Time to Go 〜200x-4〜
-2-













「デスモン」
「…」
「この少年は、引き渡さない」



沈黙が数秒間続いた。

魔王の瞳は、それまでのどの時よりも冷たくなっていた。



デスモンの右腕から躊躇なく放たれた矢は、ブラックインペリアルドラモンの肩を削り、鎧を破壊した。
黒の皇帝竜は低い呻き声を上げ、前脚を折った。

「ブラックインペリアルドラモン!!」

カズトが叫び、彼を見た。
だが、ブラックインペリアルドラモンは驚くほど落ち着き…カズトを抱え込むように腕を重ねた。
そして少年にしか聞こえない声で囁いた。

「動くな。殺されるぞ」
「で…でも、でも!」
「デスモンが次の攻撃した直後に逃げろ。反対側へ。デスモンの視界からは私の体が邪魔になっている。私が消滅するまで、彼はお前が逃げたことには気づかない」

闇の皇帝竜は冷静に、且つ何事も起こっていないように言った。
実際、今の彼にとっては全てが意味がないことであった。
自分の死すらもどうでもいい。
執着するものを敢えて挙げるならば、自分を僅かでも“楽しませて”くれた、少年の命のみだ。
なぜ執着しているのかは自分でも分からないが。


だが、それを拒否したのはカズトの方だった。
少年は竜の腕を飛び越え、竜の前に立ち。



両腕を広げ、デスモンの前に立ちはだかる。



「ニンゲン?」
「…ぶ、ブラックインペリアルドラモンは…ぼくの友だちだ!!」

カズトは叫んだ。
泣きながら。それでも、はっきりと。
ブラックインペリアルドラモンは動揺した。
自分の思考が停止したような感覚に囚われたからだ。

「ぼくのことをたすけてくれた、友だちだ!ブラックインペリアルドラモンが死ぬのはいやだ!!」
「カズト、そこを退け…殺されるぞ!」
「いやだーッ!!」

ブラックインペリアルドラモンの言葉にも、カズトは泣きながら拒否した。
一歩も動こうとしない。
行動しようとしているのは単眼の魔王のみだ。

「どちらが先に死のうが何も変わらん!デス…」

右腕の瞳が光る。
一体は動いた。
一人は決して動かなかった。


一瞬、破壊の光芒が起こり、烈風が吹き荒れ、瓦礫と土埃が舞った。



「あ゛ああぁぁぁぁぁッ!!」

耳をつんざくような悲鳴が響く。
この声の持ち主は少年ではない。
ましてやブラックインペリアルドラモンでもなく…単眼の魔王の悲鳴だ。
デスアローを放った筈の右腕が焼け爛れ、一部は消滅している。
こんなことが出来る者は、この場で一体だけだ。
あの粒子レーザーを放つ黒竜…。

「ブラックインペリアルドラモン!!貴様ぁぁぁ!!」

ニンゲンに“対処”しようとしていた彼に対し攻撃を行うなど、最早引渡し云々の問題ではない。
完全なる“反逆”だ。
最早、このデジモンを組織に置き続けることなど不可能。
いや、生かしておくこと自体が問題だ…だが、問題のデジモンは、彼のことなど気にも留めていなかった。
彼は、自分を庇った少年に顔を近づけていた。



「カズト!!」

カズトは右頬を押さえて蹲っていた。
腕を伝い、赤い液体が流れていくのが見える…。

「カズト!怪我をしたのか!?カズト!!」

だが、少年は顔を上げると──頬から血を流したまま──笑ったのだ。
ブラックインペリアルドラモンに対して。



「あ…ブラックインペリアルドラモン、ケガしてないね…よかったー…」



ブラックインペリアルドラモンは言葉を失った。
自分は何をしていた?
ニンゲンの少年に守られた?
自分は何一つ、彼に出来なかったというのに?
デスモンは少年を殺そうとしていた。
いや、カズト自身がその身を挺したのだ。
確かにデスアローをポジトロンレーザーで弾き、直撃を防いだのはブラックインペリアルドラモンだったが、それは確固とした信念からというよりも、単なる反射行動でしかなかった。
しかし、カズト自身は動かなかったのだ。一歩も。
どんな結果になろうとも、動くつもりはなかったのだ。
自分の身よりも、カイジューの身を案じていたのだ。

黒竜は自身がようやく目を覚ましたような気がした。
そして初めて自分が固執したもの──友の命──に全てを賭ける決意をした。
単に命を賭けるだけでは駄目だ。
全てをやり遂げる。



