Time to Go 〜200x-4〜
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「……ここ…どこ…?」

周りの景色には、見覚えのあるものは一つもなかった。
滑り台、砂場、ジャングルジム…友達。
それら何一つ、存在しない。
まばらに草木が生えた大地と、奇妙に傾いた風車小屋が見えるだけだ。
少なくとも、今まで遊んでいた筈の公園ではない。

「…みんな、どこ?…おじさん?」

思いつく限り、その場にいた友人の名前を空間へ叫ぶ。
返事は無かった。


少年はデジタルワールドを歩き始めた。





黒の皇帝竜は風の中にいた。
この地に吹く風は涼しく、暖かい日差しとよく合っていた。
自然のことを考えると、彼は自分の中に溜め込んでいる疑問の重苦しさを紛らわすことが出来た。
とはいえ、消えることはない。
彼は苦しんでいた。

主の下に生み出され、数ヶ月。
クローンとして生み出された彼は、本来のデジモンとしての、生き物としての生き方とは程遠い“人生”に、既に幻滅し始めていた。

彼は食べる喜びを知らない。
食事は常に味気ない栄養剤が用意され、定時に済ませることを要求される。
彼は遊ぶことの楽しさを知らない。
戦士であり士官である彼の日課には、戦うこと以外の余計な要素は殆ど排除されている。
彼は進化する喜びを知らない。
クローンである彼には予め決められた進化のルートがあり、完全に調整された戦闘教練プログラムは、それを彼にニヶ月程で「履修」させた。
彼は戦いの恐ろしさを知らない。
命を奪うという行為──感情も自由も肉体も失われる──に対して少々の不快感は感じたが、それだけだ。
それにどんな意味があるのか?
死は恐ろしいか?
既に今生きている自分に、どれ程の意味があるのかも分からないのに?
彼は戦いそのものにも、魅力を感じなかった。
兄弟は、既にそれを生き甲斐としているようだ。
全く理解出来なかった。
血を吹き出させ、肉を引き裂き、骨を焼く。
それの何処が面白い?
そして彼は共感することを知らない。
どういう訳なのかは不明だが、彼は全く理解出来なかった。
ジョーカモンの語る理想、野望、理論が。

『嘗て、戦乱の時代のデジタルワールドは、正しき秩序が世界を覆っていた。強きデジモンが生き残り、正しき方向に導かれる世界だ。だがそれは、ニンゲンによって創られた、抑制という鎖を掛けられた世界だった』

強き者が支配する世界が、正しき世界なのか?
弱いことは間違っているのか?

『そして今、デジタルワールドは、神を名乗る野獣共が支配しておる。何の間違いか、今度は奴らが我が物顔で世界を抑制する世界だ。しかもあろうことか、ニンゲンを擁護するデジモン達が、この世界を支配しておるのだ』
『我々は世界に真の秩序を取り戻す。ニンゲンと四聖獣を滅ぼすことによって。そのための力を我々は得る』

その秩序とは、誰が決めた?
ジョーカモンか?

この悩み、違和感は、兄弟には伝えられなかった。
彼らは自分達の人生に疑問を抱いているようには見えなかった。
三体中ニ体が右を向いた状態で、一体のみが左を向いていたら、ジョーカモンが(或いは、他の士官が)考える原因は一つ、「ミスプログラム」だろう。
彼がこれについて話した相手は一人だけ、共に士官プログラムを学んだ友であるバステモンだけだった。
彼女はそれを聞くと大笑いし、

「哲学者みたいね。そんな所から考えるの?」

と、逆に聞き返してきた。

やはり、私がおかしいのか?
生存することそのものへの疑問、それ自体がミスプログラムか?


こうした思考を繰り返すと、埒が明かない。
何度も同じ場所を通り、最後は常にふたつの、非常につまらない結論に至る。

“自分の生きる意味が分からない”
“私の生きるこの世界そのものが下らない”

ただ存在し、与えられた義務を済ませる。
そして行動し、戦い、殺し…。
それら全てが下らない。

ブラックインペリアルドラモンは目を閉じた。
下らない。つまらない。意味が無い…。



不意に、前脚が滑った。
足下を見ると、そこは粘土状であり、所々ぬかるんでいる…前日に降った雨の影響だろう。
と言っても、四足で大地に立ち、巨大な身体を誇り、翼を持つ彼にとってはそれ程危険な事態ではない。
黒の皇帝竜は溜め息をつき、再び目を閉じ、自分の世界へと戻ろうとした。

