傷ついたテリアモンを抱えながらも、健良は右手でその肉体に触れる。
これだけの出血量で、形象を保っていること自体が奇跡だ。
健良は真っ赤に染まった掌を眺めながら呆然となった。

「ジェン、僕が出るよ、もう見てらんない!」
「テリアモン、駄目だ!」
「一戦くらい、究極体に進化しなくたって……」
「……下がってくれ」

低く、唸るような声が巨体から聞こえた。

「もう少しだった。もう一度だ、まだ、やれる」
「おい、ブラックインペリアルドラモン、待て……」
「デスモンと密着した状態で、今度は私がメガデスを撃つ」
「は!?」
「奴も無事では済まない」
「何言ってんだお前!?」

博和の声を無視し、ブラックインペリアルドラモンの瞳がその先にある魔王を見る。
視線の先にいる兄弟はシルフィーモンに攪乱され、こちらを攻撃しようとする様子はまだ見られない。

「お願いだ、下がってくれ」

決して大きくない声だが、はっきりと聞こえる言葉だった。
硬直しながらも、博和が答える。

「断る」
「君たちを巻き込みたくない」
「何が巻き込むだ、俺たちがなんでここにいる?」
「これは君たちの運命ではない。下がれ」

最後の一言はひどく冷たく、敵意すら感じるほどの低さだった。

「私には解る。ここで、戦って、死ぬ。これが私に定められた運命だ」

言葉の出ない博和の代わりに、彼の脇をやや小柄な影が通り過ぎていった。





「ふざけないでよっ!!」





ドンッ、という打撃音と、小柄な少女が巨大な竜の瞳に蹴りを浴びせる様子は、この場にいた子供たちの脳裏に今後も残り続ける映像となったに違いない。
果たして、甲高い絶叫を上げる黒竜と、震えながらその正面に仁王立ちする少女、どちらがより珍しい光景なのだろうか。
ブラックインペリアルドラモンの呻きに引けを取らない怒声で、加藤樹莉は叫んだ。

「何が運命よ!何が解ってるのよ!勝手に自分で決めつけて、満足してるだけでしょう!?」
「じゅ、樹莉」
「今戦ってるのはあなただけじゃない!ここで死ぬことが運命だなんて信じないで!自分の決め事と戦いもせずに!次にその言葉を使ったら許さない!!」
「既に許してないじゃん……」

視界が回復したブラックインペリアルドラモンが最初に見たのは、目に涙を浮かべながら怒声を上げ、今にも自分に殴りかからんとする少女の姿と、それを必死に止めようとする他の子供たち、そしてデジモンであった。
それはブラックインペリアルドラモンが見たことのない光景だった。
とても奇妙で、しかし、とても綺麗な、かけがえのない光景に見えた。



これ、だったか。



「ありがとう」

黒竜はゆっくりと起き、静かに言った。

「やるべきことが見つかった」

全身が血で染まり、それでも威厳を携えた表情で、ブラックインペリアルドラモンは立つ。
子供たちを守るように。

「ブラックインペリアルドラモン……?」
「訂正する。私は生きてこの戦いを終わらせる」

樹莉のディーアークが輝く。
否、樹莉だけではない。
健良、ヒカリ、京、博和、健太のデジヴァイスも淡く光り始め、その光の先端が黒竜へと伸びていく。
彼を祝福するかのような光。

誰からともなく、子供たちはデジヴァイスをブラックインペリアルドラモンに向けて掲げる。
分かっている。
これから何が起こるのかは明白だ。

「生まれ変わる、くる!」

クルモンの額が輝く。

「ブラックインペリアルドラモン、生まれ変わる、くる!」

まばゆい輝きがブラックインペリアルドラモンを包み込んだ時、彼は遂に自らの呪縛から逃れた。



黒の皇帝竜は二本の足で立ち上がり、その腕は形を変えていく。
巨大な銃砲は右腕に装備され、ボロボロになった翼は復元する。
黒の皇帝竜は竜人となった。

「ブラックインペリアルドラモン・ファイターモード!!」



進化の輝きをヘッドマウントディスプレイで確認した瞬間、シルフィーモンはデスモンの至近距離から離脱した。
デスモンの追撃は無かった。
彼もまた、進化の光を見ていたからだ。
表情の変化がないデスモンだが、シルフィーモンには何故か、彼が呆気にとられているように見えていた。