「貴様、N-2!!これは…これは、反逆だ!!反逆だぞ!!」
「反逆?」
「そうだ!兄弟であり幹部であるこの俺に攻撃し、傷を負わせた!それもニンゲンを護る為に!貴様は主よりも卑小な生命を選んだのだ!それが分からんのか!!」
「卑小な生命?」
「そうだ、何度も言わせるな!我々が征服すべき、生きる価値のない下等生物だ!!それを貴様は…」

大地を震わせる程の咆哮が響き、単眼の魔王を黙らせる。
デスモンは闇の皇帝竜が、今まで見たことのない程殺気立っていることに気づいた。
彼は恐怖を感じた。
目の前の黒竜は今、これまで見たこともない程の脅威と化している。

「卑小な生命だと?下等生物?デスモン、確かにニンゲンは我々よりも脆い生物であろう。だが、それがどうした?カズトに生きる価値がないと?」

怒号にも近い、激しい言葉を発しながら、ブラックインペリアルドラモンは一歩前に出た。
衝撃で大地がひび割れる。

「私はようやく理解できた。この少年と出会うことで。生きることの価値は決められているのではない。どう生きたかによって、自分が決めるのだ」
「貴様…」
「彼は私のことを友達と呼び、命まで賭けたのだ!我々には決して出来ない行動だ、違うか!?その彼に生きる価値がないと、そうお前は言うのか!!」
「黙れ!黙るんだ!!貴様は反逆を起こした!今、俺が貴様を…」
「あぁ、私を殺すのならばそうするがいい。だが、カズトに手を出すつもりなら、その前に私がお前を殺す」
「何…だと!!」

デスモンはこの言葉の恐ろしい意味に、巨大な目を更に見開いた。
反逆者が、完全に敵対者へと変わったのだ。
デスモンのどこかに存在する冷静な感情は、この状況を脅威と感じ、身を退くことを提案した。
だが、それはすぐにかき消された。
反逆者、それも自分を攻撃した相手から身を退くだと?
主は勿論、自分自身すらこの状況を許せるはずがないというのに!?
彼はこの相手に対して戦うことを選んだ。

「…ならば…ならば…いいだろう。主に代わり、この俺が貴様を罰してやる。貴様の罪は死に値するぞ!」
「やってみるが良い」



二体のデジモンが対峙し、互いを睨み、攻撃を繰り出そうとした瞬間。
カズトが叫んだ。

「あれ、何!?」

この言葉に、二体はつかの間状況を忘れ、カズトが見ている方向にいるデジモンに気づいた。
そこには…ああ、何という事だ。
最悪の事態だ。

「ふん、中々面白いことになっているではないか。なぁ、N-2にN-4よ…グハハハハ」
「カオスドラモン…!!」

ブラックインペリアルドラモンは愕然とした。
まさか、よりにもよって彼に──まぁ、ジョーカモンやディアボロモンでも変わらないかも知れないが──出くわすとは。
あの機械竜がこの状況を改善させるとは到底思えない。
形勢は逆転した。
自分は殺され、カズトも…。

紅蓮の機械竜はその場を暫く眺めていたが、皇帝竜の足下に座り込んでいる少年を見て全てを理解したようだった。
カオスドラモンは一瞬、訝しげな表情をし、デスモンの前へやって来た。
何時もの嗜虐的な笑みを浮かべて。

「成る程、新入りの小僧が大仕事をやっていたようだな」
「N-1」

デスモンは厳しい、捕食者の目つきのまま機械竜を見た。
明らかに、自分が「新入り」「小僧」と呼ばれたことに憤慨している。

「俺は主の意に沿っただけだ。見ろ!そこにいるのはニンゲンだぞ!ブラックインペリアルドラモンは反逆を起こしたのだ!!」
「ほう、それは興味深いな。つまり、貴様は主の総意という名目を利用して兄弟を殺そうとしている訳だ」
「!?」

ブラックインペリアルドラモンも、カズトも、顔を上げた。
それだけでなく、ブラックインペリアルドラモンは驚きを隠せなかった。


カオスドラモン…?


「何が言いたい、N-1」
「言葉のままだ。貴様のしていることはそういうことではないのかな?」
「俺は、決して…利用などしていない!主の意思は俺の意思、それだけだ!」
「勘違いするな。ワシは忠告をしているだけだ。主は昇進したばかりのクローンが、自分の“兄弟”を抹殺するという点数稼ぎに、非常に興味を持つだろう」
「点数稼ぎだと!!」

デスモンは怒り狂っているようだった。
だがカオスドラモンは全く余裕の表情を崩さない。
当然かもしれない。
“兄弟”の長男であり、恐らくは組織内でも随一の力を持つ完璧な戦闘マシーン…その彼に、恐れる存在などいるはずがない。
ジョーカモンでさえも。

だが、それだからこそ、この状況はブラックインペリアルドラモンの想像したものとは全く異なっていた。
口でどう言おうと、結果的にカオスドラモンは自分達の側に立っている…。
私が『反逆者』であることを承知の上で!