だが、彼にとっては大した事態でなくても、他の(そして、大部分の)生物にとっては大きな問題となる事象は、この世界には多々存在する…これもまた例外ではない。

耳障りな何者かの声を聞き、彼は再び目を開けた。
そして周りを見渡し、その声の出所を探した。
…地すべりは思ったよりも周囲に被害をもたらしているらしい。
数十メートル離れた場所、崖に立っている風車小屋が見えた。
耳障りな悲鳴の出所は、あの風車小屋らしい。

全く、何なのだ?
悲鳴を上げているということは、自分の存在をそこで必死に主張しているという事だ。
大抵は、自分の生命が危機に晒されている状況で。
誰かに対しての──恐らく、特定の人物を指定している訳ではない──本能的な命乞い。
そこまでして生きたいのか、お前達は?
そこまでして生にすがるのか?

しかし、悲鳴一つに対してそんな思考を幾ら張り巡らせた所で、この不快感が取り除かれる訳ではないのだ。
渋々、彼は翼を広げた。





崩れかけた風車小屋は崖っ縁に立ち、今にもその巨大な羽から深遠へと落下しそうになっていた。
その真上まで飛び、ブラックインペリアルドラモンは眼下の、騒音の発生源を探した。
すると…ふむ、驚いた。
珍しいものがそこにいた。

「…ニンゲンか」

不安定な小屋の屋根の上に、小さな人影があった。
レンガの屋根にしがみつき、彼は顔をくしゃくしゃにして泣き叫んでいた。

「たすけて!だれかたすけて!!」

彼が足をばたつかせる度に小屋は傾き、一階部分は既に殆ど原型を留めていなかった。
切り立った崖は時折剥がれ落ちる板やレンガを、次々と奈落へと送っていく。
全く、ふざけている。
こんな状況になるまでそんな所に居た、お前自身の責任ではないか。
誰かが都合よく助けてくれるとでも思っていたのか?
とは言え、今回は自分がやってきてしまったのだが…。

このまま静観しているのも時間の無駄だ。
どうするか。
生かすのも面倒だが、あんな者のためにレーザーを使うのはもっと面倒だ。
おまけに、余計に五月蝿くされることもあり得る。
仕方ない、さっさとあのニンゲンを拾い、静かにさせよう。
そしてどこかへ逃がせば、終わりだ。





ブラックインペリアルドラモンは崩れかけの小屋の屋根に身体を近づけ、空中で停止した。
それまで自分の身の安全に必死だった人間は、見たこともない巨体の竜を見ると、ギョッとした表情で悲鳴の音階を更に上げた。

「な、なにっ!?……お、おまえっ!!」
「五月蝿い。騒ぐな」
「!?し、しゃべった…!?カイジューが…」
「カイジュー?…おい、ニンゲン。そこから降ろしてやる。私の背に…」
「…い、いやだ…!!」

恐怖に駆られた、絞り出すような声で、少年は呟いた。
ブラックインペリアルドラモンは瞳を彼に向けた。
助かりたいのではないのか?

「何を言っている」
「お、おまえは…カイジューだろ!?ぼっ…ぼ…ぼくを…どうする気…っ…!?」
「私は貴様をどうにかする程暇ではない。その五月蝿い悲鳴を消し去りたいだけだ」
「そ、そんなこと…」

少年は未だにガクガク震え、両手はしっかりとレンガを握りながら、ブラックインペリアルドラモンを凝視している。
彼は口を動かそうとしているが、そこから漏れる音は中々言葉にならなかった。

ブラックインペリアルドラモンは除々に苛立ち始めていた。
このニンゲンは何がしたいのだ?
生きたいのか?死にたいのか?
どちらにしろ、腹立たしいことは間違いない。

彼は前脚をレンガの屋根に着け、ニンゲンが今の位置から移れるようにした。
だが、少年は震えたまま、動く気配は全く無い。
その間にも風車小屋の傾きは更に増し、レンガ片が剥がれていく。
それにつれ、ブラックインペリアルドラモンも体制を保つことが難しくなってくる。

「ニンゲン、早くしろ。それとも助かりたくないのか?」
「い、いやだ!いやだーッ!!」

少年は泣き叫んだ。
そしてひたすら、ブラックインペリアルドラモンを拒絶した。
見るからに恐ろしげな怪獣の助けなど、受け入れられない。
怖い…!