ブラックインペリアルドラモンは翼を広げ、デスモンと同じ高度まで飛行した。
不思議な感覚だ。
クローンデジモンであった自分たちは非常に長い間、決められたプログラム以上の進化を行っていなかった。
先の戦いで本来の肉体を取り戻したとはいえ、ブラックインペリアルドラモンは自らが新たな姿へと変わることなど想像もしていなかったのだ。
しかし、奇跡は起きた。
ブラックインペリアルドラモンは非常に落ち着いていた。
それがこの肉体の変化がもたらしたものか、子供たちとの邂逅によって与えられたものなのかは分からない。
ただ、彼はこの戦いをすぐに終わらせるつもりだった。
不毛な、憎み合うだけの関係などもう懲り懲りだ。
この戦いは力押しではない、別の方法で勝つ必要がある。

「デスモンよ、聞こえるか」

デスモンは反応しない。
ただ、巨大な瞳で自分を見つめ続けている。

「これが私の出した答えだ。ただ私は、ニンゲンと共闘する道を選ぶ」
「……」

デスモンは動かない。

「私は新しい力を得た。そして今、新しい景色を見た。これが正解とは言わない。だがデスモン、お前はその有様を善しとするのか?」
「……」

見えた。
今度は僅かに反応した。

「我が兄弟デスモンよ。単眼の魔王のあるべき姿は傀儡なのか?」



今度は、はっきりとした反応だった。

「ブ、ブ……」

そして、強大なエネルギーが巨大な瞳に集中し始めた。
単眼の魔王は痙攣したかのように動く。

「ブラックインペリアルドラモン!俺ト、俺ト戦エ!!」

その声を聞いた時、闇の皇帝竜は静かに腹部の砲塔を開き、そこに右腕に装備されていたポジトロンレーザーを装着した。
ブラックインペリアルドラモンは小さく笑った。

勝った。
クローンデジモンとしてでもなく、ジョーカモンの手下としてでもなく。
これは我々の勝利だ。

「そうだ、それでこそデスモンだ」

やがて、凄まじい光が二体を包んだ。
地上にいる子供たちからは、さながら二つの黒点がある恒星のように見えていた。




ブラックインペリアルドラモンはギガデスを撃った直後、自らの放った光の中に飛び込んだ。
戦いが終わったことはもう分かっている。
傷だらけの魔王に掴みかかる。

「デスモン」

ブラックインペリアルドラモンは静かに、彼の名を呼んだ。
黒竜の兄弟、最後のクローンデジモンは、巨大な単眼をゆっくりとブラックインペリアルドラモンへ向ける。

「ブラックインペリアルドラモン」

非常に小さな声だった。
弱々しく、か細い。
それでも、どんな怒声よりも、この声はブラックインペリアルドラモンの耳にははっきり聞こえた。

「俺を倒して満足か」
「私は戦いで満足感を得たことなどないよ」
「ムカつくな」

デスモンは呆れているようだった。

「何故お前はそうなんだ。俺はお前に勝ちたかった。勝って満足したかった」
「今の戦いで私を殺したとしても、お前は満足しなかったはずだ」

単眼の魔王は不満気だった。
この兄弟に何もかも見透かされていることが、そして、この結果自体が不満なのだろう。
共感できなくとも、理解はできた。

「デスモン、お前は勝った。解放されたのだ。これは私たちの勝ちだ」
「ほざけ、勝手に終わらせようとするな」

粒子へと分解し始めた三本指の手で、自分の腕を掴まれる。
驚くほどはっきりした声で、魔王は最期の言葉を吐き出した。
デスモンの言葉は、ブラックインペリアルドラモンの耳に刺青のような傷を残した。
それは黒の皇帝竜の脳裏に残り、響き続ける。
恐らく、これからも。
多分、一生残るだろう。

「俺をロードして、戦い続けろ。俺はまだ戦い足りない。俺が満足するまで死ぬことは許さん」

黒の皇帝竜に宿題を残して、単眼の魔王は自ら、彼の一部となった。



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