「N-1…貴様…」
「その位にしておいた方が良いと思うぞ、デスモン…ましてや、彼らを抹消しては肝心の証拠も残るまい。怪我をしての報告では貴様の技量も疑われるだろう…ここは退け。ワシが取り繕ってやる」
「ニンゲンはどうするのだ!まさか貴様、あれを逃がす気ではないだろうな!!」
「何をそうカリカリしているのだ?あんなガキに揺さ振られるようなデジモンを、主が幹部として使う筈があるまい」
「貴様は…く…!!」

デスモンは苛立たしげに手を払い、きびすを返してニ、三歩歩いたが、再びブラックインペリアルドラモンを見た。
これ以上に忌まわしいことなど存在しない、とでも言いたげな眼で。

「この屈辱は忘れんぞ、N-2」

ブラックインペリアルドラモンは何も言わなかった。
次の瞬間には、魔王が飛び去っていたからだ。





「何故だ?カオスドラモン」

彼が飛び去った瞬間、すぐにブラックインペリアルドラモンは疑問を吐き出した。
今回の彼の言動、全てが疑問だ。
何故我々を守ったのか?
普段は率先して“殺し”を楽しむ彼が?

カオスドラモンは顔に傲慢とも言えるような笑みを浮かべたままだった。

「何故か…気まぐれかも知れんが。まあ、強いてあげるなら…そのガキか」
「カズト…!?」

カオスドラモンの爪の先にいるカズトに、ブラックインペリアルドラモンが目をやると…彼は再び驚かされた。
これまで以上の驚きだ。

「あ…」

今や、カズトの体は、はっきりした形を保っていなかった。
彼の体は半透明になり、今では蜃気楼か、霧の中にいるようにぼやけている。
そう、霧の中に…。

そこで彼ははたと気づいた。
霧だと?

「別れの時が来たようだな。家に帰る時間だ」

カオスドラモンが言った。

「いや、だが、まさか…これは…」

こんなことがあり得るのか…?
誰の意思でもない、誰かの意思でこんなことは起こり得ない。
『世界』自身の意思としか思えない。
彼がこちらに着いた時と同じように…。
だが、現実は受け入れるしかない。

「…あ、そうか…もう、ぼく…」

ブラックインペリアルドラモンは彼に顔を近づけた。

「そのようだな。行く時間だ」
「うん」

少年は黒竜に笑いかけた。

「…へへ…あんまり、いっしょにいられなかったね」
「そうだな…だが、時間は関係あるまい」
「そうなの?」
「ああ。少なくとも、私には」

カズトはまた笑った。
目の端に、小さな涙の雫が見えた。

「また会おうね!…また、会えたらだけど…」
「グハハハハ…会えるだろうなぁ」

驚いたことに、そう言ったのはカオスドラモンだった。
会える…?
だが、黒竜にとっては些細な疑問だった。
今はただ、少年が無事に元の世界へと戻れることへの喜びと、カズトと別れなければならないことへの少しの寂しさしかしかなかった。

「ロボットカイジューも、ありがとうね」
「ロボットカイジュー?…ワシのことか?…何かしたか?」
「そうだろうな。カズトはお前に感謝しているのだ、カオスドラモン」
「ふん、どうでも良いわ」
「そうか。カズト…」

カズトはもう、殆ど見えない程、その輪郭がぼやけていた。
つい先程の頬の傷さえ、どこに付いていたのか分からない。
ブラックインペリアルドラモンは思った。
何でもいい、何か、この少年に感謝の念を表さなくては…。

そして彼は、これまで一度も作ったことのない表情をカズトに向けた。
穏やかな笑みを。

「また会おう。さらばだ」
「うん…さよなら!」


そしてカズトは、手を振りながら霧の中へ消えていった。
少年はリアルワールドへと帰っていった。



「あのガキは、選ばれし子供だろう」
「選ばれし子供?」

カズトが消えた後、最初に機械竜が言った一言には、黒竜が聞いたことのない単語が含まれていた。
だがすぐに、ある程度予想することが出来た。
まだ脳内で散らばっていた、パズルの端に埋まるはずの僅かなピース…。
それらを繋ぐ最後のピースが、その単語なのではないか?