ブラックインペリアルドラモンの堪忍袋の緒は遂に切れた。



「臆病者め」



その言葉に、少年は泣き叫ぶのも忘れたのか、半ば呆然とした表情でブラックインペリアルドラモンを見た。

「な、なんて…」
「臆病者、そう言ったのだ。貴様は小心者だ」
「…ち…ちが…う…」
「違う?」

ブラックインペリアルドラモンは自らの苛立ちを、言葉に更に込める。
彼は顔を少年へと近づけ、続けた。

「何が違うと言うのだ。目の前の恐怖に怯え、真に迫る危機には気づきもしない。臆病者以外の何者でもないではないか。それとも本当に死にたいのか?」
「…ぼ…くは…」
「いずれにせよ、私にはどうでもいい話だ。そのまま死ね。生きることよりも死ぬことの方が楽だ…」
「…」

そう言い捨て、ブラックインペリアルドラモンは風車小屋から離れようとした。
今、少年へと言った言葉を、自分にも繰り返しながら。

“生き続けることよりも、死ぬことの方が楽だ…”

だが、予想外のことが起きた。



「ま、まって!!」



少年が崩れ行くレンガの屋根の上を走り…跳んだ。
目を瞑って。両手足を必死に伸ばして。
ブラックインペリアルドラモンは驚くと同時、前脚を屋根の側へともう一度、僅かに近づけた。
それで充分だった。

少年はブラックインペリアルドラモンの前脚へと飛び移った。
風車がその直後、奈落へと崩れ落ちていった。





「何故、生きた」
「…?」

ブラックインペリアルドラモンは前脚に掴まったまま、息を整えている少年に聞いた。

「あの時、お前には選択肢が与えられていた。見ず知らずの、何を考えているかも分からない化け物に身を任せて生きるか、命に見切りをつけ、自らの人生に幕を引くか。より大きな苦痛を味わい続ける生と、潔い死を秤にかけた時、何故前者を選んだ?」
「???ね、ねぇ、なに言ってるのかぜんぜん分かんないんだけど…」
「…」
「…もしもし?」

この問いは彼にと言うより、自分自身にしていたのかも知れない。
少年は前者を選んだ。
自分はまだ、どちらも選んでいない。
この違いはどこにある?
少年が心の底で理解していて、私が全く理解していない何かが存在するのだろうか?
生と死に関する何かが?



「ねぇ?」
「…何だ、ニンゲン」
「あのさ…」

物思いからようやく現実へ戻ったブラックインペリアルドラモンは、少年に再び顔を向けた。
少年はあのショックからは既に立ち直り、代わりに笑みを浮かべてブラックインペリアルドラモンの翼を指差している。

「…空、とべるの?」





「すごい!すごい、すごいよ!!」
「…そうでもないと思うが」

今、少年はブラックインペリアルドラモンの背中、銃砲の上に乗っていた。
そして彼らがいるのは地上ではなく、空中。
広大な大地を見下ろしながら、黒竜と少年は空中散歩をしていた。
無論、彼が全速で飛べば、少年は一瞬で虚空へと消えてしまうため、かなり速度を抑えての飛行ではあるが。

「ニンゲン、お前がリアルワールドから降りてきたのは…」
「うん、公えんで遊んでたとき。目の前に…なんか、きりみたいなのがでてきて、気づいたらこのせかいにいた」
「戻りたいか、元の世界に」
「うん」
「…」

教えられたデジタルワールドの「性質」を思い起こしながら、ブラックインペリアルドラモンは考えた。
彼の言う「霧」は間違いなくゾーンだ。
リアルワールドとデジタルワールドを繋ぐ“道”としても、それが最もポピュラーなものである。
だが、そうなると疑問が残る。
なぜ、突発的にゾーンが出現したのか?
どこかの野良デジモンがリアルワールドへ侵攻したと言うのなら解る。
当然、彼はそんなデジモンなど見ていない。
最も、実際にデジモンを見る暇があるというのなら、とっくに殺されている可能性が高いが。
ならばそのゾーンは、偶発的に出現したものか?
どこかのデジモンの意思でなく、単にこの世界のシステムが出現させた“バグ”か?
だが、そんなものが都合良くニンゲンを飲み込むだろうか。
それを否定する要素は何も無い。
しかし、何か釈然としないというのも事実だ。

少年が不安そうな声で尋ねる。

「ぼく、もどれるかな…もどれる、よね?」
「どうかな。リアルワールドとの行き来に関して私は詳しくない」
「…う…」
「いいではないか。ここはお前が思っているほど悪い世界ではない。暫く此処で時間を過ごし、考えればいい」
「…じゃ、じゃあ、ぼく、帰るまでカイジューといっしょにいてもいい?」
「何だと?」
「いいでしょ?カイジュー、ぼくのことたすけてくれたじゃん!いいカイジューだもん!」

いいカイジュー…。
善悪の判断は彼に任せるとして、自分の身の安全についてこのニンゲンは真剣に考えているのか?
私が信用するに足る存在だと?
そもそも私には所属する組織が、忠誠を誓う(少なくとも、名目上そういうことになっている)主がいる。
そしてその主は、ニンゲンを…。

「ニンゲン、私は…」
「ねぇ、その“ニンゲン”ってやめてよ。そんなよびかた、今どきだれもしないよ?」

話を聞いてくれ…。
溜め息を吐きかけたが、幸か不幸か、少年はブラックインペリアルドラモンの心情には全く気づかず。
マイペースに、そして無邪気に話し続ける。

「さくら かずと」
「何?」
「ぼくの名まえ。“かずと”ってよんでよ、ちゃんと」
「…カズト、私には主が居る。主がカズトの存在を知れば…」
「そうそう!カイジューの名まえは?“カイジュー”ってよぶのもヘンだもんね」

仕方ない、諦めよう。

「ブラックインペリアルドラモンだ」
「…?ぶ、ぶらっ…い?」
「ブラックインペリアルドラモン」
「…早口ことば?」
「ブ・ラ・ッ・ク・イ・ン・ペ・リ・ア・ル・ド・ラ・モ・ン」
「ごめん、もう一かい」
「ブ・ラ・ッ・ク──」

幾度となく自分の名前を教えながら──恐らく十回は同じ単語を繰り返した──ブラックインペリアルドラモンはふと思った。
今やっているやりとりは、他の多くの事象と同様、下らない。
だが、同時に…面白かった。
笑いが込み上げてくる。
彼はそうした感情を表に出す性格ではないが、確実にそれを感じていた。
それは否定し難い感情だった。
今までに殆ど感じたことがなかった故に。
安らぐことのできる空間が今まで無かった訳ではない。
だが、心の底からこんな感情が沸いたことは、今まであっただろうか?

「ねぇ、ブラックインペリアルドラモン」
「何だ」
「名まえ、ながいからさぁ。“くろぺり”ってよんでもいい?」
「駄目だ」





無論、この状況はジョーカモン一派の幹部・エリート育成されたジョーカモン直属の士官である、ブレイズ7の行動としては、あまりにも奇妙なものである。
場合によっては、背信行為とも取れる。
少なくとも、彼はそう考えていた。
皇帝竜の行動をしっかりと“監視”していた魔王は。





事件が起きたのは、十分程の空中散歩が終わり、少年がブラックインペリアルドラモンの背から降りた直後だった。



「何をしている」



魔王は彼の前にいた。
その姿を見るのはブラックインペリアルドラモンにとっては久しぶりであった。
彼よりも後に生まれた魔王を最後に見たのは、魔王が士官学校を卒業する前だ。

「お前は…?」
「デスモンだ。“兄弟”」

魔王がこの言葉に嘲笑的な意味を込めたことに、ブラックインペリアルドラモンはすぐに気づいた。
デスモンの巨大な目は少年をしっかりと捉えている。
恐らく…彼が腹を立てている理由は、カズトがここにいることだろう。

「N-2・ブラックインペリアルドラモン、何をしている?そこにいる奴が何者なのか、分かっているのか?」

ブラックインペリアルドラモンは彼の言葉に少しばかり疑問を抱いた。
“N-2・ブラックインペリアルドラモン”…?
これまでデスモンは、黒竜の名を呼ぶ時には必ず“様”を付けていたのに?
だが、敢えてそれを無視し、会話に集中する。

「勿論分かっている」
「そうか?貴様はそいつを成長期のデジモンか何かと見間違えているのではないか?」

今度は“貴様”…?

「まさか。彼は…」
「そいつはニンゲンだ!」

デスモンは厳しい声で言った。
ブラックインペリアルドラモンはカズトが体を震わせたことを感じた。
彼は前脚の位置を少年の前まで動かし、デスモンの視界から外させた。

「ああ、その通りだ。それがどうした?」
「忘れたのか?我々にとってニンゲンは敵だ。排除すべき悪だ。主にそう教えられただろう」
「確かにそうだったかも知れない。だが、お前こそしっかりと見たのか?まだ幼い子供だ。それでも、我々に脅威を与える存在だと?」
「子供だからこそ、だ」
「意味が分からないが。子供だからこそ?」
「貴様は…なるほど、知らないのか。主からは聞いていないのだな」