「恐らく間違いない」
「カオスドラモン、教えてくれ。デスモンも奇妙なことを言っていた。ニンゲンの子供の危険性についてだ。一体何が…」
「その様子だと、貴様は案の定、主から聞かされてはいないのだな?だが、流石に勘が鋭い。読みは当たっているぞ」
「それで?真実を教えて欲しい」

カオスドラモンは少しの間考える素振りを見せたが、すぐに、これを話すことによって自分が損害を被ることはないと判断したようだった。
間も無く彼は話し始めた。

「そうだな…選ばれし子供とは、まあ、簡潔に言ってしまえば、デジモンと共生関係にあるニンゲンのことだ」
「共生?そんなことが…」
「ニンゲンはデジモンに力を与え、デジモンはニンゲンを守り…互いを信頼する。主が毛嫌いする理由も分かるだろう?まあ、ワシはこの人種について詳しいことは知らんが」
「まさか…そんなニンゲンがいるとは…だが、カズトがそれだと?しかも、それならば何故、カズトはあちらの世界へ戻ることに…?」
「そこだ。ここからはワシの考えに過ぎんが…」

カオスドラモンの機械の笑みが深くなったことに、ブラックインペリアルドラモンはすぐに気づいた。
だが、そんなことは問題ではない。
何故なら、機械竜の言う仮説こそが、揃ったピースを全てパズルに埋め込んだからだ。
そしてそのパズルに浮かぶメッセージは、彼のこれからの人生を永久に変える…彼はそれを感じた。

「あのガキは幼過ぎた。まだデジモンとの共生関係を結ぶには、力も心も弱過ぎる…世界がそう判断した。そして世界が、来るべき時が来るまで元の世界へ帰した」
「何だと…!?」
「恐らく、近い未来…何年後かに、あのガキは再びこちらへと召還されるだろう。その時は、この世界の何処かにいるパートナーデジモンに出会うことになる。そして世界に、何らかの使命を背負わされる」
「召還…パートナーデジモン…」

そうか、カオスドラモンがカズトに「また会える」と言ったのは、そういうことだったのか…。
そして戻る時には、パートナーデジモンが…。



何だと?



「カオスドラモン、まさか」
「グハハハハ…気づいたか?」

これで全てが説明できる。
少年がただ一人でこちらの世界にいたことも。
カオスドラモンが、カズトを逃がすことを容認したことも…。

「カオスドラモン、貴様は…カズトがパートナーを得て、何らかの戦いを経験することになった時に、彼らと戦うつもりなのか!?」
「その通りだ」

ブラックインペリアルドラモンは稲妻に打たれたような衝撃を受けた。
しかし、そうでなければ何故、カオスドラモンがこんな面倒事に顔を突っ込む?
そしてわざわざ、今まさに死に直面している少年を救う?
彼は小さな生命を奪うことよりも、数年後に成長して現れるであろう少年と、そのパートナーと戦うことを選んだのだ。
丁度、ハンギョモンが自分のテリトリーである湖に若いデジマスを逃がしたように。
そしてこれは、より激しい戦いを望むカオスドラモンらしい選択だった。

だが、そんなことをさせる訳にはいかない。

「私は許さんぞ、カオスドラモン」
「ほう?」

カオスドラモンが興味深そうな笑みを浮かべて答えた。

「その前に、私は貴様の前に立ちはだかる」

彼は決然とした表情で言い放った。
誓ったのだ。
カズトを守ると。

「…まあ、そう焦るな。あれはワシの仮説に過ぎんからな…その時を楽しみしているが良い」
「その時は、私とお前が敵同士になる時だぞ」
「そうだろうな。それが貴様の選ぶ道なら、ワシは貴様とも戦う」
「考えていることは同じということか」
「ああ…それまでは、ワシらは“兄弟”だ…その時まで、このつまらんゲームを続けようではないか。デスモンにも目を光らせつつ、な」

そう言ってカオスドラモンは去っていった。



ブラックインペリアルドラモンは、もう誰もいなくなった大地に佇んでいた。

いいだろう、カオスドラモン…その時まで、私とお前達は“兄弟”だ。
その時まで。
それからは、分からない。
だが、どんな状況になろうとも、私はカズトを護る。
このゲームには必ず勝利する。
勝利条件は、カズトがこちらの世界へと再び降り立った時、デスモンやカオスドラモンよりも先にそれに気づき、カズトを護ること。
その為には、まだジョーカモンの元に居る必要がある。
生きる必要がある。
そして同時に、私は生きる希望も掴んだ。
再びカズトに出会い、カズトを…いや、全てのニンゲンを、ジョーカモンから護ってみせる。
生きることの価値を決めるのは自分自身だと、カズトが教えてくれたからだ。
これは希望だ。かけがいのない、希望だ。
そして友への誓いだ。
自分の為に命を掛けてくれた友への。

また会おう、カズト。


<<INDEX
inserted by FC2 system