どうやら、デスモンは主から聞いている、ブラックインペリアルドラモンは知らない『事実』を持っているらしい。
それによって優越感に浸っているのは確実だろう。
最も、ブラックインペリアルドラモン自身は特にそれに何か感情を抱かなかったが。
それよりも、足下にいるカズトの方が心配だ。
目の前に、自分とは明らかに違う種類の“カイジュー”がいるのだから。
デスモンは雄弁に語り続ける。

「最も、それについて貴様が知る必要はないな。主も、そう判断したからこそ貴様に伝えなかったのだろう」
「確かに、私にとってもどうでもいいことだ。ならば同時に、お前にとってもこの少年はどうでもいいのではないか?」
「…何だと?」

デスモンは巨大な瞳に嫌悪をむき出しにしていた。
この変化には流石にブラックインペリアルドラモンも驚いたが、表情を変えるほどではない。
しかし、何かが変わったのだろう。
魔王の中の何かが…。

いずれにせよ、この状況は好ましくない。
気乗りはしないが、ここは確実な方法──彼の持つ地位の利用──によって切り抜けるとしよう。

「デスモン、私はブレイズ3・N-2だ。まだ教習生であるお前は私に指図する権限は持たないぞ」
「教習生?」

途端、デスモンは笑い出した。
氷のような冷たい声で。

「ブラックインペリアルドラモン、貴様は二つの間違いをしているぞ!」
「何?」

ブラックインペリアルドラモンの顔が強張った。
同時に、カズトの体がブラックインペリアルドラモンの足に触れたのを感じた。
彼のことを頼るように。

「まず、“ブレイズ3”など既に存在しない。主の元に今存在するのは“ブレイズ4”だ」
「…まさか」
「そしてもう一つ。既に俺は貴様と対等の立場に居る。貴様こそ、俺に指図する権利など無い」

この言葉だけで状況──目の前の魔王は、既に教習生でも下位の者でもない──は充分に飲み込めたが、雄弁な魔王は尚も続けた。

「俺はブレイズ4・N-4。我が主・ジョーカモンの忠実なる僕、デスモンだ。以後、宜しく…最も、貴様はそう長い時間、幹部を続けることは出来ないかも知れんが」

デスモンは余裕たっぷりに言い切ると、腕をブラックインペリアルドラモンの前脚──そしてそこにいる少年──へと向けた。

「そこにいるニンゲンを引き渡せ。ニンゲンと付き合うことは主への背信行為だが、この俺に引き渡すのならば主には“捕縛”として報告してやろう」
「デスモン、お前も私に命令する権限はない。それに例え地位が同じだろうが、生まれの早さは考慮の中に入れるべきだぞ」
「ああ、そうだろうな。だが、それは組織内の規則を守ることが前提だ」
「捕縛すればどうなる?この少年は?」
「それは主が決めることだ。早く引き渡せ。さもなければ、貴様が反逆を起こす前に、俺が“対処”しなければならない」

なるほど、そう来たか。
ブラックインペリアルドラモンには、デスモンの頭の中が手に取るように理解できた。
確かに“組織の規則”に反しているのは自分だが、それは建前。
デスモンが行おうとしているのは、単なる点数稼ぎに他ならない。
カズトがブラックインペリアルドラモンの名を小さく呼んだのが聞こえたが、黒竜は今の会話に集中した。

「対処?この少年にか?それとも私か?」
「両方だ」
「正気か?私がここで攻撃されれば、お前の行動は問題となるぞ」
「貴様こそしっかり考えろ。俺と貴様、どちらが主に信頼されている?問題となる行動を起こすとしたら、N-4とN-2のどちらだ?」

ブラックインペリアルドラモンは頭を振った。
どちらが信頼されているかなど、答えは決まりきっている。
それはデスモンが、ブラックインペリアルドラモンが知らない、ニンゲンについての“事実”を主から伝えられたことからも明らかだ。

デスモンは最後通牒を突きつけた。

「さあ、引き渡せ。こんなことで死にたくはあるまい。主に生きて仕えることこそ、我らの幸せなのだからな!」


ブラックインペリアルドラモンは暫く黙っていたが、実際は殆ど何も考えていなかった。
彼はただ、これまでのことを思い出していた。
無意味な戦いによる“幸せ”を享受してきた人生と、カズトと過ごした数十分を秤にかけていた。
比べ物にならなかった。
そして一つのことに気づいた。

ああ、命とはこうして終わらせるものなのか。
別にそれでもいいのかも知れない。

彼の心は何時の間にか、少年と出会う前の“いつもの”感情に戻っていた。
全てのことに無頓着な感情へ。

どうせ何にも興味を抱いていないのだ。
それならば、より価値のあった方へ命を捧げよう。
せめてもの礼儀だ。



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